ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書くブログ

『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー|日常茶飯事の自爆テロがうんだ悲しき怪物

「誰かにこういうでたらめな話をしてもらうのは難しい。でも実行された犯罪の背後には、必ずこういう整然とした、でたらめな話がある」 ーーアフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』 『バグダードのフランケンシュタイン』や『死体展…

『忘却についての一般論』ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ|傷ついた記憶を忘れずに生き延びる

自分はどこの人間でもない。あそこは、自分が生まれたあの土地は、寒かった。あの狭い道、向かい風と荒天のなか、頭を低くして歩く人々の姿を鮮明に思い出した。自分のことを待つ人はどこにもいない。 ーージョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却について…

アメリカ大統領選挙の支持地盤で読む、アメリカ文学リスト

2020年アメリカ大統領選挙は激戦だった。2016年大統領選挙以降、世界中で、共和党と民主党それぞれを支持する「支持州」と「支持層」に注目が集まったように思う。 アメリカの大統領選挙は、人口ごとに選挙人数が割り振られ、州ごとにどちらかの政党を選ぶ「…

『誓願』マーガレット・アトウッド|地獄に風穴を開けるシスターフッド

「トショカンってなに?」 「本をしまってある場所。本でいっぱいの部屋が、たくさん、たくさんある」 「それって、邪なもの?」わたしは訊いた。「そこにある本って?」わたしは部屋いっぱいに爆発物が詰めこまれているさまを想像した。 ーーマーガレット・…

『勝手に生きろ!』チャールズ・ブコウスキー|丸出しでまるごとそこにいる男

「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10%か20%しかないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」 ーーチャールズ・ブコウスキー『勝手…

『昼の家、夜の家』オルガ・トカルチュク|われら人類は胞子のように流れる

ガイドブックには、食べられるものと、そうでないものとの違いが、事細かに書いてある。よいキノコと、悪いキノコ。キノコを、美しいか、醜いか、いいにおいがするか、くさいのか、手ざわりがいいか、悪いか、罪に導くキノコか、罪を赦すキノコか、そうやっ…

『サブリナ』ニック・ドルナソ丨失踪事件、ソーシャルメディア、陰謀論

みんなに怒りを感じてしまう。 誰に? みんなだ。自分も含めて。 ーーニック・ドルナソ『サブリナ』 人間社会が発する耐えがたいノイズを、頭が割れるようなレベルまで増幅させたような書物だ。ほとんど表情がない「棒読み演技」みたいな絵柄でありながら、…

『11の物語』パトリシア・ハイスミス|嫌ギア全開で突き進め

……あたしがほんとに仕合わせになるのにたらないものといったら、あと一つ。いざというときにあたしがどんなに役に立つか証明してみせればいいだけだ。 ーーパトリシア・ハイスミス『11の物語』「ヒロイン」 保育園に生き物コーナーができた。生き物コーナー…

『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン|悪意まみれの世界と戦う憎悪少女

みんな死んじゃえばいいのに。そしてあたしが死体の上を歩いているならすてきなのに。 ーーシャーリイ・ジャクスン 『ずっとお城で暮らしてる』 『ずっとお城で暮らしてる』のイメージは、パステルカラーの砂糖菓子、薔薇の花びらで飾られた、宝石のように美…

『ホール』ピョン・ヘヨン|人生の真ん中にあいた大穴

ずっと前から、ひょっとすると人生というものがわかりかけた気がした頃から、生を営んできたと同時に、失ってきたのかもしれない。時々こんな気分になった。何事も充実しているが、しきりに何かを失っているような。 ーーピョン・ヘヨン『ホール』 「穴」の…

『アメリカ深南部』青山南|南部の心臓を歩く旅

「デルタでは、世界のほとんどが空のようだ」 ーー青山南『アメリカ深南部』 8月は、1年のうちでもっともアメリカ南部に近づく月である。 それはウィリアム・フォークナー『八月の光』のせいかもしれないし、フォークナーにつられて南部小説を読みつらねた記…

『ウンガレッティ全詩集』ジュゼッペ・ウンガレッティ|呆然とした空白の漂流

路上の/ どこにも/ 家を/ ぼくは/ もてない 新しい/ 風土に/ 出会う/ たびに/ かつて/ 慣れ親しんだ/ おのれを見つけては/ ぼくは/ やつれてしまう そのたびに見を引き離してゆく/ 行きずりの者として 生まれながらに/ あまりにも生きてしまった/ 時代からの…

『イタリアの詩人たち』須賀敦子|心に根を張った5人の詩人たち

おおよそ死ほど、イタリアの芸術で重要な位置を占めるテーマは他にないだろう。この土地において、死は、単なる観念的な生の終点でもなければ、やせ細った性の貧弱などではさらにない。生の歓喜に満ち溢れればあふれるほど、イタリア人は、自分たちの足につ…

『須賀敦子のヴェネツィア』大竹昭子|悲しみとなぐさめの島

ヴェネツィアは、なによりもまず私をなぐさめてくれる島だった。 ーー大竹昭子 『須賀敦子のヴェネツィア』 イルマ・ラクーザ『ラングザマー』、アンリ・ドレニエ『ヴェネチア風物誌』と続けてヴェネツィアにまつわる本を読んだので、さらにもう一歩、ヴェネ…

『ヴェネチア風物誌』アンリ・ドレニエ|妖術と魔術と幻覚の土地

まったく、ここは奇異なる美しさの漂う不思議な土地ではないか? その名を耳にしただけで、心には逸楽と憂愁の思いが湧き起こる。口にしたまえ、<ヴェネチア>と、そうすれば、月夜の静寂さのなかで砕け散るガラスのようなものと音を聞く思いがしよう……<ヴ…

『ラングザマー 世界文学でたどる旅』イルマ・ラクーザ|ゆっくりすることへの愛

いまでもそうだが、私は自分の本をほかの人にはどうしても貸したくない。どの本とも一つの(あるいは私の)愛の物語があり、ある本のカバーを見るだけでその本のストーリーだけでなく、そのストーリーとどのように私が関わったかということが呼び起こされる…

『レス』アンドリュー・ショーン・グリア|失恋した中年ゲイの世界文学旅行

「ほとんど五十歳って、変な感じだろ? ようやく若者としての生き方がわかったって感じるのに」 「そう! 外国での最後の一日みたいですよね。ようやくおいしいコーヒーや酒が飲める場所、おいしいステーキが食べられる場所がわかったのに、ここをさらなけれ…

『サンセット・パーク』ポール・オースター|安心できる家を失った廃屋のアメリカ

なぜ自分はいま戻ることを選んだんだ? 選んだのではない。彼を殴り倒し、フロリダからサンセット・パークなる場所に逃げることを敷いたあの大きな拳骨が彼に代わって選択したのだ。やはりこれもまたサイコロの一振り、黒い金属の壺から掴み取ったもう一枚の…

『鷲の巣』アンナ・カヴァン|この世界には居場所も役割もない

「いったいどうしちゃったんです? どうしてなにもかもだいなしにしようとするんです? どうしてきのうまでとおなじようにしていてくれないんですか?」 ーーアンナ・カヴァン『鷲の巣』 世界で皆の気分が落ちこんでぴりついている時に、読んだら落ちこむと…

『回復する人間』ハン・ガン|静かな重症者たちの声なき叫び

そんなことより私は泣き叫びたい。髪を振り乱し、足を踏み鳴らしたい。歯を食いしばり、動脈がちぎれたときにそこからほとばしる血を見たい。 ーーハン・ガン『回復する人間』 めまいがするほど率直に、「回復する人間」にまつわる短編集だ。 短編の語り手た…

『中央駅』キム・ヘジン|彼方からくる最悪を待つ

プライドや自信。そういうものが本当にあるとすれば、それは自分の手で捨てられるものではない。捨てるのではなく、心ならずも落としてしまうのだ。そして、二度と取り戻せなくなるのだ。今や俺にできることは、かなたからくる最悪を待つことだけだ。 ーーキ…

『春の宵』クォン・ヨソン|酒が人生に染みついた酒人間の語り

「一秒、一秒ごとに、アルコールのメシアが入ってくるのを感じるのですよ」 ーークォン・ヨソン 『春の宵』 健康診断の問診票で「酒をどれぐらい飲むか」という質問を見るたびに、酒は多くの人にとって非日常のものなのだと思いだす。「ほとんど飲まない」「…

『外は夏』キム・エラン|心はあの季節に静止したまま

「理解」は手間がかかる作業だから、横になるときに脱ぐ帽子みたいに、疲れると真っ先に投げ捨てるようにできてるの。 ーーキム・エラン『外は夏』 季節や年月は、すべての人に平等にやってくる。だがそれは物理法則の話であって、心について言えば、季節や…

『惨憺たる光』ペク・スリン|心のやわらかい場所につながる薄闇

決して死にたかったわけではない。ただ闇のほうがなじみ深かっただけ。 ーーペク・スリン『惨憺たる光』 「光」という単語は、明るさ、まぶしさ、あたたかさ、希望や展望、といった前向きな印象で語られることが多いが、本書における「光」は、惨憺たるもの…

『孤独の迷宮』オクタビオ・パス|死は最も愛する玩具

我々は、本当に異なっている。 しかも本当にひとりぼっちである。 ーーオクタビオ・パス『孤独の迷宮』 私にとってメキシコは、ゆるやかながらも息の長い縁がある国だ。小さい頃に住んでいた町には老舗メキシコ料理店があって、祝いの時にはメキシコ料理を食…

『服従』ミシェル・ウエルベック|改宗します、それなりの待遇であれば

ぼくは人間に興味を持っておらず、むしろそれを嫌っていて、人間に兄弟愛を抱いたことはなく…厭な気分になるだけだった。しかしながら、不愉快ではあったが、ぼくは、その人類なるものがぼくに似通っていて、まさにそれが故にぼくは逃げ出したい気持ちになる…

『アオイガーデン』ピョン・ヘヨン|悪臭と腐敗にまみれたパンデミック都市

それらすべてを抜いて、いざ街を占領しているのは悪臭だった。都市全体が腐乱しながら悪臭を漂わせている。偏頭痛を起こし、舌を鈍らせ、鼻を詰まらせ、絶えず吐き気を催させる悪臭だ。悪臭は都市を構成する有機物の一つになっている。その悪臭の真中にアオ…

『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベック|望みが叶わない人生の苦痛とその解放

僕がセックスで幸せを感じるためには、少なくとも――愛がないのであれば――同情か、尊敬か、相互理解が必要だった。人間性、そうなのだ、僕はそれを諦めてはいなかった。 ――ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』 幸せはどこまでも主観的なものであり、他…

『パストラリア』ジョージ・ソウンダース|アメリカンドリームの陰にいる人たち

「すべてを手に入れる人間もいるっていうのに、あたしはどうしてなんにも手に入れられなかったんだ? どうしてなんだ? いったいどうしてなんだ?」 ーージョージ・ソウンダース『パストラリア』 「アメリカ人の下層半分を合計すると、彼らの純資産はマイナス…

『夜』エリ・ヴィーゼル|日常の底が抜ける時

「黄色い星ですって。なんですか、そんなもの。それで死んだりはしませんよ……」 ーーエリ・ヴィーゼル『夜』 歴史を振り返るにつけ、生活が根こそぎ変わってしまう激震は、巨大な隕石が落ちるようにまったく突然にやってくるものと、水温が上がるようにじわ…