『アメリカ深南部』青山南|南部の心臓を歩く旅
「デルタでは、世界のほとんどが空のようだ」
8月は、1年のうちでもっともアメリカ南部に近づく月である。
それはウィリアム・フォークナー『八月の光』のせいかもしれないし、フォークナーにつられて南部小説を読みつらねた記憶のせいかもしれないし、炎天下の光にさらされた綿花畑の幻影のせいかもしれない。それに今年は、『八月の光』初版の装丁をプリントしたTシャツを買ってしまった。そういう8月の末日に、本書が目の前にあらわれた。
アメリカ文学研究者かつ翻訳家の著者が、アメリカ深南部を旅した記憶を、写真とともに語る。著者がめぐるのは「南部の心臓部」ーールイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージアだ。
深南部の旅は、「地球上で最も南部的な土地」と呼ばれるデルタ(ミシシッピ・デルタ)から始まる。
この旅は、著者が「南部の小説を読んでいるうちにゆっくり蓄積されていった南部の風景を、自分の目で確かめたくなった」旅だ。だから、観光地でもなく、都市でもなく、町でもなく、観光地でもなく、まったいらな湿原からはいる。
デルタは、広大な綿花が広がるまったいらな土地で、山もなく丘もなく、湿った土と沼の地平線が広がっている。この土地で黒人の運命を壊滅させながら綿花が花開き、莫大な富を白人にもたらし、この土地でブルースがうまれた。そしてこの土地をフォークナーは「海」と呼んだ。
「最後の丘までくると、そのふもとから豊かな沖積土の平坦地が、ちょうど断崖の足元から海がひろがりはじめるように途切れることなくひろがりはじめ、海そのものがはるかかなたで薄れはてるのと同じように、それは、蕭条たる11月の雨に濡れてはるかかなたで薄れはてている。」(ウィリアム・フォークナー『デルタの秋』)
湿地、沼地、綿花畑と、南部小説の舞台となる土地を、著者は饒舌に歩いていく。
なかでも印象的だったのは、大木から垂れ下がるスパニッシュ・モスだ。
大木からレースカーテン、あるいはおばけのように垂れ下がって揺れているスパニッシュ・モスは、南部ゴシック小説ではよく愛用されていて、著者にとっては「アメリカ南部と聞いたらスパニッシュ・モス」と思い浮かぶぐらい、南部ではよく見られる光景らしい。なるほど、こんなものがあちこちでゆらゆらしていたら、精神がゴシックになるのもしょうがない。
著者は荒野ばかり歩いているわけではなく、ちゃんと人が住んでいる土地も訪れる。
旅行記といえば料理は外せない。コラーズ(白いとうもろこしのおかゆ)、コーン・ブレッド、ブラック・アイズ・ピーズ、カントリー・ハム(めちゃくちゃしょっぱいらしい)、フライド・グリーン・トマトといった主食。そして、甘いアイス・ティー、ミント・ジュレップ。謎のヌートリア鍋以外はどれもおいしそうだ。カロリーは高そうだけど。
この本を読んでも、南部の名所や観光地のことはあまりわからない。だが、南部小説に描かれてきた南部についてはわかる。だからこの本は、私みたいに定期的に南部にとりつかれる人間にとってはよい本だ。
そしてなにより私は、ある土地にとりつかれた人たちの文章がすごく好きだ。外国に熱狂的な愛情を持つ人たちの話ならずっと聞いていられる。
アメリカ南部人間の熱情を読んで、私の南部に行きたい気持ちは、かつてないほど高まったのだった。
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