ボヘミアの海岸線

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▼中欧・東欧文学

『逃亡派』オルガ・トカルチュク│動け、進め、行くものに祝福あれ

「家、どこにあるか覚えてる?」 「覚えてるわ」アンヌシュカは言った。「クズネツカヤ通り四十六番地、七十八号室」 「それ、忘れなよ」 ーーオルガ・トカルチュク『逃亡派』 10代の頃からずっと、「逃亡」へのゆるやかなオブセッションを抱え続けている。 …

【2021年まとめ】海外文学の新刊を読みまくったので、一言感想を書いた

2021年は、海外文学の新刊を読みまくった。 『本の雑誌』の新刊ガイド連載「新刊めったくたガイド」の海外文学担当になったからだ。 「新刊めったくたガイド」は、ジャンルごとにわかれて、毎月4冊以上の新刊を紹介する連載だ。日本文学、海外文学、SF、ミス…

『地下 ある逃亡』トーマス・ベルンハルト|離れろ、離れろ、反対方向へ

休みになったら元気を回復する、とみんな思っているけれど、実は真空状態に置かれるのであって、その中で半ば気違いになる。それゆえみんな土曜の午後になると恐ろしく馬鹿げたことを思いつくのだが、すべてはいつも中途半端に終わるのだ。 ーートーマス・ベ…

『原因 一つの示唆』トーマス・ベルンハルト|美しき故郷への罵倒と情

世界的に有名なこれほどの美が、あれほど反人間的な気候風土と結びついているのは、致命的だ。そして、まさにこの場所、私が生まれついたこの死の土壌こそ、私の故郷なのであり、他の町や他の風景ではなく、この(死に至らしめる)町、この(死に至らしめる…

『白い病』カレル・チャペック|ただひとりだけ疫病の特効薬をつくれたら

患者を隔離して、ほかの人と接触させないようにする。<白い病>の症状が出たら、すぐに隔離する。うちの上に住んでるばあさんがここで亡くなるとしたら、耐えられんな! 階段の臭いがきつくて、もう誰もこの建物には近寄れなくなる…… ――カレル・チャペック …

『昼の家、夜の家』オルガ・トカルチュク|われら人類は胞子のように流れる

ガイドブックには、食べられるものと、そうでないものとの違いが、事細かに書いてある。よいキノコと、悪いキノコ。キノコを、美しいか、醜いか、いいにおいがするか、くさいのか、手ざわりがいいか、悪いか、罪に導くキノコか、罪を赦すキノコか、そうやっ…

『夜』エリ・ヴィーゼル|日常の底が抜ける時

「黄色い星ですって。なんですか、そんなもの。それで死んだりはしませんよ……」 ーーエリ・ヴィーゼル『夜』 歴史を振り返るにつけ、生活が根こそぎ変わってしまう激震は、巨大な隕石が落ちるようにまったく突然にやってくるものと、水温が上がるようにじわ…

『方形の円-偽説・都市生成論』ギョルゲ・ササルマン|建築不可能な都市たちの生と死

その都市には起点も終点もなかった。いつもその周囲に群がっているヘリコプターから見ると一つの巨大な塔に似ていて、頂上部は遠近法効果で小さく見え、遠い彼方に消えていた。 ーー「ヴァーティシティ 垂直市」 『方形の円 偽説・都市生成論』は、タイムラ…

『凍』トーマス・ベルンハルト|人間の形をした液体窒素

きみは恐れているのか。違うって。どっちなんだ。人類をか。観念をか。 ――トーマス・ベルンハルト『凍』 人間の形をした液体窒素 『消去』を読んで以来、トーマス・ベルンハルトには、遠い異国に住んでいる親族に寄せるような、淡い親近感を抱いてきた。 世…

『ボリバル侯爵』レオ・ペルッツ|予告された自滅の記録

「…あの謎めいた意思をなんと呼べばいいんだ。俺たちすべてをこれほどまでに弄び、惨めにしているあれを。運命か、偶然か、それとも星辰の永遠の法則か?」 ーーレオ・ペルッツ『ボリバル侯爵』 予告された自滅の記録 戦いにおいて最も効率がよい勝利方法は…

『メダリオン』ゾフィア・ナウコフスカ|人間が人間にこの運命を用意した

さまざまなところから死亡の知らせが届く。…人びとはあらゆる方法で死んでいく、ありとあらゆるやりかたで、どんなことも口実にして。もう誰も生きていないし、しがみつくもの、守り通すものはないように思えた。死はそれほどに偏在していた。−−ゾフィア・ナ…

『ハザール辞典』ミロラド・パヴィチ

ハザール族とは、大昔に世界の舞台から姿を消した古い民族である。その諺のひとつに言うーー霊魂にも骸骨がある、それは思い出でできていると。ーーミロラド・パヴィチ『ハザール辞典』幻の王国、奇想、召喚魔法セルビアの作家ミロラド・パヴィチは、中世に…

『火葬人』ラジスラフ・フクス |ホロコーストという"慈善"

「あいつはどうかしている。いつもこうなんだ。大虐殺の現場に連れていかれるとでも思っているんだ……」 ——ラジスラフ・フクス『火葬人』 ホロコーストという“慈善” 心電図が停止しながらも生きている人間は、じつはけっこういるのかもしれない。心臓は動いて…

『夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ

一同が静まったところで高徳のラビは告げた。汝らのうちに、姦通の罪を負って生きる女、呪われた一族、主によって滅ぼされた一族の子がいる。罪人に告ぐ、進み出で己が罪を告白し、主の裁きを受けるがよい。――レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』 プラハの…

『厳重に監視された列車』ボフミル・フラバル

じいさんは真向からひるまず戦車に向って進んで行き、両手を一杯に延ばし、両の眼でドイツ兵たちに念力を注ぎ込んでいた……「ぐるっとまわって帰っていけ……」すると本当に先頭の戦車が停止し、全軍団がその場に立往生した、じいさんは先頭の戦車に指をふれ、…

『ナペルス枢機卿』グスタフ・マイリンク

私たちがなしとげる行為には、それがいかなるものにもあれ、魔術的な、二重の意味があるのだ、と。私たちには、魔術的でないことは、何ひとつできない――。——グスタフ・マイリンク『ナペルス枢機卿』 おぞましき、この現世 真夏の日照りが続くさなかにマイリ…

『ペインテッド・バード』イェジー・コシンスキ│この世という地獄めぐり

ぼくは神の御子を殺したことの償いのためにこんなにたくさんのユダヤ人の命がはたして必要なのだろうかと思った。この世界はやがて、ひとを焼くための、ひとつの大きな火葬場になるだろう。司祭さんだって、すべては滅び、「灰から灰に」帰する運命にあると…

『黄色い街』ベーツァ・カネッティ

まったく奇妙な界隈である、この黄色い街というところは。不具者や、夢遊病者や、狂人や、絶望した者や、人生に飽きあきした人間がひしめいている。——ベーツァ・カネッティ『黄色い街』 沈黙の激情 ベーツァ・カネッティは、ブルガリア生まれのノーベル賞作…

息も絶え絶えの圧倒的狂気|『眩暈』エリアス・カネッティ

これほどの大金と、これほどの少量の理性とくれば、襲われて奪われるのが関の山。 気狂いとはおのれのことしか考えぬ者の謂である。——エリアス・カネッティ『眩暈』 頭脳なき世界 圧倒的な狂気である。 「眩暈」などという、そんな控えめな言葉では、とうて…

『ゴーレム』グスタフ・マイリンク

[さまよう路地裏] Gustav Meyrink Der Golem,1916.ゴーレム (白水Uブックス 190)作者: グスタフマイリンク,今村孝出版社/メーカー: 白水社発売日: 2014/03/12メディア: 新書この商品を含むブログ (11件) を見る 「ぼくらは単純に自分の自由意思で行動して…

『サラゴサ手稿』ヤン・ポトツキ

[異形だらけの千夜一夜] Jan Potocki Manuscrit trouve a Saragosse,1804?世界幻想文学大系〈第19巻〉サラゴサ手稿 (1980年)作者: 荒俣宏,紀田順一郎,J.ポトツキ出版社/メーカー: 国書刊行会発売日: 1980/09メディア: 単行本 クリック: 14回この商品を含む…

『わたしは英国王に給仕した』ボフミル・フラバル

[わたしは給仕した] Bohumil Hrabal Obsluhoval Jsem Anglickeho Krale,1971.わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)作者:ボフミル・フラバル発売日: 2010/10/09メディア: 単行本 わたしは二人を眺めていて、ふと思った。給仕…

『黒檀』リシャルト・カプシチンスキ

[無限の多様性] Ryszard Kapuscinski HEBAN,1998.黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)作者:リシャルト・カプシチンスキ出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2010/08/11メディア: 単行本 一流の人類学者は、<アフリカ文化>や<アフリカ宗教>…

『コスモス』ヴィルド・ゴンブロヴィッチ

[ベンベルグ] Witold Gombrowicz Kosmos,1965.コスモス―他 (東欧の文学)作者: ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ,工藤幸雄出版社/メーカー: 恒文社発売日: 1990/03メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 28回この商品を含むブログ (10件) を見る 「わしにいわせ…

『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ

[語られなかった戦争] Wislawa Szymborska Koniec i Poczatek,1993.終わりと始まり作者:ヴィスワヴァ・シンボルスカ出版社/メーカー: 未知谷発売日: 1997/06/01メディア: 単行本 終わりと始まり 戦争が終わるたびに 誰かが後片付けをしなければならない。 …

『消去』トーマス・ベルンハルト|消してしまいたい、こんな思いは

私の頭に最終的に残っている唯一のものは、と私はガンベッティに言った、「消去」というタイトルだ。というのも私の報告は、そこに描写されたものを消去するために書かれるからだ。私がヴォルフスエックという名で理解しているすべて、ヴォルフスエックであ…

『肉桂色の店』『砂時計サナトリウム』ブルーノ・シュルツ

グロテスクなのに美しい Bruno Schulz Skeipy Cynamonowe,1934. Sanatorium pod klepsydra,1937.シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)作者: ブルーノシュルツ,Bruno Schulz,工藤幸雄出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2005/11/10メディア: 文庫購入: 3人 クリ…

『死者の軍隊の将軍』イスマイル・カダレ

[雨と死はいたるところに] Ismail Kadare Gjenerali i Ushtris〓 s〓 Vdekur,1963.死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)作者: イスマイルカダレ,Ismail Kadare,井浦伊知郎出版社/メーカー: 松籟社発売日: 2009/10メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 70回こ…

『可笑しい愛』ミラン・クンデラ

[笑えない悲しみ] Milan Kundera Risibles Amours,1968.可笑しい愛 (集英社文庫)作者: ミランクンデラ,Milan Kundera,西永良成出版社/メーカー: 集英社発売日: 2003/09メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 29回この商品を含むブログ (17件) を見る 私たちは目…

『昨日』アゴタ・クリストフ

[亡命者の言葉] Agota Kristof Hier ,1995.昨日 (ハヤカワepi文庫)作者: アゴタクリストフ,Agota Kristof,堀茂樹出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2006/05/01メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 45回この商品を含むブログ (28件) を見る そこにあったのは…