ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

死は最も愛する玩具|『孤独の迷宮』オクタビオ・パス

我々は、本当に異なっている。 しかも本当にひとりぼっちである。 ーーオクタビオ・パス『孤独の迷宮』 私にとってメキシコは、ゆるやかながらも息の長い縁がある国だ。小さい頃に住んでいた町には老舗メキシコ料理店があって、祝いの時にはメキシコ料理を食…

改宗します、それなりの待遇であれば|『服従』ミシェル・ウエルベック

ぼくは人間に興味を持っておらず、むしろそれを嫌っていて、人間に兄弟愛を抱いたことはなく…厭な気分になるだけだった。しかしながら、不愉快ではあったが、ぼくは、その人類なるものがぼくに似通っていて、まさにそれが故にぼくは逃げ出したい気持ちになる…

怒りは前に進むための感情である|『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ

「そんな腹になるまで地下鉄に乗って働くような人が、何で子どもなんか産むのさ」 突然、どっと涙があふれた。私ってそういう人なのか。そうまでして稼がなきゃならない人。おなかが大きくなってまで、地下鉄に乗って。 ーーチョ・ナムジュ『82年生まれ、キ…

悪臭と腐敗にまみれたパンデミック都市|『アオイガーデン』ピョン・ヘヨン

それらすべてを抜いて、いざ街を占領しているのは悪臭だった。都市全体が腐乱しながら悪臭を漂わせている。偏頭痛を起こし、舌を鈍らせ、鼻を詰まらせ、絶えず吐き気を催させる悪臭だ。悪臭は都市を構成する有機物の一つになっている。その悪臭の真中にアオ…

望みが叶わない人生の苦痛と、その解放|『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベック

僕がセックスで幸せを感じるためには、少なくとも――愛がないのであれば――同情か、尊敬か、相互理解が必要だった。人間性、そうなのだ、僕はそれを諦めてはいなかった。 ――ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』 幸せはどこまでも主観的なものであり、他…

『パストラリア』ジョージ・ソウンダース|アメリカンドリームの陰にいる人たち

「すべてを手に入れる人間もいるっていうのに、あたしはどうしてなんにも手に入れられなかったんだ? どうしてなんだ? いったいどうしてなんだ?」 ーージョージ・ソウンダース『パストラリア』 「アメリカ人の下層半分を合計すると、彼らの純資産はマイナス…

『夜』エリ・ヴィーゼル|じわりと変化が忍び寄り、日常の「底が抜ける」時

「黄色い星ですって。なんですか、そんなもの。それで死んだりはしませんよ……」 ーーエリ・ヴィーゼル『夜』 歴史を振り返るにつけ、生活が根こそぎ変わってしまう激震は、巨大な隕石が落ちるようにまったく突然にやってくるものと、水温が上がるようにじわ…

『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ|ポップで過酷な選択の岐路

あれは今まで食らったいろんなヤキの中でも最大級にきついヤキだった。最近じゃもう、加速度的にきつさを増すヤキ入れられの連続こそが自分の人生なんじゃないかと思えてくるほどだ。 ーージョージ・ソーンダーズ「アル・ルーステン」 この短編集には、「選…

『フライデー・ブラック』ナナ・クラメ・アジェイ=ブレニヤー|人種差別、ゾンビ、銃犯罪のアメリカン・ディストピア

「たくさん買えましたか?」と俺は訪ねた。彼女は激しくうなずくと、テレビが入った箱の表面を撫でた。「ご家族はまだ買い物中で?」 女性は目の前の血溜まりの中に、人差し指を突っ込んだ。 「四十二インチ、HD」と彼女は言った。 この家族がこのテレビを変…

『チャイルド・オブ・ゴッド』コーマック・マッカーシー|孤立と貧困で転落する神の子

蝙蝠の群れが去ったあとは煙出しの穴から見える冷たい星の大集団を眺めてあれらの星は何でできているのか、自分は何でできているのかと考えた。 コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』 「なぜつらい小説を読むのか、つらい話が好きなのか」…

『血と暴力の国』コーマック・マッカーシー|出会ってしまったら終わりの災厄

出直しなんてできないんだ。そういう話だよ。きみのどの一歩も永遠に残る。消してしまうことはできない。どの一歩もだ。言ってることわかるかい? ーーコーマック・マッカーシー『血と暴力の国』 『悪の法則』と『血と暴力の国』を続けて読んで、この2冊は異…

『悪の法則』コーマック・マッカーシー|処刑器具として動き出す世界

自覚しておいてほしいのはあんたの運命はもう固まってるってことだ。 ーーコーマック・マッカーシー『悪の法則』 たとえば国境をわたる時、私たちはたいてい、自分の歩く道は自由に行き戻りできる双方向の道で、ちょっと冒険に出てもすぐに戻ってこられると…

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー|理想の家族、理想の夫婦という幻影

「度しがたい道徳家なんだなあ、きみは」 ――アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』 人間は自分が見たいように世界を見るし、自分が見たいように他者を見る。自分に似たところを見つけたり、自分がなりたい姿を見出せば、他者を好きになるし、自分にある…

『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー 』シモーヌ・ヴェイユ|不幸の底へ下り、愛へ飛躍する

わたしたちが生きており、その微小な部分をなしているこの宇宙は、神の<愛>によって神と神とのあいだに置かれたこの距離である。わたしたちはこの距離における一点である。時間・空間、物質を支配しているメカニズムは、この距離である。わたしたちが悪と…

『錬金術の秘密』ローレンス・M・プリンチーペ|錬金術を現代科学の視点で再評価する

ウシの死骸からハチが生まれ、腐葉土からムシがわくという例のように、生命をもたない物質から生物が生じるのは日常的なことであり、中世や初期近代の知識人たちは実験室での生命体の生成を不可能だとは考えなかった。 ーーローレンス・M・プリンチーペ『錬…