ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

海外文学マンションポエム

もともと「海外文学アドベントカレンダー 2022」の記事として、「海外文学の新刊まとめ2022」を書く予定だった。

ところがうっかり、不可避の寝不足が続いて執筆計画が破壊されたので、ブログの下書きを掘り返し、数年前に書いたまま眠っていたものを、代打として出すことにした。

なお、「海外文学の新刊まとめ2022」は、12月中か1月には公開予定。

それでは本編。

 

■マンションポエム

マンションポエムとは、高級マンション広告に添えられたキャッチコピーである。

2015年頃から注目を集め、Web記事でもたびたび取り上げられ、現在ではすっかり定着した感がある。たとえばこういうやつだ。

洗練の高台に、上質がそびえる
プラウドタワー南麻布)

世田谷、貴人たちの庭。
(シティハウス用賀砧公園)

これらのキャッチコピーは、土地に住むイメージを、抽象的で装飾過多な言葉選びで表現する。

マンションの詳細情報は、ほとんど書かず、買う人=住む人を待っている「暮らし」をポジティブに想起させる言葉を用いることが特徴だ。

それゆえ、キャッチコピーは無駄に派手で、意味の簡潔さを犠牲にして、ポジティブでラグジュアリーなイメージを、ででんと押し出してくる。

■文学における、建築と住居

ところで私は、人の住まいや住居、土地にまつわる話が好きだ。人の話を聞くのも好きだし、小説の描写を読むのも好きだ。

そんな趣味ゆえに、海外文学で印象的な建築や住まいをまとめようとしたところ、海外文学とマンションポエムは相性がいいのでは、とお告げがおりてきた。

記憶に残るほどユニークな架空建築や住居は、住む人の感情、個性、人生に深い影響を与えうる。

この「住居以上の意味」を見出す姿勢は、マンションポエムとつうじるものがある気がする。

というわけで、海外文学で記憶に残る建築と住居を、マンションポエムを参考に書いてみた。

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インターネット第一居住地だったTwitterが瓦解しかかっているので、アカウント一覧をつくりました。

 

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日記:ふくろう|note

執筆の仕事:海外文学の書評・レビュー連載を2年続けたまとめ【執筆Works】|ふくろう|note

 

『アフター・クロード』アイリス・オーウェンス|世界に負け戦を仕掛ける

「あなた絶望的よ、防戦一方で。恐れていたよりビョーキだわ。」

――アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』

 

文学にはしばしば、孤軍奮闘で世界に抵抗し、戦いを挑む人間が登場する。カミュが描いたカリギュラは不可能に抗って理不尽をきわめ、リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』の父親は、ひとりで世界の潮流に抵抗しようとした。

ひとりの人間が世界に抵抗することは、海の色を絵の具で変えようとするようなもの、不可能であり、負け戦だとわかりきっているのに、なぜ、と人は言い、彼らを「狂人」と呼ぶ。

それでも、世界に抗い、降伏を拒み、罵倒せずには生きられない人間がいる。『アフター・クロード』の語り手ハリエットも、そういう人間のひとりだ。

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『心経』閻連科|聖俗が入り乱れる宗教カオス

共産党はキリストの弟子だということを知っているかい?

――閻連科『心経』

 

多くの現代日本人は、宗教のことなどわからない、と言う。一方で、クリスマスと仏教式葬式とお参りを熱心に行う。不確かな未来を生きるための指針として、占いは大人気コンテンツで、巨大産業だ。

日本では、宗教共同体の形は目立たずとも、「ご利益」「未来の行動指針」「見えない力」への信仰が根強く、日常生活に溶けこんでいる。多神教をベースにした、「アジア的混沌」とでもいえる宗教観だと思う。

では、中国共産党が支配する中国では、宗教はどういう立ち位置なのだろうか? 

「タブーの作家」と呼ばれる作家は、「中国×宗教」のテーマで、驚くべき宗教カオス小説をつくりあげた。

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『断絶』リン・マー|疫病世界で追憶するゴーストたち

思い出は、さらに思い出を生む。

ーーリン・マー『断絶』

 

世界中に広がる疫病、きわめて高い感染率、治療薬なし、ゾンビ化して死ぬ感染者、廃墟と化する都市、生き残りたちのシェルター退避。

こんな設定の小説といえば、ハリウッド映画のようなアポカリプス・ゾンビ・アクションパニックものかと思うが、その予想は裏切られる。パニック映画よりは、むしろサイレント映画のほうが、雰囲気が近い。

断絶 (エクス・リブリス)

断絶 (エクス・リブリス)

 
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『ゼアゼア』トミー・オレンジ|都市インディアンよ語れ、その身にうけた虐殺を

銃弾と成り行きはさまよい、今もまだ不意をついてわたしたちの身体に降りかかる。

ーートミー・オレンジ『ゼアゼア』

 

銃弾によって開幕し、銃弾が重要な役割を果たす小説『ゼアゼア』は、小説そのものも銃弾のようだ。

銃弾のような言葉には、信念、理想、怒り、呪い、これらの激情がこめられていて、不意打ちのように現れては、読み手を貫く。

ゼアゼア

ゼアゼア

Amazon

 

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『王の没落』イェンセン│国の命運を左右する、屈指の優柔不断

溌剌とした元気はホラ話をしたり人を威嚇する時によく発揮され、人間の最高の威力は、とてつもない嘘をつくときに発現するのだ。人は自己の生命力が最高点に達した時点で、他人を殺さなければならない。生が人を殺すのだ。

ーーイェンセン『王の没落』

 

『王の没落』には、驚かされた。

渋いタイトル、実在した王を描いた歴史小説ノーベル文学賞受賞作家の代表作、デンマーク人が「20世紀最高のデンマーク小説」に選んだ小説というから、正統派の王道歴史小説を想像していたら、ぜんぜん違った。

夢想家の暴君、破滅的な男たち、蹂躙される女たち、発作のように暴発する暴力、国の命運を左右する優柔不断、突然の謎展開。私の「予想外だった海外文学2021」1位は、『王の没落』だと思う。

王の没落 (岩波文庫 赤 746-1)

王の没落 (岩波文庫 赤 746-1)

 
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『消失の惑星』ジュリア・フィリップス │閉ざされた土地、痛みの波紋

あなたがもっといい親だったら、もっと注意していれば、もっと親としての自覚を持っていれば、娘はいまも一緒にいたのだと自分を責め続けるのは――ただ自問するのではなく――どんな気分ですか? どうすれば生きていけますか?

ーージュリア・フィリップス『消失の惑星』

 

土地は、住む人の気質と歴史を形づくり、住む人の気質と歴史もまた、土地をその土地たらしめる。こういう土地と人と時間が混然一体となった「土地小説」が好きで、いろいろな土地の土地小説を読んでいる。

『消失の惑星』は、寒いロシアの中でもとりわけ寒く、異質な特徴と歴史を持つ土地、ロシア北部カムチャッカ半島を舞台にした、土地小説だ。

消失の惑星【ほし】

消失の惑星【ほし】

 
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『星の時』クラリッセ・リスペクトル|自分が不幸だと知らない少女

彼女には能力がなかった。人生を送る能力が。うまくやっていく力がなかった。

ーークラリッセ・リスペクトル『星の時』

 

「あの人は純粋無垢だ」「無垢な人が好き」という表現には、言外に、どこか不穏な気配が宿る。

嘘をつかず、疑うことを知らず、世界と他者の残酷を知らないままこの世を生きることを「無垢」と呼ぶなら、無垢であることは、世界と他者とその残酷にたいしてノーガードで生きることだ。

無垢な人は、危険を察知してみずからを守る防御力がない。運に恵まれれば穏やかに生きられるが、そうでなければ、残酷の餌食となる。

星の時

星の時

 
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『逃亡派』オルガ・トカルチュク│動け、進め、行くものに祝福あれ

「家、どこにあるか覚えてる?」

「覚えてるわ」アンヌシュカは言った。「クズネツカヤ通り四十六番地、七十八号室」

「それ、忘れなよ」

ーーオルガ・トカルチュク『逃亡派』

 

10代の頃からずっと、「逃亡」へのゆるやかなオブセッションを抱え続けている。

ここではない別の場所へ行きたい、違う場所へ移動したい、という思いは、自分の意志と資金で行動できる年齢になった時、「旅行」という形で現れた。

10代から20代前半にかけて、移動への引力に引きずられるようにして、旅をしていた。すぐ移動しなくては、と発作のように思いつくので、友人と計画を練る暇などなく、だいたいは1週間以内にぱぱっと目的地を決めて計画をつくって実施する一人旅だった。いつ移動発作がきてもいいように、目的地不明の旅行資金口座を持っていた。

目的のない旅、逃げる対象があいまいな逃亡、移動そのものへの欲求。『逃亡派』にも、こうした移動と逃亡の引力が満ちている。

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【2021年まとめ】海外文学の新刊を読みまくったので、一言感想を書いた

2021年は、海外文学の新刊を読みまくった。

本の雑誌』の新刊ガイド連載「新刊めったくたガイド」の海外文学担当になったからだ。

「新刊めったくたガイド」は、ジャンルごとにわかれて、毎月4冊以上の新刊を紹介する連載だ。日本文学、海外文学、SF、ミステリ、ノンフィクションと、ジャンルごとに担当者が書いている。

これだけ新刊まみれになるのは人生はじめての経験だったので、記憶が飛ばないうちに、読んだ海外文学の感想を書いておくことにした。

ここで言う「新刊」の定義は以下のとおり(『本の雑誌』ルール)。

・2021年に発売した、海外文学の翻訳
・新訳、復刊は対象外

 

目次

  • ■2021年のアイ・ラブ・ベスト本
  • ■2021年に読んだ海外文学:新刊
    • 【イギリス】 カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
    • 【イギリス】 イアン・マキューアン『恋するアダム』
    • 【イギリス】 エドワード・セント・オービン『ダンバー メディア王の悲劇』
    • 【イギリス】 R・L・スティーヴンソン、ファニー・スティーヴンソン『爆弾魔 続・新アラビア夜話』
    • 【イギリス】 エドワード・ケアリー『飢渇の人』
    • 【イギリス】 ジェローム・K・ジェローム『骸骨』
    • 【イギリス】 アリ・スミス『冬』
    • 【イギリス】 マギー・オファーレル『ハムネット』
    • アメリカ】 トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』
    • アメリカ・ロシア】ジュリア・フィリップス『消失の惑星』
    • アメリカ】リン・マー『断絶』
    • アメリカ】 モナ・アワド『ファットガールをめぐる13の物語』
    • アメリカ】 ウィリアム・フォークナー『土にまみれた旗』
    • アメリカ】 オーシャン・ヴォン『地上で僕らはつかの間きらめく』
    • アメリカ】 アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』
    • アメリカ】 ジェスミン・ウォード『骨を引き上げろ』
    • アメリカ】シャーリィ・ジャクスン『壁の向こうへ続く道』
    • アメリカ】 タナハシ・コーツ『ウォーターダンサー』
    • アメリカ】 マシュー・シャープ『戦時の愛』
    • アメリカ】 キャスリーン・デイヴィス 『シルクロード
    • アメリカ】 ネイサン・イングランダー『地中のディナ―』
    • 【ドイツ】 ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』
    • 【ドイツ】アネッテ・ヘス『ドイツ亭』
    • 【フランス・台湾】 ジョージ・サルマナザール『フォルモサ
    • ポルトガルジョゼ・サラマーゴ『象の旅』
    • 【スペイン・バスク】 フェルナンド・アラムブル『祖国』
    • 【スペイン】 アナ・マリア・マトゥーテ『小鳥たち』
    • 【スペイン】 エンリーケ・ビラマタス『永遠の家』
    • デンマーク】 イェンセン『王の没落』
    • デンマーク】 イェンス・ピーター・ヤコブセン『ニルス・リューネ』
    • チェコ】 アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』
    • セルビア】 ミロラド・パヴィッチ『十六の夢の物語』
    • ベラルーシ】 サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』
    • 【ロシア】 リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』
    • レバノン】 ワジディ・ムアワッド『アニマ』
    • 【ナイジェリア】 チゴズィエ・オビオマ『小さきものたちのオーケストラ』
    • マルティニークエドゥアール・グリッサン『マホガニー
    • カリブ海】 テレーズ・ジョルヴェル『カリブ海アンティル諸島の民話と伝説』
    • 【コロンビア】 フアン・ガブリエル・バスケス『廃墟の形』
    • 【アルゼンチン】 アドルフォ・ビオイ・カサ―レス『英雄たちの夢』
    • 【アルゼンチン】 シルビナ・オカンポ『蛇口』
    • 【ペルー】 マリオ・バルガス=リョサケルト人の夢』
    • 【ブラジル】 クラリッセ・リスペクトル『星の時』
    • 【中国】 閻連科『心経』
    • 【台湾】 呉明益『複眼人』
    • 【台湾】 『蝶のしるし 台湾文学ブックカフェ1 女性作家集』
    • 【韓国】 キム・オンス『キャビネット
    • 【韓国】 クォン・ヨソン『まだまだという言葉』
    • シンガポール】 アルフィアン・サアット『マレー素描集』
    • 【世界各国】 沼野充義藤井省三編『囚われて 世界文学の小宇宙2』
  • ■2021年に読んだ海外文学:新訳・復刊
    • 【イタリア】イタロ・ズヴェーヴォ『ゼーノの意識』
  • 後記

 

■2021年のアイ・ラブ・ベスト本

アメリカ】ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』

原題『Florida』というど直球のタイトルどおり、フロリダという土地への愛憎を語る作品が集まった短編集。土地と土地への感情が渦巻く「土地サーガ小説」が好きな私にとっては、もうそのたたずまいだけで好きになってしまう。

グロフが描くフロリダは、湿地の影に蛇とワニがうごめき、ハリケーンと亡霊が跋扈する、闇と湿度と耐えがたい暑さに満ちた、異様な土地だ。幻想のフロリダ、メディアの中のフロリダ、記憶の中のフロリダが混沌と混じりあって、もはやフロリダがどんな土地なのか、わからなくなる。癖のある語り手の語り口も、不思議とはまった。

 

アメリカ】 ジェニー・ザン『サワー・ハート』

『サワー・ハート』は、これまで読んだアメリカ移民小説の中でも、とびきり印象的で、好きな小説になった。

文革下の中国からアメリカに移民した中国人一家の短編集である。1作目から、まずその強烈な極貧生活に驚く。ゴキブリがゼロ距離射程で飛び回り、足がかゆすぎて眠れず、家具が片っ端から盗まれる、すさまじい生活が、ポップな口調で語られる。

家が狭すぎるせいか、社会とのつながりが薄いからか、家族関係もべったりと濃密で、共依存のような幸福と息苦しさが描かれる。「パパとママと私はハンバーガーのような関係」というセリフが印象に残る。また、強烈だったのが、孫に異常な執着を見せる祖母のトランポリンシーンだ。このシュールさはすごい。きっとずっと覚えていると思う。

「家族の絆」どころではない、家族もみくちゃ巨大団子みたいな関係が、時を経て変わっていくのには、しみじみとした。これほど濃密で苦しさを感じたとしても、底にあるのは家族への愛なのだ。

 

ポルトガル】 ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム

読書会を開催したので、エルサレム休暇をとって3回ほど読んだ。この小説は、重ねて読みたくなる小説だ。初読時「よくわからんがすごい」と衝撃を受け、「多層的な作品だから読書会向き」と思って読書会をひらいてまた読んで、読書会中にも読んで、そのたびに発見があった。

誰もが寝静まる夜中に、5人の不眠者たちが、それぞれが孤独に町を彷徨している。彼らは、誰もが狂気交じりの切実さで、なにかを探し求めている。

作品中のほとんどが夜と闇で、人間のうちにひそむ「悪」がぽっかりと口を開けて人間を容赦なく飲みこんでいくのだが、ラストでは夜明け間近の明るさを感じる。

エルサレム』は王国シリーズのうちの1作らしい。全部読みたいので、全部出してほしい。

 

エストニア】 アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』

はじめて読んだエストニア文学に、みごとに眉間をぶち抜かれた。

エストニアの森に住み、古くから伝わる蛇の言葉を話す「最初で最後の男」が、今はもう滅びた蛇の言葉とその文化を語る。その語りは壮絶で、近代化に飲まれる古代文化の滅びを、容赦なく徹底的に描ききっている。この本を読むと、「滅び」を描く作品の大半が、甘っちょろく見えてくる。

滅びへの筆致だけではなく、登場人物&人外の濃さもすごい。巨大シラミ、「海外文学ヤバいジジイ選手権」トップに躍り出たヤバ祖父など、強烈なキャラクターぞろいで楽しい。

「滅び」を描いた文学として、痛ましくも激しく、素晴らしい。ファンタジー愛好家は、読んで眉間を撃ち抜かれるべし。

 

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『恋するアダム』イアン・マキューアン|男と女と機械の三角関係から問う、「人間とはなにか」

…しかし、男や女と機械が完全に一体になった暁には、こういう文学はもはや不必要になります。なぜなら、わたしたちはおたがいを十分すぎるほど理解するようになるからです。…インターネットはそのごく幼稚な前触れにすぎないのです。

ーーイアン・マキューアン『恋するアダム』

 

「ロボットについて考えることは、人間について考えることだ。両者の差を考えるには、両者について深く知る必要があるからだ」と、あるロボット工学者は言った。

人間の心と揺らぎを緻密に描いてきた技巧派シニカル英国紳士が、人間以外の存在、人工知能とロボットについて語る時、ロボットにはどんな「人間らしさ」と「人間らしくなさ」が与えられるのだろう? 『恋するアダム』を読む前、考えたのはこんなことだった。

 

恋するアダム (新潮クレスト・ブックス)

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『丸い地球のどこかの曲がり角で』ローレン・グロフ|フロリダ、ワニと亡霊が蠢く異形の土地

ためしに一度、フロリダで戸外を歩いてみるといい。あなたは始終、蛇に見はられていることになる。植物の根を覆う敷き藁の下に蛇がいる。灌木林に蛇がいる。

――ローレン・グロフ 『丸い地球のどこかの曲がり角で』

 

フォークナーのヨクナパトーファや、ル・クレジオマルティニーク中上健次の路地のように、愛憎まじえた執念に近い迫力で、ある土地について書き連ねる作品群が好きだ。

だから「フロリダ」(原題)という直球のタイトルで、フロリダについて描くこの短編集は、もうその佇まいだけで好きになってしまう。

丸い地球のどこかの曲がり角で

丸い地球のどこかの曲がり角で

 

 

"サンシャイン・ステート"フロリダは、太陽光に満ちた明るい土地、リタイア後の保養地としてアメリカ人が好む土地、ディズニー・ワールドなどがたくさんある人気の観光地という印象がある。

しかしグロフが描くフロリダは、湿地の影に蛇とワニがうごめき、ハリケーンと亡霊が跋扈する、闇と湿度と耐えがたい暑さに満ちた、異様な土地だ。

不穏な異形の土地となったフロリダについて、著者は、愛憎が入り交じった語り口で語る。 続きを読む

『ドイツ亭』アネッテ・ヘス|ホロコーストの風化を阻止した歴史的裁判

かつて、ドイツ国民の多くがホロコースト絶滅収容所を知らず、過去を見ないようにしようとする時代があった。

 

現代ドイツでは、国民は皆、ナチとホロコーストの歴史を学び、ホロコースト否定やナチ礼賛は犯罪と見なされる。

この姿勢から、ドイツは過去と向き合う国家だ、との印象があるが、こうなるまでのドイツは戦後20年近く、うやむやのままに過去を水に流そうとしていた。

 

『ドイツ亭』は、ドイツ国民にホロコースト絶滅収容所を知らしめた歴史的な裁判、1960年代の「アウシュビッツ裁判」を描く。

なにが歴史的なのかといえば、ドイツ人がみずからの手でナチ犯罪を裁いた最初の裁判で、ドイツの歴史観や司法に決定的な影響を与えた裁判だからだ。この裁判なくして現代ドイツはありえない、といっても過言ではない。

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『ミルクマン』アンナ・バーンズ| 前門のストーカー、後門の同調圧力

 本の読み歩きとプラスチック爆弾、このあたりじゃどっちが普通だと思う?

――アンナ・バーンズ『ミルクマン』

 

『ミルクマン』を読んで、思わずうめいた。いったいなぜこれほどストレスフルでやばいもの――「同調圧力社会」と「ストーカー被害」――を1冊の中に詰めこんだのだと。

 

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