ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『心経』閻連科|聖俗が入り乱れる宗教カオス

共産党はキリストの弟子だということを知っているかい?

――閻連科『心経』

 

多くの現代日本人は、宗教のことなどわからない、と言う。一方で、クリスマスと仏教式葬式とお参りを熱心に行う。不確かな未来を生きるための指針として、占いは大人気コンテンツで、巨大産業だ。

日本では、宗教共同体の形は目立たずとも、「ご利益」「未来の行動指針」「見えない力」への信仰が根強く、日常生活に溶けこんでいる。多神教をベースにした、「アジア的混沌」とでもいえる宗教観だと思う。

では、中国共産党が支配する中国では、宗教はどういう立ち位置なのだろうか? 

「タブーの作家」と呼ばれる作家は、「中国×宗教」のテーマで、驚くべき宗教カオス小説をつくりあげた。

 

舞台は、北京にある「五大宗教研修センター」。政府が活動を認める五大宗教(仏教、道教イスラム教、カトリックプロテスタント)の信徒が集まって、共同生活を営んでいる(多神教感覚だとたいして違和感がないが、一神教感覚だと宗教家たちが共同生活をしている時点で、なんだこれは、となる)。

物語は、謎のセンター恒例行事「五大宗教信徒たちの綱引き」で幕を開ける。

「綱引き」とは、体育祭でよく見るあれ、太い綱の両端をチームが引きあうスポーツの綱引きだ(最初は比喩だと思ったが違った)。宗教家たちが宗教ごとチームにわかれて汗水たらして交流を深める描写は、無駄に血肉わき躍る迫力がある。もうぜんぜん意味がわからないが、彼らも上層部も真剣だ。

若き宗教家たちは、友情を育み恋愛に没頭し、権力志向が強い者たちは、中国共産党をトップにすえた権力闘争に明け暮れる。宗教への情熱と、権力、政治、性欲、嫉妬、賄賂といった世俗の欲望が吹きあがり、純真な尼僧を飲みこんでいく。

「みんな信徒であると同時に、社会人なんだ。社会人は昇進、肩書、待遇を気にしないわけにはいかない。気にしなければ、もはや人間ではなく神だ。しかし、神ならば人間のことを考えるべきだろう? 神が人間のことを考えなければ、人間にとって神は必要ない」

 

すごい小説だ。宗教団体の腐敗はめずらしいことではないが、この宗教センターでは、世界の名だたる宗教が「中国共産党」をトップにすえた宗教と化し、読み替えられていく。

現代社会における伝統的宗教の弱体化、神の弱体化が、中国共産党の支配権でどうなるか、作者はブラックユーモアに満ちた語りで描いている。

「多くの西洋の国と一部の中国人が、この国と党がつぶれることを願っているにもかかわらず、なぜ国と党はつぶれないのか? なぜアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなどの資本主義国家を失望させるのか?」……

「それは、この国と党が人知れず、『聖書』やキリストと連携しているからだ。共産党はキリストの弟子だということを知っているかい?」

信仰を貫ききれない信徒たちの姿は、良くも悪くも人間らしい。読み始めたときは荒唐無稽なように思えた綱引きシーンが、信仰と欲望の間で揺れる信徒の心と重なって見えてくる。ときおり挿入される「菩薩と老子の切り絵物語」がまた独特で、「宗教の混合と読み替え」が、いくつもの物語と語り口で、重ねて描かれる。

「おまえたちの信仰はみな、物語があって神があるのではないか? 言ってみれば、信仰とは物語なのだ。世界は物語の力で成り立っている。人はみな物語のために、この世界で生きている」

 

『心経』では、宗教が混合し、聖俗が混合し、人間と神の地位は逆転する。五大宗教センターは、宗教カオスの爆心地である。

人類は、「神がいるから人が生まれたのではなく、人がいるから神が生まれたのだ」「役に立たない神はいらない」「信仰とは物語」と言い切るところまで、神離れしている。一方で、神頼みを無邪気に祈り、未来を占うことには熱心であり続ける。

よりよく生きたい、見返りが欲しい、迷った時の指針が欲しい、居場所が欲しい、安心感が欲しい、といった人間の欲望は今も昔も変わらないが、古い宗教はもはやその願いに応えきれない。

伝統宗教中国共産党へは挑戦的なスタイルをとっているものの、土台にある「現代社会における宗教の弱体化」の描きかたは王道で、混合宗教を生きている現代人にとってはなじみがある感覚を描いていると思う。

私たちは、神がいない中で、救いを探さなくてはならない時代に生きている。なんと生きづらく、迷いやすいことよ!

「なにが見えた?」

雅慧は厳粛に言った。

「菩薩様が見えた」

明正はさらに尋ねた。

「菩薩様はどんな姿をしていた?」

雅慧は言った。

「あなたや私と変わりないわ」

明正も顔を上げて空を見た。まるでキリンが首を伸ばして期の葉を食べようとするかのように。

雅慧が尋ねた。「何が見えた?」

明正が言った。「老子が見えた」

雅慧はさらに尋ねた。「老子はやはり白い髭をはやしているの?」

明正は言った。「きみやぼくと変わりないさ」

 

Related


現代社会における伝統宗教の凋落と、新しい信仰の勃興というテーマは、ウエルベック小説にも見られる。