ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『断絶』リン・マー|疫病世界で追憶するゴーストたち

思い出は、さらに思い出を生む。

ーーリン・マー『断絶』

 

世界中に広がる疫病、きわめて高い感染率、治療薬なし、ゾンビ化して死ぬ感染者、廃墟と化する都市、生き残りたちのシェルター退避。

こんな設定の小説といえば、ハリウッド映画のようなアポカリプス・ゾンビ・アクションパニックものかと思うが、その予想は裏切られる。パニック映画よりは、むしろサイレント映画のほうが、雰囲気が近い。

断絶 (エクス・リブリス)

断絶 (エクス・リブリス)

 

 

舞台はアメリカ、ニューヨーク。語り手のキャンディスは、幼いころに中国から移民してきた中国系アメリカ人だ。自由人気質の恋人と小さなアパートメントに住み、ニューヨークの小さな出版関連会社で、聖書を担当している。情熱をそそげる仕事ではないが、堅実な生活のために、キャンディスは仕事を淡々と続けていた。

そんな折、中国深センで発生した未知の病気「シェン熱」が世界中に広がり、世界が激変する。シェン熱は、感染力が高く、致死率も高く、治療方法は存在しない。感染者は、ゾンビ化してから死に至る。

ニューヨーカーたちは都市離脱あるいは感染し、ニューヨークはゴーストタウンと化す。キャンディスは、感染をまぬがれ、崩壊していくニューヨーク、アメリカ人、アメリカを観察し続ける。

 

こうして書いてみると、やはり、どたばたパニックアクションもののように思える。いちおう終末サバイバルの展開があって、それなりに緊迫感もある。

だが、サバイバル・アクションが中心ではない。

もっと言えば、この小説はつねに、疫病で世界が死につつある"現在"よりも、"過去"のほうに軸足を置いている。

キャンディスは、疫病が流行し始めた頃や、親がアメリカに移民してきた経緯など、過去を思い出して語る。

さらに、シェン熱にかかった感染者ゾンビも、過去にとらわれている。ゾンビとなった感染者は、家事や仕事など、これまでいちばん慣れ親しんだ習慣をひたすら繰り返す。

パニックの激しさとスピードは、追憶と、日常の変わらないルーティーンに絡めとられ、スローダウンする。

この設定がじつに奇妙で、ほかの疫病小説やゾンビものとは一線を画した、独特な雰囲気をうみだしている。

 

『断絶』は、いろいろな面を持った小説だ。「疫病小説」でもあり、移民2世の生きづらさを告白する「移民小説」でもあり、資本主義に慣らされ最適化してしまった人類の「お仕事小説」でもある。

労働の所作をくりかえすゾンビは、資本主義に組みこまれた人類の哀切を体現しているし(いちばん慣れ親しんだ行動が、労働なんて!)、感染をまぬがれたキャンディスも、やりたいことを諦め、好きでもない仕事を淡々とこなし、世界が滅びつるある時でも仕事を続ける。

変わらぬルーティーンをこなすことで、耐えがたい現実を生き延びようとする気持ちはわかる。それでも、感染者ゾンビと、廃墟で仕事を淡々とこなすキャンディスの行動に、どれほどの違いがあるのだろうか?

シェン熱とは記憶の病であり、熱病感染者は自分の思い出のなかに果てしなく囚われてしまう。でも、熱病感染者と私たちとのちがいはどこにあるのだろう。私だって思い出すし、完璧に覚えているからだ。命じられるわけでもなく、私の思い出は再生し、繰り返す。

 

人間は、慣れ親しんだ行動や思考の癖、記憶から逃れられない。忙しくなればなるほど、脳の自動運転モードを駆使して思考エネルギーを節約するし、現実を生きていながら、過去の執着や記憶にとらわれる。

キャンディスも、そういう意味ではゾンビ的、ゴースト的だ。ゴーストタウンとなったニューヨークを歩き回って写真(追憶の装置)をとるキャンディスと、彼女の写真ブログタイトル「NYゴースト」は、示唆的だと思う。

 

「今」に目を向けざるをえない(現在から目をそらしたらだいたい死ぬ)パニックものの枠組みで、「過去」に目を向け、過去にとらわれた人たちの物語を描いた『断絶』は、地味ではあるが変わっていて、ほかの疫病小説にはない、現実離れした浮遊感がある。モノクローム写真のような静かな雰囲気が、私は好きだ。

現実パートよりも過去パートのほうがおもしろいので、アポカリプス疫病サバイバル小説を求める人には、拍子抜けするかもしれないし、展開が遅すぎると感じるかもしれない(帯文はわりとアポカリを推しているが)。

でもたぶん、『断絶』はそういう小説ではない。追憶して、それからひどい現実を見つめ、未来に向かう話なのだ。

 

 

Related:追憶の物語、終末の物語

崩れゆく廃墟の中で、追憶する言葉を書いた小説のなかで、もっとも好きな小説。

 

ゼーバルトもまた、追憶の作家である。死者が傍らにいる現在を生きていて、現在を見ながら、つねに過去へ地滑りしていく。

 

死を前にした男が、現在、過去、未来を横断する、追憶の物語。第一人称、第二人称、第三認証を用いた語りで、記憶小説の中では圧巻の出来栄え。

 

王道の終末アポカリプス小説。マッカーシーの世界では、現在から目をそらしたら一瞬で死ぬ。今を生きろ!