ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『フライデー・ブラック』ナナ・クラメ・アジェイ=ブレニヤー|人種差別、ゾンビ、銃犯罪のアメリカン・ディストピア

「たくさん買えましたか?」と俺は訪ねた。彼女は激しくうなずくと、テレビが入った箱の表面を撫でた。「ご家族はまだ買い物中で?」 女性は目の前の血溜まりの中に、人差し指を突っ込んだ。 「四十二インチ、HD」と彼女は言った。 この家族がこのテレビを変…

『チャイルド・オブ・ゴッド』コーマック・マッカーシー|孤立と貧困で転落する神の子

蝙蝠の群れが去ったあとは煙出しの穴から見える冷たい星の大集団を眺めてあれらの星は何でできているのか、自分は何でできているのかと考えた。 コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』 「なぜつらい小説を読むのか、つらい話が好きなのか」…

『血と暴力の国』コーマック・マッカーシー|出会ってしまったら終わりの災厄

出直しなんてできないんだ。そういう話だよ。きみのどの一歩も永遠に残る。消してしまうことはできない。どの一歩もだ。言ってることわかるかい? ーーコーマック・マッカーシー『血と暴力の国』 『悪の法則』と『血と暴力の国』を続けて読んで、この2冊は異…

『悪の法則』コーマック・マッカーシー|処刑器具として動き出す世界

自覚しておいてほしいのはあんたの運命はもう固まってるってことだ。 ーーコーマック・マッカーシー『悪の法則』 たとえば国境をわたる時、私たちはたいてい、自分の歩く道は自由に行き戻りできる双方向の道で、ちょっと冒険に出てもすぐに戻ってこられると…

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー|理想の家族、理想の夫婦という幻影

「度しがたい道徳家なんだなあ、きみは」 ――アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』 人間は自分が見たいように世界を見るし、自分が見たいように他者を見る。自分に似たところを見つけたり、自分がなりたい姿を見出せば、他者を好きになるし、自分にある…

『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー 』シモーヌ・ヴェイユ|不幸の底へ下り、愛へ飛躍する

わたしたちが生きており、その微小な部分をなしているこの宇宙は、神の<愛>によって神と神とのあいだに置かれたこの距離である。わたしたちはこの距離における一点である。時間・空間、物質を支配しているメカニズムは、この距離である。わたしたちが悪と…

『錬金術の秘密』ローレンス・M・プリンチーペ|錬金術を現代科学の視点で再評価する

ウシの死骸からハチが生まれ、腐葉土からムシがわくという例のように、生命をもたない物質から生物が生じるのは日常的なことであり、中世や初期近代の知識人たちは実験室での生命体の生成を不可能だとは考えなかった。 ーーローレンス・M・プリンチーペ『錬…

『秘義と習俗』フラナリー・オコナー|私は南部とキリスト教の小説家

真のカトリック小説は、人間を決定されたものとは見ない。人間を、まったく堕落したものと見ることはない。かわりに、本質的に不完全なもの、悪に傾きやすいもの、しかし自身の努力に恩寵の支えが加われば救済されうるものと見るのである。 ――フラナリー・オ…

2019年は休む年だった

2019年は、休む年だった。 ここ数年ほどなにかに取り憑かれていたらしく、人生にいろいろ詰めこみすぎて、追われるがままに動き続けていた。刺激的で楽しかったけれど、やはり無理がきていたのだろう。2018年12月にふつりとなにもしたくなくなった。メールを…

『フラナリー・オコナー全短篇』フラナリー・オコナー |目の中の丸太を叩き落とす、劇的な一瞬

「なにを言うの! 田舎の善人は地の塩です! それに、人間のやりかたは人それぞれなのよ。いろんな人がいて、それで世の中が動いてゆくんです。それが人生というものよ!」 「そのとおりですね。」 「でも、世の中には善人が少なすぎるんですよ!」 ーーフラ…

『重力の虹』トマス・ピンチョン|重力を切り裂いて、叫べロケット

この上昇は<重力>に知られるだろう。だがロケットのエンジンは、脱出を約束し、魂を軋らせる、深みからの燃焼の叫びだ。生贄は、落下に縛り付けられて履いても、脱出の約束に、予言に、のっとって昇っていく…… ーートマス・ピンチョン『重力の虹』 これま…

『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』巽孝之|アメリカを『白鯨』で読み解く試み

かつて、世界が鯨で廻っていた時代がありました。……鯨がすべてのエネルギー源として世界全体を作りあげ、地球全体を回転させていた時代が確実にあったのです。 ――巽孝之『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』 私は『白鯨』が好きだ。アメリカ南部小説を読み…

『アメリカ南部』ジェームス・M・バーダマン丨アメリカの内なる異郷、アメリカ南部

南部は奴隷制度に対する考え方にとどまらず、経済、農業政策、政治的展望などの点においても北部と意見を異にしていた。今日、奴隷制度は廃止され、政治風土も大きく変わり、メディアという媒体の発達を通じてアメリカの均質化は進む一方である。しかし、そ…

『砂の子ども』ターハル・ベン=ジェルーン|男性として育てられたイスラム女性の伝説

今は嘘と欺瞞の時代です。ぼくは、存在か、それともイメージなのか。肉体か、それとも権威なのか。枯れた庭の石か、それとも動かぬ木ですか。言ってください。ぼくは何者なのか。 ――ターハル・ベン=ジェルーン『砂の子ども』 私の心にはおそらくずっと地平…

『心霊の文化史』吉村正和|「自己啓発・社会改革」を目指した19世紀スピリチュアリズム

19世紀後半において心霊主義は、現代のイメージとは逆に、建設的で明るい社会改革運動という側面も備えていた。心霊主義は、心身ともに健康な個人を完成する手段であるだけでなく、「改善、進歩、人間性」を標榜して社会の完成をも目指す<自己>宗教として…

『死に山 ディアトロフ峠事件の真相』ドニー・アイカー|ロシア史上最も謎に満ちた怪死事件

「もし神にひとつだけ質問できるとしたら、あの夜、友人たちにほんとうはなにが起こったのか訊きたい」――ユーリ・ユーディーン ディアトロフ峠(死の山)事件は、いろいろな意味で異常かつ奇怪な事件だ。 60年前の真冬にウラル山脈にある通称「死の山」で、…

『ペルセポリス イランの少女マルジ』マルジャン・サトラピ|故郷がイスラム原理主義に一変した少女の記録

生のことだけ考えていたかった。でも、それはやさしいことではなかった ――マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』 これまでできていたことができなくなったり、話せたことが話せなくなったり、選べていたものが選べなくなったり、やらなくてよかったことをや…

『波』ソナーリ・デラニヤガラ|耐えがたい現実を生き延びる、壮絶な絶叫と回復

告白しないのは、まだ私自身が、起こったことをこんなにも信じていないからだとも思う。私はまだ愕然としている。自分に真実を言い聞かせなおすたびに唖然とするのだから、なおさらだろう。だから私は手間を省くために回避する。私は自分がその言葉を言うと…

『淡い焔』ウラジミール・ナボコフ|ボリウッド+サイコホラー映画めいた文学解説

私としても、明快たるべき文献研究資料をねじ曲げ変形させて、怪物じみた小説もどきを拵えるつもりは毛頭ない。 ――ウラジミール・ナボコフ『淡い焔』 『Pale Fire(淡い焔)』という厳かな題名、「詩に注釈をつける男の物語」という生真面目なあらすじからは…

『生物学と個人崇拝 ルイセンコの興亡』ジョレス・メドヴェージェフ|国ぐるみで疑似科学を礼賛したカルト国家

「あなたはなぜダーウィンについて語り、なぜマルクスとエンゲルスから例を挙げないのか? マルクス主義とは唯一の科学である。ダーウィニズムは一部にすぎない。真の世界認識論をもたらしたのはマルクス、エンゲルス、レーニンなのだ。 ーージョレス・メド…

『隠された悲鳴』ユニティ・ダウ|強者が弱者をすりつぶす「儀礼殺人」の邪悪

これから5年後に、ひとつの箱が開かれ、無視することのできない悲鳴が漏れ出すことなど、3人は知る由もなかった。 ーーユニティ・ダウ『隠された悲鳴』 海外文学を読み始めてから、魔術に関するニュースを追うようになった。東欧やアフリカでは魔術が日常に…

『アイスランドへの旅』ウィリアム・モリス|19世紀の北欧神話オタク、聖地巡礼の旅

アイスランドはすばらしい、美しい、そして荘厳なところで、私はそこで、じっさい、とても幸せだったのだ。 ――ウィリアム・モリス『アイスランドへの旅』 ヨーロッパに住んでいた頃、時間を見つけてはヨーロッパの国々を周遊していた。どこの国がよかったか…

『方形の円 偽説・都市生成論』ギョルゲ・ササルマン|建築不可能な都市たちの生と死

その都市には起点も終点もなかった。いつもその周囲に群がっているヘリコプターから見ると一つの巨大な塔に似ていて、頂上部は遠近法効果で小さく見え、遠い彼方に消えていた。 ーー「ヴァーティシティ 垂直市」 『方形の円 偽説・都市生成論』は、タイムラ…

『ミステリウム』エリック・マコーマック|奇病で村全滅ミステリのふりをしたなにか

「動機。あなたはほんとうに動機や原因や結果みたいなものを信じているの? 本や劇以外で、未解決の事柄がきちんと片付くと信じているの?」 ーーエリック・マコーマック『ミステリウム』 マコーマックは、物語を組み上げると同時に内側から解体しにかかる作…

『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン|「私以外のなにか」になっていく私

彼らが恐れているのは、自分が生きているのか死んでいるのか、わからなくなってしまうことなのだ。ふたたび生に戻ってこなくて済むよう、自分の死にはっきり輪郭が与えられることを彼らは望んでいる。 ――ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』 自分が自分…

『パラダイス・モーテル』エリック・マコーマック|「そんなばかな」の大盤振る舞い

おかしなことじゃないか? 人が心に秘めて話さないことがそんなにも重要だとは。人が話すことのほとんどすべてがカモフラージュか、ひょっとすると鎧か、さもなければ傷に巻いた包帯にすぎないとは。 ――エリック・マコーマック『パラダイス・モーテル』 「ホ…

『素晴らしきソリボ』パトリック・シャモワゾ―|小説が再現できない「語り」の魔術

彼にとっては、書くことでは物事の本質をとらえることはできないのです。 ――パトリック・シャモワゾ―『素晴らしきソリボ』 じつににぎやかな小説だ。文字よりも声への敬意に満ちている。 かつてすべての物語が声で語られた時代があった。ええくりいく! と語…

『レザルド川』エドゥアール・グリッサン|原色の自然と情熱が踊る

それは町だ、砂糖キビと湿地帯と遠い海と近い泥からなるちっぽけな土地だ。そしてレザルド川を忘れることはできない。 ――エドゥアール・グリッサン『レザルド川』 フォークナーのヨクナパトーファ郡、中上健次の紀州のように、土地そのものが小説の重要な主…

『黒人小屋通り』ジョゼフ・ゾベル|過酷で美しい少年時代

大人の黒人たちが裸になって立派な馬の隣に立つ姿が湖の水に映っているのほど、素朴で美しいものを見たことがなかった。 ――ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』 今年の夏は、例年どおり八月の光に誘われて、アメリカ南部の小説をぐるぐるとめぐっていた。南部…

『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド|自分をすりつぶす場所から逃げよ

こんなにも家から離れたことはかつてなかったことだった。この瞬間に鎖に繋がれ連れ戻されたとしても、歩んできたこの数マイルは自分のものだ。 ――コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』 逃げることについて、私はわりと前向きな気持ちを抱いている種類の人…