ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書くブログ

『風船』ペマ・ツェテン|伝統と現代が渦巻くチベット

「あなた、すでに三人も子供がいて、またもう一人産むつもり? 私たちチベットの女は、男のために子供を産むために生まれてきたわけじゃないのよ。」 −−ペマ・ツェテン『風船』 10年以上前の夏の日、チベットへ行こうと思い立ってから、青蔵鉄道に乗ってラサ…

『アルマ』ル・クレジオ|絶滅した鳥、失われゆく記憶

どこにだって行こう、なんでも見たい、たとえ見るべきものだとたいして残っておらず、あたかも水没した墓碑に書かれたような地図上のこうした名前、日一日と消えていく名前、時の果てへと逃れていく名前のほか何もないとしても。 −−J.M.G.ル・クレジオ『アル…

『わたしの日付変更線』ジェフリー・アングルス|日付変更線と言語の境界に立つ

書き終えた行の安全圏から 何もない空白へ飛び立つ改行 −−ジェフリー・アングルス『わたしの日付変更線』「リターンの用法」 ジェフリー・アングルスは、英語を母国語として、日本語で詩を書く詩人だ。 ふたつの国、ふたつの言語の境界に立つ詩人の言葉は、…

『ラガ 見えない大陸への接近』ル・クレジオ|失われた島々の断片

ラガでは、人はつねに創造の時の近くにいる。 …堕罪や現在を、メラネシア人が本当は気にしていないということは、よく感じられる。かれらは、より幻想的なものとより現実主義的なものの、同時に両方でありうるのだ。 −−ル・クレジオ『ラガ 見えない大陸への…

『眠れる美男』李昂|老いた体に性欲が戻る、喜びと苦悩

極めて微妙な―― 身震い。 (どうして身震いなのか!) ああ! 服の上からではなく、この荒々しい大きな手で裸身を隅々まで…… −−李昂『眠れる美男』 「小鮮肉=ヤング・フレッシュ・マッスル」 という衝撃的な中国語を知ることになった本書は、川端康成『眠れ…

『見えない人間』ラルフ・エリスン|僕を見てくれ、人間として扱ってくれ

「僕を見てください! 僕を見てくださいよ!」 ーーラルフ・エリスン『見えない人間』 感情と尊厳を持つひとりの人間として扱われたい。おそらく誰もが持つであろう願いだが、実現は思いのほか難しい。人種、性別、特徴、そのほかさまざまな理由で、人や社会…

『ビリー・リンの永遠の一日』ベン・ファウンテン|感動の戦争エンタメを求めるパリピ愛国者

「あんたたちこそがアメリカなんだ」 俺たちのことをクソみたいに感じさせてくれてありがとうございます、軍曹様! ーーベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』 『ビリー・リンの永遠の一日』は、アメリカ特盛トッピング全部乗せみたいな小説だ。 …

『ニッケル・ボーイズ』コルソン・ホワイトヘッド|逃げた後も人生を破壊し続ける、悪霊としての暴力

僕がされた仕打ちを見てくれよ。どんな目に遭ったのか見てくれよ。 ――コルソン・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』 運悪く、暴力や差別がはびこる劣悪な環境に生きることになってしまったら、とる手段は限られている。戦うか、逃げるか、屈服するか。 コ…

ローズ・マコーリー『その他もろもろ』|知能指数でランクが決まる世界の恋

「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」 もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。 頭の良し悪しがそんなに問題か? ーーローズ・マコ…

『きょうの肴なに食べよう?』クォン・ヨソン|すべての肴は果てしなくうまい

世の中にまずい食べ物はあふれている。けれどもまずい酒の肴はない。食べ物のの後ろに”肴”と記されているだけで何でも食べられる。 ――クォン・ヨソン『きょうの肴なに食べよう?』 クォン・ヨソン『春の宵』を読んでいる時、この作家はとてつもなく酒とごは…

『海と山のオムレツ』アバーテ・カルミネ|愛と祝祭に満ちた、ごはん文学

「豚のパスタ」 豚の肉とあばら骨の入ったトマトソースをとろ火でじっくり煮込んで、大量のミートボールを作ってから、ジティ(パスタ)とまざあわせる。 パスタとソースがまるで恋人どうしのように寄り添い、全員がとろけるキスの代わりにたっぷりのチーズ…

アメリカ文学のフェア選書して、ポップを書いて、青山ブックセンターで開催中

青山ブックセンター本店で、2020年秋に書いた「アメリカ大統領選挙の支持地盤で読むアメリカ文学フェア」を開催してもらっている。 1月末まで開催予定で、その後のフェア開催予定によってはもうすこし伸びる、あるいは場所を移動して続行とのこと。 35冊ぐら…

『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン|彼女はあっけらかんと笑っている

ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは"ベラドンナ"の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。 ーールシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』 私がコイン…

『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ|われら人類は皆すごくさびしい

「あんたただ一人だ」と彼は夢見るように言った。「あんただけだ」 ーーカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』 マッカラーズ『心は孤独な狩人』を知ったのは7〜8年ぐらい前、評論かエッセイかなにかを読んでいた時だった。『心は孤独な狩人』”The Heart …

『グールド魚類画帖』リチャード・フラナガン|流刑地で花開く、狂気の夢

膿んだ腫れ物に口づけした。潰瘍だらけの、膿がたまって腐りかけたくぼみだらけのやせ細ったすねを洗った。おれはその膿であり霊であり神であり、自分自身にすら解釈できず知ることができない存在だった。そのためにどれほど自分を憎んだことか。おれが愛し…

『2666』ロベルト・ボラーニョ|これほどの無関心、これほどの暗黒

「警官とまぐわうのは山の中でその山とまぐわうようなもの、密売人とまぐわうのは砂漠の空気とまぐわうようなもの、ってこと?」 「まさにそうなの。密売人に抱かれると、いつも嵐のなかにいるみたい」 ーー ロベルト・ボラーニョ『2666』 年に1〜2回ほど、…

『マリーナの三十番目の恋』ウラジミール・ソローキン|真実の恋は怪物

愛なくして生きることは不可能だ、マリーナ! 不可能だ!! 不可能だ!!! ――ウラジミール・ソローキン『マリーナの三十番目の恋』 『マリーナの三十番目の恋』は、『ロマン』と同時代に書かれた小説だ。『ロマン』といえば、10年ぐらい前に読書会で「人類…

『地下 ある逃亡』トーマス・ベルンハルト|離れろ、離れろ、反対方向へ

休みになったら元気を回復する、とみんな思っているけれど、実は真空状態に置かれるのであって、その中で半ば気違いになる。それゆえみんな土曜の午後になると恐ろしく馬鹿げたことを思いつくのだが、すべてはいつも中途半端に終わるのだ。 ーートーマス・ベ…

『原因 一つの示唆』トーマス・ベルンハルト|美しき故郷への罵倒と情

世界的に有名なこれほどの美が、あれほど反人間的な気候風土と結びついているのは、致命的だ。そして、まさにこの場所、私が生まれついたこの死の土壌こそ、私の故郷なのであり、他の町や他の風景ではなく、この(死に至らしめる)町、この(死に至らしめる…

トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』未読読書会

この世には、3種類の読書会が存在する。 課題図書を読み終わった読書会、課題図書を読んでいる最中の読書会、課題図書を読んでいない読書会だ。 私がよく参加するのは読了後の読書会で、たまに読んでいる最中の読書会に参加する。実際には、読んでいる最中の…

今年に読んでよかった&思い出深い海外文学3冊

小澤みゆきさん(@miyayuki777)主催の「文芸アドベントカレンダー」に登録して、なにを書こうかなーと考えながらぼんやり生きていたら、「今年に読んでよかった/印象深かった文芸作品を紹介する」とテーマが決められていたことに昨日、気がついた。 自分が…

サポートしたら選書リクエストできる企画(noteの代替としてcodoc+はてなブログを試す)

noteからの移行先を探している声をTwitterでよく見る中、「codoc(購読ウィジェットサービス)+ブログサービス」で、noteみたいな購読ができるらしいと聞いた。 人に勧めてみるからには、自分でまずやってみないといかんと思い、とりあえずなにか有料コンテ…

『本の雑誌』で「新刊めったくたガイド」を連載します

12月10日発売の『本の雑誌』2021年1月号から、書評コーナー「新刊めったくたガイド」で連載を始めます。いえーい。 「新刊めったくたガイド」は国内文学、海外文学、ミステリ、SF、ノンフィクションといったジャンルごとの担当者が、直近1~2か月に販売され…

『大都会の愛し方』パク・サンヨン|泣き笑いで軽く語る、軽くない愛

ーーじゃあ今日から僕のことメバルって呼んでください。 酔った俺は、たったいま俺何て言ったんだ、マジ終わってる、と思ってる途中に男がまたまじめな顔で答えた。 ーーいや、ヒラメって呼ぶつもりです。中身が丸見えだから。 ――パク・サンヨン『大都会の愛…

挫折した海外文学選手権

これまでたくさんの小説に挫折してきた。いったいどれほどの本を手に取り、本棚に戻したことだろう。 これは、私と、私と本棚を共有してきた妹による、とりわけ思い出深い「挫折した海外文学」の記録である。 この記事は、主催している「海外文学・ガイブン …

『地図の物語』アン・ルーニー|地図が小説に似ていた時代

一般に、地図の用途といえば、経路や地形を調べることだ。旅の手引きともなる。だが、歴史を振り返ると、こうした用途ばかりではないことがわかる。 ーーアン・ルーニー『地図の物語』 かつて地図が小説に似ていた時代があった。 「地図」といえば、今ならメ…

『アルテミオ・クルスの死』カルロス・フエンテス|おまえは選ぶだろう、愛を失う人生を

お前は選ぶだろう、生き延びるために選ぶだろう、無数の鏡の中から一枚を選ぶだろう、たった一枚のその鏡は他の鏡を黒い影で覆い隠し、もはや取り消すことのできない形でお前を映し出すだろう、他の鏡が選び取ることのできる無数の道をもう一度映し出す前に…

『白い病』カレル・チャペック|ただひとりだけ疫病の特効薬をつくれたら

患者を隔離して、ほかの人と接触させないようにする。<白い病>の症状が出たら、すぐに隔離する。うちの上に住んでるばあさんがここで亡くなるとしたら、耐えられんな! 階段の臭いがきつくて、もう誰もこの建物には近寄れなくなる…… ――カレル・チャペック …

『雨に呼ぶ声』余華|家にも故郷にも帰る場所がない

孤独で寄る辺のない呼び声ほど、人を戦慄させるものはない。しかも、それは雨の日の果てしない闇夜に響き渡ったのだ。 ーー余華『雨に呼ぶ声』 『雨に呼ぶ声』を読み終わった後に残った言葉は「寄る辺なさ」である。 自分が所属する共同体に居場所がない時、…

『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー|日常茶飯事の自爆テロがうんだ悲しき怪物

「誰かにこういうでたらめな話をしてもらうのは難しい。でも実行された犯罪の背後には、必ずこういう整然とした、でたらめな話がある」 ーーアフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』 『バグダードのフランケンシュタイン』や『死体展…