『ミルクマン』アンナ・バーンズ| 前門のストーカー、後門の同調圧力
本の読み歩きとプラスチック爆弾、このあたりじゃどっちが普通だと思う?
――アンナ・バーンズ『ミルクマン』
『ミルクマン』を読んで、思わずうめいた。いったいなぜこれほどストレスフルでやばいもの――「同調圧力社会」と「ストーカー被害」――を1冊の中に詰めこんだのだと。
舞台は、コミュニティ内で政治対立がある不穏な町。
日常生活の陰では、密告と相互監視がはびこり、爆弾テロや殺人事件が続いている。
語り手「私」は、この不穏な町に家族とともに暮らしている18歳の少女だ。少女の趣味は、ひとりで歩きながら本を読むこと。家族、友達、メイビーBF(彼氏かもしれない男友達)とともに、不穏な環境ながらも、どうにか日常を送っている。
だが彼女の生活は、「ミルクマン」と呼ばれる中年既婚男性にストーキングされるようになって激変する。
日々ストーカーに追い回され、監視され、コミュニティからも「普通じゃない」として目をつけられるようになる。ひとりで本を読み歩く趣味も、「普通じゃない」と糾弾の材料にされてしまう。
本の読み歩きとプラスチック爆弾、このあたりじゃどっちが普通だと思う?
この小説には、閉鎖的な社会の嫌なところが、あますことなく描かれている。
同調圧力、相互監視、人間不信、「皆と同じ=普通」至上主義、同化しない者への不信、少数派がストレスのはけ口として贄にされるメカニズム。日本でもこうした同調圧力は根強いため、「あるある」とげんなりする。
同調圧力だけでも十分すぎるのに、さらにストーカーが襲来してくる。
ミルクマンは加害者のくせに被害者面して、「俺がこんなことをするのはおまえのせいだ」と少女のせいにしたり、自分の力を誇示しようとして組織の力をちらつかせたりする。著者のストーカー描写が迫真に迫っているせいで、ぐったり感はさらに加速する。
「ヤバイ×ヤバイ=トテモヤバイ小説」で、息苦しさが閾値を振り切っている。前門のストーカー、後門の同調圧力、まさに八方塞がり、いったいなぜこのふたつを混ぜた、とうめきたくなる。
唯一の救いは、少女のブラックユーモアに満ちた語り口だ。
「メイビーな関係がもうすぐ一年になろうとしているメイビーBF」「キラキラ系」といった言葉づかいで、「普通であれ」という異常な圧力に「それ変じゃない?」と言い続ける。
少女の姿はまるで、真っ黒い哄笑とともに毒沼に立ち続ける、孤高の戦士のようだ。
「皆と同じ」であろうとして、異質なものを排除する凡庸まみれの狂った町で、彼女の行動と言葉だけが、圧倒的な個性と光を放っている。
暗黒沼に命綱をつけてどっぷり浸る、毒沼アトラクションのような経験だった。
周囲の言葉は凡庸で息苦しいが、彼女の語り口は個性的で笑えるので、読んでいると、交感神経と副交感神経が活発になって、変な汗をかいてくる。「メンタル強制サウナ」という言葉が頭をよぎる。
ブラックユーモアがなければ、読書はもっとずっときつく、苦行のようなものだっただろう。
ブラックユーモアは、狂った世界への抵抗、正気を保つ解毒剤なのだと思う。
私もひどいストレスにさらされて毒沼みたいな場所にいた時ほど、ブラックユーモアが精神に満ちていた。
笑いは、他者を楽しませるためだけではなく、自分が正気で生き延びるためにある。
どれほど現実がクソで生きづらくても、語りとユーモアの力で正気を保とうとする、語りへの信頼と意思を感じる小説だった。
「あんたって推測不能なんだよね。読み取れないっていうか。みんなはそこが気に入らないんだよ。」
北アイルランド問題、Troubles
『ミルクマン』は、北アイルランド問題(英語でTroubles=厄介事)が背景にある。
20世紀初頭がアイルランドは大英帝国から独立した際、北アイルランドはプロテスタントが多かったため英国に残った。アイルランド島が南北で別の国に分断されたゆえに、アイルランド統一派と分割派で武力闘争が起こり、IRAが爆弾テロを繰り返す問題に発展した。
北アイルランド問題やテロリズムの日常を知ると、また違った味わいがあると思う。
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