『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン|彼女はあっけらかんと笑っている
ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは"ベラドンナ"の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。
ーールシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』
私がコインランドリーを偏愛するようになったのは、フィルムカメラを持って町をうろついている時だった。
コインランドリーは、とりたてて美しいわけではない家事をやる場所なのに、写真で撮ると不思議と美しい場所になる。整然と並ぶ洗濯機の丸い扉、ぐるぐると回るカラフルな衣類、洗剤のにおい、自分の服を待つ人たちが座る姿、家でおこなわれる家事が公共の場でおこなわれている空間は、家にも学校にも町にも他のどこにもない、特別な雰囲気があった。
その不思議さが好きで、私はコインランドリーを偏愛していて、コインランドリーが出てくる作品は好感度があがる。
だから、ルシア・ベルリンの短編集は、最初の短編「エンジェル・コインランドリー店」でもう大好きになった。この短編のすごいところは、私が好きなコインランドリーを文章で表現しているところだ。洗剤のにおい、壁にはってある張り紙、衣類の色、洗濯物を待つ人たちの微妙な間合いが「エンジェル・コインランドリー店」には全部、描かれている。
それにベルリンの文章はどこかジェニックで、老インディアンが髪を結ぶラズベリー色の紐、蛍光オレンジの張り紙など、文章の中にぱっと色が咲く。
そういう世界に、あっけらかんとしたユーモアのある独白がこれまたぱっと表れる。
トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿呆だからだ。
「エンジェル・コインランドリー店」がさっそく大好き短編になったが、続く作品もどれもすごい。
次の「ドクターH.A.モイニハン」は、歯科医だったベルリンの祖父を描いた作品で、じいさんがものすごい。祖父は入れ歯にするために歯を全部抜こうとして、なぜか孫に手伝わせる。やばい人がやばいことを言ってるので、当然やばいことになり、その突飛さとグロテスクさがとても生々しいのだが、それでもなお明るいユーモアがただよっている。
短編の語り手は、同じ過去や過去を持っていることが多く、ゆるく「同一人物の語り手」と見なせそうだが、それにしてはぶれ幅がすごい。裕福なお嬢様だったかと思えば、低賃金で働くシングルマザーだったり、アルコール中毒になったり、人生がぜんぜん型にはまっていない。
そして、社会にもはまりきれていない。お嬢様学校にかよっている時代の短編「星と聖人」で、友達を作りたくて「顔にウジがたかったアラスカヒグマの死体を見たことがあるよ」と話しかけて、ぜんぜん友達ができなかったくだりは最高だ。
わたしはなんとかみんなと友だちになろうとして、クラスの子に話しかけたけれど、結果は悲惨だった。…「ベルギー領コンゴの勉強は楽しい?」とか「趣味はなんなの?」みたいな会話のやり方を知らなかった。近づいていって、いきなり「あたしのおじさん、片目が義眼なの」とか「顔にウジがたかったアラスカヒグマの死体を見たことがあるよ」などと話しかけた。
社会とずれていても、大人になったら働かなければならない。そんな時のサバイバル指南が表題作「掃除婦のための手引き書」だ。顧客に棒読みで答えたり、ぜんぜん空気が読めない発言をしたり、うまいフォローをしたりする。世界すべての仕事術本が、全部ルシア・ベルリンが書いてくれたら全部を読みたいのに、と思う。
ドクターが訊く。きみ、なんでそんな職業を選んだの?
「そうですね、たぶん罪悪感か怒りじゃないでしょうか」わたしは棒読みで答える。
ベルリンの作品を読んでいると、野生の目線で世界を見て、びっくりするようなことを言って、ぜんぜん人が笑うような時じゃないタイミングであっけらかんと笑う人のそばにいるみたいな気持ちになる。
現実をしっかり見ているけれど、執着や恨みといったウェットな感情がなく、なにか自分が大変なことに巻き込まれたり、なにかを失ったとしても、あらそうなの、で済ませてしまうような感じがする。
よくよく思い返してみれば、彼女が描く人生はけっこう大変だったはずなのだが、彼女の語りは、重さをまるで感じさせない。これは、好きになるなというほうが無茶だ。
ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは”ベラドンナ”の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。
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びっくりするような電撃みたいな文章、アルコール中毒者のアメリカ、ドライなエモーションなどの雰囲気が似ている。
岸本佐知子さんと斎藤真理子さんの対談で、武田百合子に似ている、という話が出ていた。確かに、日常を見る目線と、変な人と話を引き寄せる雰囲気に近いものを感じる。