ボヘミアの海岸線

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『丸い地球のどこかの曲がり角で』ローレン・グロフ|フロリダ、ワニと亡霊が蠢く異形の土地

ためしに一度、フロリダで戸外を歩いてみるといい。あなたは始終、蛇に見はられていることになる。植物の根を覆う敷き藁の下に蛇がいる。灌木林に蛇がいる。

――ローレン・グロフ 『丸い地球のどこかの曲がり角で』

 

フォークナーのヨクナパトーファや、ル・クレジオマルティニーク中上健次の路地のように、愛憎まじえた執念に近い迫力で、ある土地について書き連ねる作品群が好きだ。

だから「フロリダ」(原題)という直球のタイトルで、フロリダについて描くこの短編集は、もうその佇まいだけで好きになってしまう。

丸い地球のどこかの曲がり角で

丸い地球のどこかの曲がり角で

 

 

"サンシャイン・ステート"フロリダは、太陽光に満ちた明るい土地、リタイア後の保養地としてアメリカ人が好む土地、ディズニー・ワールドなどがたくさんある人気の観光地という印象がある。

しかしグロフが描くフロリダは、湿地の影に蛇とワニがうごめき、ハリケーンと亡霊が跋扈する、闇と湿度と耐えがたい暑さに満ちた、異様な土地だ。

不穏な異形の土地となったフロリダについて、著者は、愛憎が入り交じった語り口で語る。

ためしに一度、フロリダで戸外を歩いてみるといい。あなたは始終、蛇に見はられていることになる。植物の根を覆う敷き藁の下に蛇がいる。灌木林に蛇がいる。芝生にも蛇がいて、あなたがプールから上がってきて、自分たちが水浴びできるようになる時を待っている。蛇はまたあなたの無防備な足首を見つめて思っている。あそこにぐさりと牙を立てたらどんな感じだろうと。

 

各短編の語り手である女性は、だいたい人付き合いが苦手で、感情の起伏が激しく、周囲や土地に愚痴を言いながら生きている。

罵倒御大トーマス・ベルンハルトほどではないせよ、ブラックユーモア罵倒系で、素直に自由に言葉を放つので、好感が持てる。

わたしはバスタブの中にすわりこみ、体がそれにひんやりと包み込まれる感覚を楽しんだ。バスタブとわたしは似た者同士だと、いつも思っていた。どちらも中に誰も入っていないときは、真っ白ですべすべした手触りの空っぽの入れ物だ。

 

愚痴と愛と憎悪がいりまじった独白は、フロリダの長い歴史ーーワニや蛇がうごめく沼地の原野だったころから、深刻な環境問題を引き起こした大開発、土地開発にともなう地価の急上昇、観光地化に至るまでの、100年以上の土地の歴史を織りこんでいる。

登場する生物も、人間からガラガラヘビ、巨大なワニ、亡霊まで幅広く、生者と死者の境界、現実と幻想の境界はつねに曖昧だ。

現代のフロリダと昔のフロリダが二重写しになり、「フロリダ・ゴシック」とでも呼びたくなるような、異形の土地物語として立ちのぼる。

 

中でも表題作は、フロリダ・ゴシックが濃密な作品だ。

語り手は爬虫類学者の父が購入した、広大な沼地の一軒家に暮らしている。廃屋じみた家には、ヘビのホルマリン漬けが並び、浴槽には父が捕獲したワニがたまにいる。

周囲がどんどん都市開発されて沼地が消えていく中、語り手と家族は亡霊のように、時代に逆行した沼地の家で生活するが、ついに転機が訪れる。

「土地小説」を書くだけあって、著者は町並みの変化や、沼地などの自然を描くのがうまい。表題作はグロフの筆致が冴えわたって、都市の真ん中に残された沼地のビジョンが強烈に印象に残る。

都市開発によって幻想の住む場所が滅びていく予感がありつつも、幻想がそれなりにしぶとく生き延びていくところがよい。

フロリダ州を定期的に襲う巨大ハリケーンのど真ん中で亡霊とワインを飲むハリケーン小説「ハリケーンの目」も好きだった。

 

土地サーガは土地そのものが主役となるものだと思っていて、本書は原題どおり、まさにフロリダが主人公だと言える。

土地の歴史をふんだんにとりいれつつも、説明的ではなく、語り手の主観や並々ならぬ感情の中に歴史が編み込まれていて、土地サーガぽくてよい。

 

私はフロリダには仕事でいちど行っただけで、ディズニー・ワールド・リゾートに数日ほど軟禁された記憶しかない。見渡す限りのつくりものの王国に数日滞在しただけの記憶に、ゴシック・フロリダの陰影が混ぜ合わされて、私のフロリダ観はさらに混濁した。

しかも私は、この混沌フロリダをけっこう気に入ってしまっている。もういっそのこと、現世のフロリダは訪れなくてもよいのでは、と思い始めている。

 

わたしは父にきいた。これはハリケーンの目かしら? それとも、嵐はすっかり通りすぎたのかしら?

うーむ、どうかな、と父が言った。どっちにしろ、また別の嵐が来る。そうだろう?

 

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