ボヘミアの海岸線

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『回復する人間』ハン・ガン|静かな重症者たちの声なき叫び

そんなことより私は泣き叫びたい。髪を振り乱し、足を踏み鳴らしたい。歯を食いしばり、動脈がちぎれたときにそこからほとばしる血を見たい。

ーーハン・ガン『回復する人間』

 

めまいがするほど率直に、「回復する人間」にまつわる短編集だ。

短編の語り手たちは、体か心、あるいは両方に傷を負っている。「回復する人間」の語り手である女性は、お灸でできた火傷を放置していたため、細菌感染して踝の下に穴があいてしまう。読んでいるだけで身震いするような傷を、なぜそんなに放置していたのかといえば、そうせざるをえないぐらい傷ついていたからだった。

身体の静かな重症から、傷を放置してしまうほど根深い、心の静かな重症が見えてくる。

回復する人間 (エクス・リブリス)

回復する人間 (エクス・リブリス)

 

ハン・ガンの小説は静かな絶叫に満ちている。

語り手たちは皆、傍から見れば静かな人に見える。だが、心のうちでは傷つき、血を流し続けている。

 人を燃やすときいちばん最後まで燃えるのがなにかわかる? 心臓だよ。夜に日をつけた体は一晩じゅう燃えてるんだ。明け方に言ってみたら、心臓だけが残ってて、じりじり、煮えてたの。

 

ひどく傷つくことがあった時、とりあえず気晴らしで忘れようとしたり、なにかに激しく依存したり、他者や世界のせいにしたり、痛みの根源に目を向けずに社会現象に怒りをぶつけたりして、心に鎮痛剤を打つ人は多い。

だが、本書の登場人物たちは、鎮痛剤を打とうとしない。彼女たちは痛みを覚悟しているわけでもなく、我慢を美徳や罰と意味づけしているわけでもなく、ただ痛みをそのままノーガード姿勢で受ける。受けいれるのとも、受けとめるのとも違い、ただ受けている。

内省的な登場人物たちは、他者との会話ではほとんど心を語らず、自分との対話においてその心をさらけ出す。自分の傷口を見つめ、触り、語りかけ、痛みに気づいていく独白のスタイルである。だからその文章は静かで痛ましい。 痛みを自覚しきっていない語り手たちが、自分の痛みにようやく気づくシーンはとりわけ迫力がある。

驚くべきことはその直後から始まった。かろうじて猶予されていた、激烈で否定的な、最も原初的な感情が押し寄せるようになったのだ。恐怖、後悔、羞恥、憤怒、怨恨、憎悪、悔しさ、悲惨さ、殺意。そして一人だということ。徹底して、当然のことのように、いつまでも一人だということ。

私はもうこんなものが好きではない。はたして右手が治るのか、また制作ができるかどうかさえはっきりわからないが、もう一度描くとしたらこんな静けさなど描かない、そんなことより私は泣き叫びたい。髪を振り乱し、足を踏み鳴らしたい。歯を食いしばり、動脈がちぎれたときにそこからほとばしる血を見たい。

 

真っ白い部屋で呆然とうずくまりながら、時折うめいたり叫ぼうとする人を映すサイレント映画を見ているような小説だった。

 「回復する人間」の小説だと書いたものの、本書の「回復」は、軽やかな回復ではなく、傷からずっと滲出液が流れ、治療テープをはがしたら赤い血がたっぷり流れて、ようやくそこで自分が傷ついたことを知るような回復だ。

痛みは、苦しみの原因であると同時に、回復をほのめかす兆しだ。彼らは「回復する人間」であり「傷とともに生きている人間」でもある。

 

ハン・ガンは痛みに近づいていき、その隣に座る作家だと思う。著者は、傷と痛みに向かって体を開き、抵抗せず、鎮痛せず、その身をままよと投げ出している。

彼女の小説を読むと、想像以上の痛みにびっくりするのは、傷にたいするある種の「近さ」あるいは「親密さ」からきていると思う。多くの人が、痛みから逃れるために距離をとるのにたいして、著者は薄皮一枚へだてたところまで近づく。

だから、静かなのにとても痛い。でもそれはしょうがない、と著者は言っているように思える。人は深く傷つく生き物であり、痛みは人生の併走者なのだから。

 

収録作品

気にいった作品には*。

明るくなる前に

家族の死をきっかけに放浪生活をしていた女性「ウニ姉さん」の追憶。死んでしまった人を思い出す時、そこには生きている人間の願望が入り交じる。心臓が燃えるエピソード、「私の心臓」という名の小説の最初の一行が、痛ましいほどストレートに描かれる。

回復する人間**

火傷を放置して踝の下に穴があく。聞いただけで身震いがする静かな重症と重ねて、心の静かな重症が描かれる。本書のテーマを直球で描いている作品。

エウロパ

エウロパは、木星の衛星である。誰にも言えない性同一性障害の人が、秘密を開陳できる相手と会話する。ふたりの会話、差し込まれる歌、ソウルの町並みが、韓国ドラマを見ているようだった。

フンザ

フンザは、パキスタンにある秘境。聞いただけの異国の秘境を思いながら、つらい育児生活を生きる。育児に同じぐらい責任があるはずの夫がなにも頼りにならないことは、育児人間としてたいへんにつらい。

青い石

画家が、血液の病気にかかっていて死に近づいていく「あなた」に語りかける。親しい死者への語りかけは本書にたびたび登場するが、恋愛関係がもっとも強い。「生命はいつも血の中から始まる」。

左手

まじめなサラリーマンの男性が、勝手に動く左手によって。この短編においては、世間体のために左手を抑えようとする男自身が、自由の左手の抑圧となっている。抑圧を受けた人間を描くハン・ガンにしてはポップな作品。

火とかげ**

怪我をして手が思うように動かない画家の女性が、長い停滞を経て、もがきながら新しい絵を描く。静かな絵を描いていた語り手がたどりついた絵は、「回復」が「もとの状態に戻る」ことではなく、傷を経験した「新しい地平」にたどりつくことを教える。本書の中ではいちばん生命力があって好きだった。

 

ハン・ガン作品の感想

これまで読んだハン・ガン作品は、いずれも皆が傷ついていて、傷のもとへ静かにもぐっていく作品だった。傷を見つめ、潜っていく作家だと思う。

埋葬していた悲しい記憶と向き合い、白いものたちを経て、叶わなかった希望を幻視して、回復に至る。

 

「妻、娘」にたいする社会的な抑圧への、命がけの静かな抵抗。『菜食主義者』は傷よりも抵抗の行動に焦点があたっていて、回復の兆しを放棄している点で、『回復する人間』よりハードモード。

 

Related books

『回復する人間』と同じように、傷ついた人が回復へ至る道を描く作品が収録されている。

表題作「惨憺たる光」に、「回復する人間」と同じようなセリフが登場する。回復する人間は、治癒を恐れる。「でも、それは治癒かしら。チョイ、私はそのときになって始めて、ロベールがなぜなんなに治癒を恐れたのか悟ったの。」

 

傷ついた状態で放心し続けて、回復する。回復の手段は痛みではなく、肌と体の感覚である。