ボヘミアの海岸線

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『鷲の巣』アンナ・カヴァン|この世界には居場所も役割もない

「いったいどうしちゃったんです? どうしてなにもかもだいなしにしようとするんです? どうしてきのうまでとおなじようにしていてくれないんですか?」

ーーアンナ・カヴァン『鷲の巣』

 

世界で皆の気分が落ちこんでぴりついている時に、読んだら落ちこむとわかっているカヴァンの小説をなぜ読もうと思ったのか、今となっては定かではない。本棚を整理していた時に、『鷲の巣』表紙の巨大な白い滝と目があったところまでは覚えていて、気がついたら後戻りできないところまで読んでいた。彼女の小説は、人情と正気が皆無の人たちと、巨大で圧倒的なビジョンがそびえたつ異様な世界観で、読み終わるまで抜け出せないところが困る。

 

鷲の巣

鷲の巣

 

 

日々の仕事に嫌気がさした語り手「わたし」のもとに、 かつて仕事を与えてくれた<管理者>から、自分の屋敷で仕事をしてくれないかと手紙が届く。渡りに船とばかりに語り手は、何日も旅をして管理者の邸宅「鷲の巣」に向かう。しかし、屋敷についたらなにもかもがわからない。管理者には会えないし、仕事はいつまで経っても始まる気配がない。唯一、会話を交わせるのは<ペニー>と呼ばれる女性だけで、彼女もその他の使用人たちも、ほのめかしばかりで、いつまでも「鷲の巣」のルールがわからない。

 

記号となった人間たち、ルールのわからない世界、これだけ見たらカフカ『城』以外のなにものでもないのだが、この舞台でカヴァンならではの幻影が打ち上げ花火みたいに炸裂する。

一瞬の出来事だった。たちまちのうちに巨大な翼はたたまれて雲は溶け……火の粉の嵐が吹き荒れ、……羽毛のように、火花のように、ホタルのように降り注ぎ……回廊を吹き抜け…… 

 鷲の巣がある土地は「信じられないほど異様な形」をしている「尋常ならざる奇怪な岩」に囲まれていて、巨大な判事のような形に見える。鷲の巣には、巨大な顔をした天使が空にあらわれ、山々に降り注ぐ輝きの洪水が目を焦がし、山々が砕け、巨大な無音の白い滝が空に現れる。

巨大で唐突な幻影が現れるたびに、カヴァンを読んでいる、と感じる。かつて読んだ『氷』でも、今でも印象に残っているのは、巨大な氷が炸裂するビジョンだった。

カヴァンのビジョンは前後の脈絡なく表れては消える。天使が現れたからといって、啓示があるわけでも、奇跡が起きるわけでもない。この「日常の一環としての幻影」は麻薬常用者が住んでいる日常であり、カヴァンが見ていた日常だったのだろうと思う。

 

幻影の意味はわからないが、そもそもこの小説では、理解できるもののほうが少ない。言葉はつうじるが、職場のルールも、他者の心も、語り手の言動も(突然キレたり不安になったり躁鬱が激しい)、だいたいのことがわからない。 

社会のルールもわからず、他者との会話も成立しない世界では、居場所も役割も見つけられない。どれほど周りに他者がいても、共通認識が持てず、心をかよわせられなければ、疎外感と孤独は募る。

カヴァンの登場人物(そしておそらくカヴァンも)はきっとぜんぜん人間世界に向いていないのだろう。それなのに、認められたい、愛されたいと願うから、地獄のように生きづらくなる。

 人間が苦手で、他者と一緒にいると疎外されたように感じる気持ちを、幻影の彼方まで突き詰めた、世界の成れ果て。

 

…別の存在とどれほど親しくかかわろうと、わたしの世界はつねに秘密のうちにあり、近寄りがたく、閉ざされているからだ。人はわたしを見ることすらできない。見えるのはただ、見通しのきかない半透明の壁の向こうにある、おぼろげで変化しやすい、ゆらめく影だけだ。

 

アンナ・カヴァン作品の感想

『氷』では、恋愛で愛されたいと願うが叶わず、『鷲の巣』では仕事で認められたいと願うが叶わない。そういう意味では、『氷』と本書は、恋愛と仕事というテーマでそれぞれ「他者とも世界とも折り合わず、願いが絶望的に叶わない世界」を書いていると思う。

 

 

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不明瞭な「城」のシステム、終わることのない会話、ほのめかし、躁鬱状態の感情、振り回される人間の疲弊と孤独を描いた、元祖傑作。

 

まったくわからない言語圏に迷いこんだおじいちゃん言語学者が、サバイバルする。言語学者はなんだかんだ人間関係を結んでいるので、カヴァンより良心的。

 

他者を渇望するが、その心は手に入らない。犯罪者文学、絶望恋愛文学として素晴らしい。