ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー|理想の家族、理想の夫婦という幻影

 「度しがたい道徳家なんだなあ、きみは」

――アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』

 

人間は自分が見たいように世界を見るし、自分が見たいように他者を見る。自分に似たところを見つけたり、自分がなりたい姿を見出せば、他者を好きになるし、自分にあると認めたくないものを他者のうちに見れば、嫌悪して遠ざける。

そうして私たちは自分というフィルター越しに、願望を世界と他者に投影する。そのフィルターが分厚ければ分厚いほど、理想の世界に生きられるが、他者の心からは遠く隔たっていく。

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

舞台は1930年代イギリス。語り手のジョーン・スカダモアは、自分の生活に満足しているイギリス人女性だ。彼女の人生は完璧である。優しく裕福な夫、独立したすばらしい3人の子供たち、お互いがお互いのことを深く理解しあい、愛し合っている。

ところが、ジョーンがイラクに住む娘に会いに行く途中、偶然に会った旧友から、ジョーンの娘が家を出たのは「家庭から逃げ出したかったからでは」とほのめかされる。

「女の子はときどき――家庭から逃げだしたいばっかりに結婚することがあるからね」ジョーンはいきなり笑いだした。「まさか、バーバラに限ってそんなこと! 私たちのように幸せな家庭って、そうざらにあるものじゃないのに」

ジョーンは、なにもわかっていない哀れな女の言葉だと片づけようとするが、言葉の棘は残り続ける。砂漠に囲まれた異国のレストハウスで足どめされた時、ジョーンはひとりで自分の人生を思い出していく。

 

この小説では、舞台はほとんど動かない。しかし、ジョーンの人間関係と過去、つまり彼女の世界すべてが地すべりして変わっていく。

ジョーンは夫や子供との会話を思い出しながら「私は家族に愛されて、よく理解しあっている理想の家族」と正当化しようとするのだが、思惑とは裏腹に、認知の歪みがじわじわと明らかになっていく。

「あなたとわたしって、とてもいい組み合わせだったんですわ」「そうだね。あまり喧嘩もしなかったし」

「だいたいお母さんには、お父さんのことなんか、何一つ、わかっていないんだよ」「もうたくさんよ、トニー。もちろん、お父さまのことはよくわかっていますとも――あなたたちよりずっとよく」「へえ、そうかなあ。ぼく、ときどきお母さんって、誰のこともぜんぜんわかっちゃいないって気がするんだ」 

 

ジョーンは、フラナリー・オコナーの小説に出てくる「善良な人々」と同じ種類の人間だ。自分のことを「他者のことを考える、献身的で善良な人間」だと信じている。しかしその裏には、他者を他者だと理解せず、自分の延長にあると見なし、自分の価値観に従わせて支配しようとするエゴイズムがある。

 自分中心にものを考えるたちじゃない。自分のことなんて、あまり考えたことがない。 

端的に言ってしまえば、ジョーンはいやな女だ。オコナーの小説なら、ジョーンはまちがいなく恩寵光線(致死量)を受け、目の中の丸太を叩き落とされただろう。だが、クリスティーは内省の舞台を与えて、じわじわと気づきたくないこと、見たくないことを明らかにする胃痛サスペンスによって、丸太の存在に気づかせる。

両者の手法と人間観は違っている。オコナーは、人間は自力では変われない前提で、外部から一撃を与える。クリスティーは、内省する知性を持っている前提で、舞台ときっかけを用意する。

クリスティーのほうが優しいし人類に希望が持てそうだが、周りを見るにつけ、ジョーンのような人はジョーンみたいに他者の言葉をあんなにきちんと覚えていないし、むしろ記憶改変をどんどんして自分の認識を強化していく。「自分が間違っている」より「他者と世界が間違っている」と思いたがる。だから、本書みたいなことはそうめったには起こらないと私は思う。

 

ジョーンは、部屋にいながらにして北半球から南半球へ移動してしまったかのような、呆然とするしかない、人生を根こそぎにする激震を経験する。

たしかに彼女は自業自得かもしれない。一方で、私たちは誰もが自分フィルターからは逃れられない。人間は他者と心を共有できる仕組みを持っていないから、他者の言動を自分なりに判断して意味づけするしかない。

そういう意味では、誰もが異国の砂漠にひとりぼっちで立っている。

見渡す限り遮るものもない沙漠――けれどもわたしはこれまでずっと、小さな箱のような世界で暮らしてきたのだ。玩具の子どもたち、玩具のメイドたち、そして玩具の夫と。

もし砂漠に立っていることに気づいて、それでもひとりはさみしいのなら、他者を他者として認め、心の溝をすこしでも埋めるよう、言葉と態度を尽くすしかない。あるいは、かつてのジョーンのように、さみしさを見ないことにして、目を開けながら盲目になるか。

どちらにせよ私たちは、ジョーンの孤独をとおして人類の孤独につきあたる。いらいらさせられるが、さみしい、とてもさみしい小説だった。

 

 

アガサ・クリスティーの作品レビュー



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目の中に丸太が入っている人間に、一撃を与えて丸太を叩き落す瞬間を描き続ける。その劇的な一瞬があまりにも劇的なので、思わずなんども見入ってしまう。

 

激しい妄想世界に生きている、孤独な女が、他者を他者として認識する話。ジョーンほど人に悪影響を与えているだけではないが、精神の箱庭ぶりは似ている気がする。