ボヘミアの海岸線

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『フラナリー・オコナー全短篇』フラナリー・オコナー |目の中の丸太を叩き落とす、劇的な一瞬

「なにを言うの! 田舎の善人は地の塩です! それに、人間のやりかたは人それぞれなのよ。いろんな人がいて、それで世の中が動いてゆくんです。それが人生というものよ!」

「そのとおりですね。」

「でも、世の中には善人が少なすぎるんですよ!」

ーーフラナリー・オコナー「田舎の善人」

 

2019年は、前半に「重力」と言い続けて、後半は「恩寵」と言い続けた年だったように思う。飲み会では「タイムラインが恩寵だらけになった」「『重力と恩寵』はふくろうの妄想だと思っていたら、実在する本だったので驚いている」と言われた。このような恩寵モードになったのは、『フラナリー・オコナー全短篇』を読んだからだ。

恩寵とは、人間に与えられる神の慈愛、神の恵みのことで、熱心なキリスト教徒であるオコナーは「恩寵の瞬間を描く作家」と言われている。だが、オコナーが描く恩寵は、恵みや慈愛といったあたたかいイメージとはほど遠く、血と暴力、死に満ちている。

この落差が衝撃的だったので私はオコナーの恩寵をずっと考え続けていて、恩寵恩寵と鳴く鳥になり果てた。

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

 
フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

 

 

オコナー作品を読むことは、オコナー的恩寵の一撃を受け続ける巡礼のようなものだ。

本書を読み始めた読者は巻頭「善人はなかなかいない」でさっそく恩寵洗礼を受ける。「善人はなかなかいない」は、アメリカ南部に住む一家が「はみだし者」と呼ばれるならず者と出会う話だ。この短編では、すべてのプロットが最後の2ページに収斂する。登場人物は、空が落ちるような強烈な変化を経て、結末へと突進していく。

読み終わった時、風邪をひいていた私は呆然として(おそらく多くの人がこうなるだろう)、この結末以外はありえない、いやこれ以外の結末もできたのでは、やはりこの結末以外なかっただろう、とぐるぐる考えて、具合が悪くなった。それでも次の作品を読みたくてページをめくり続けた。

 

いくつか作品を読むと、オコナーの短編はどれも「自分に疑問を抱かない登場人物が、価値観を揺さぶる衝撃を受けて、見える世界が変わる」一瞬を描き続けていると気づく。

 登場人物の多くが、自分がのことを善人で、よいキリスト教徒だと信じている。しかし、その言動には自己弁護や正当化、差別や支配欲がひそむ。

「私は本当につつましい」と言いながら「黒人や貧乏白人なんかに絶対になりたくない」と考えたり、「人を助けることが生きがい」と言いながら子供の心を認めずに支配しようとしたりする。彼らは、悪人と呼ぶような罪を犯しているわけではないが、聖書風に言えば「目の中に丸太が入っている人」たちだ。

夜眠れないとき、ミセス・ターピンはこんなことを考える。もしも自分がいまの自分でいられないとしたら、どういう人になるのを選ぶだろうか。イエスがこういう自分をおつくりになる前に、「二つの中から選ぶしかないのだよ。黒いやつか、貧乏白人か、どっちにする?」と言われたとしよう。 私はどうするか? 「どうぞイエスさま、お願いですから、別の空きができるまで待たせてくださいまし」

ーー「啓示」

「なんだ、あれは。」ジョンソンはかすれた声で言った。「おまえ、あんなの我慢できるのか?」顔が怒りでひきつっている。「あいつ、自分のことをイエス・キリストだと思ってやがる!」 

ーー「障害者優先」

自分のことが正しいと思っている人たちが向かう道は3つある。ひとつは、内省により自己を見つめて、みずからの意思で変わろうとする道。ひとつは、これまでの価値観を変えざるを得ない衝撃的な出来事が起きて、変わらざるをえない道。そして最後は、そのまま気づかず変わらずに生きて死ぬ道。

著者はこの3つのうち「衝撃的な出来事が起きて変わらざるをえない道」を登場人物たちに提示する。聖書の文脈においては、衝撃的な出来事は、イエス・キリストとの出会い、神や天使の降臨、奇跡だろう。オコナーは、キリストや奇跡の代わりに、暴力、犯罪者、詐欺、差別、死によって、衝撃をもたらす。

まるで、目の中に入った巨大な丸太を取るには、丸太が落ちるような強烈な衝撃を与えなければならない、とでもいうかのように、著者は容赦なく、鮮烈に、劇的な一瞬を書き続ける。

登場人物はその衝撃によって、違う世界線にたどりつく。その描写はときに天使が降りてきた啓示、あるいはエル・グレコの宗教画のようで、異世界めいた色彩と光に満ちている。

森と空の境界線は、世界にぱっくりあいた暗い傷口のようだった。ミセス・メイ自身の表情もかわっていた。いままで見えなかった人が急に視覚を取り戻したものの、まぶしさに耐えられないでいる。そういう顔だった。ーー「グリーンリーフ」

 ミスタ・ヘッドはとても静かに立ち、神の憐れみがもう一度自分にふれるのを感じていた。…人間が死ぬとき、作り主なる神のもとへ持ってゆけるのは、神から与えられた哀れみがすべてなのだ。

ミスタ・ヘッドはそのことを理解し、突然、自分が持ってゆけるもののわずかさを自覚して、はずかしさで体がかっと熱くなった。…これまで自分が大罪を犯した罪人だと思ったことはなかった。だが、こういうほんとうの堕落でありながら、しかも堕落した当人が絶望に陥らないように、これまでかくされていたのだとわかった。…神の愛は、神の許しに釣り合うほど大きいのだから、自分はこの瞬間、天国に入れるようになったのだ。

ーー「人造黒人」 

なんと暴力的な啓示だろう。これを著者は恩寵と呼ぶのだろうか? 丸太が目から叩き落されて目のくもりがとれた人は、天国に近づくからだろうか? キリストや奇跡がもたらす啓示を、暴力でもたらすことを、キリスト教徒としての彼女は受け入れるのだろうか?

そしてオコナーは、人間をあまり好きではないし、知性を信用していなかったように思える。人は、衝撃的な事件だけではなく、内省や対話にだって変わりうるが、オコナーは外部からの衝撃にこだわる。だが、対話の道を選んだら、きっとこんな劇薬みたいな短編はうまれなかっただろう。

 

 こうして思い返してみると、私が恩寵恩寵と言い続けていたのは、オコナーが好きで同意しているというよりは、彼女がもたらす心のざわめきを言葉にしたくて考え続けていたからなのだろう。だとするなら、オコナーはやはり最高の短編作家である。これだけ人間と作品について考えさせる手腕は、まちがいなくすさまじいものなのだから。

 

 収録作品

気に入った作品には*。

上巻

  • 善人はなかなかいない**
  • 河***
  • 生きのこるために
  • 不意打ちの幸運
  • 聖霊のやどる宮
  • 人造黒人***
  • 火の中の輪*
  • 旧敵との出逢い
  • 田舎の善人***
  • 強制追放者**
  • ゼラニウム*
  • 床屋
  • オオヤマネコ
  • 収穫
  • 七面鳥
  • 列車 

下巻

  • すべて上昇するものは一点に集まる**
  • グリーンリーフ**
  • 森の景色**
  • 長引く悪寒**
  • 家庭のやすらぎ
  • 障害者優先***
  • 啓示*
  • パーカーの背中*
  • よみがえりの日
  • パートリッジ祭**
  • なにゆえ国々は騒ぎ立つ 

読書会まとめ

恩寵鳥になる原因となった読書会。短編小説の読書会に参加したのははじめてだったが、意見がたくさん出て大変おもしろかった。皆が好きな短編がいい感じにばらけつつ、人気の作品もあった。私はだいたい好き(印象的)だったので、だいたいに手を挙げたので反省している。