南部は奴隷制度に対する考え方にとどまらず、経済、農業政策、政治的展望などの点においても北部と意見を異にしていた。今日、奴隷制度は廃止され、政治風土も大きく変わり、メディアという媒体の発達を通じてアメリカの均質化は進む一方である。しかし、それでもなおかつ南部は南部であり続けている。
――ジェームス・M・バーダマン『アメリカ南部』
「南部ってどんな所だい? 南部のひとはなにをしているの? なんで南部なんかに住んでるの? そもそも南部のひとはなぜ生きてるの?」とウィリアム・フォークナーは書き、 「われわれのほとんどがここしばらく見てきた苦悩は、南部が国全体から孤立しているということが原因で起きたのではなく、孤立が十分ではないという事実によって引き起こされたのである」と、フラナリー・オコナーは書いた。
いわゆるアメリカ南部文学と呼ばれる作品をいくつか読んでいると、南部からにじみ出る、あるいは吹き上がる風土に興味がわく。南部については断片の知識しかない。断片をつなぎあわせる糸が欲しくて本書を手に取った。
南部で生まれ暮らし、20年前に日本へやってきた学者による「アメリカ南部」入門書である。奴隷制度から南北戦争、公民権運動にいたる大まかな歴史に加えて、文学や音楽といった南部文化についても簡潔にまとめている。
著者が南部うまれ南部育ちであるため、ところどころに彼の経験談が挟まれるところが興味深い。1947年うまれの彼がティーンエイジャーだったころはまさに公民権運動どまんなかで、白人学生と黒人学生の関わりはほとんどなかったという。つい50年前まで、そういう時代だったのだ。
アメリカの歴史は、学生時代に丸暗記して以来だ。当時は経済をほとんど理解していなかったため、なぜ南部が奴隷制度を維持しようとしていたのかわからなかったが、経済と土地の要因がかなり大きかったのだとわかる。
南部の富は、綿花栽培のための土地とその土地で面を摘む奴隷たちがそのほとんどであった。
南部の土地は農業王国で綿花栽培に適していて、奴隷を増やせば利益を増やせた。北部が土地改良を行って工業も発達したのにたいして、南部は農業と単純労働によって利益を上げ続けた。南部の土壌が奴隷に頼るシステムをつくりあげ、奴隷制度を前提とした文化や人格が育っていった。
「南部地主階級(サザンジェントリ)」や「南部美人(サザンベル)」といった「南部人としての理想像」、「心ある主に遣えて幸せな黒人像」といった当時のステレオタイプは、フォークナーやフラナリー・オコナー、カーソン・マッカラーズといった作家を読んだ後ではだいぶむずがゆいが、当時はこうした「理想」をこねあげることで社会と自分を肯定せざるをえなかったのだろう。
また、過酷な人生を嘆く即興的労働歌「フィールド・ホラーズ」、神に祈りと許しを乞う霊歌など、黒人たちが自身をなぐさめるのに歌が欠かせなかった。今なお栄えるジャズやブルース、ゴスペルは、逃れられない人生を嘆いた黒人の悲哀と嘆きからうまれた。
いくつかあるアメリカ南部、黒人文化入門書のうち、本書は文学作品を多めに紹介している点が特徴で、歴史の文脈をふまえた南部文学ガイドとして読める。読みたい本が増えて、まだ私は南部からしばらくは抜けられそうにない。
Recommend:アメリカ南部小説
黒人奴隷文学の元祖。著者は奴隷解放組織「地下鉄道」のメンバーだったという。
19世紀の黒人反乱を題材にした作品。この反乱がもとで白人は「黒人を自由にさせてはいけない」と、奴隷を押さえつける法律をつくっていった。ピューリツアー賞受賞。
トランプ政権の誕生により読まれることになった本。ヒルビリーとはプアー・ホワイト、ホワイト・トラッシュと呼ばれる「貧しい白人」のこと。こちらは21世紀の本だが、歴史をひもとくと、この階級は18世紀からずっと受け継がれてきたことがわかる。
南部といえばフォークナーである。巨大なサトペン荘園、白人地主階級と黒人奴隷の確執は、いろいろ南部文学を読んだ今、もういちど読み返したい。
南部といえばフラナリー・オコナーである。オコナーは南部で書くことを誇りにしていたが、ただの南部作家にとどまらずに世界を描こうとしていた。オコナーの恩寵微笑になんども打ちのめされた。
南部ゴシック小説。他者とわかりあえると人類が信じるあの幻想、孤独の描き方がすばらしい。局所的にフラナリー・オコナーブームがきているので、マッカラーズもぜひ復刊してほしい。
実在の逃亡奴隷支援組織「地下鉄道」をモチーフにした小説。最後まで奴隷制度が残った深南部(ディープ・サウス)の描写が、ほんとうに修羅の国で恐ろしい。
著者マーク・トェインは、南部を流れるミシシッピ川で水先案内人として働いていた。そうか、これも南部だったかと思いいたる。水先案内人は、荒れ狂うミシシッピ川を知り尽くしているプロフェッショナルだったため、蒸気船ができるまでは憧れの職業だったらしい。また読み返したい。
『風とともに去りぬ』は小さい頃に映画を見た記憶しかない。バーダマンによれば、スカーレット・オハラは南部の女だが、いわゆる「南部美人(サザンベル)」とはほど遠い女性として描かれているという。ただ、いわゆる白人から見た、都合のいい南部だという批判もあるようだ。オハラの周囲にいる男性がほとんどKKKらしい。いま読みたいかといえば微妙だが、鴻巣さんによる解説は読んでみたい。