ボヘミアの海岸線

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『砂の子ども』ターハル・ベン=ジェルーン|砂のように曖昧な存在の私

 今は嘘と欺瞞の時代です。ぼくは、存在か、それともイメージなのか。肉体か、それとも権威なのか。枯れた庭の石か、それとも動かぬ木ですか。言ってください。ぼくは何者なのか。

――ターハル・ベン=ジェルーン『砂の子ども』

 

私の心にはおそらくずっと地平線と水平線があって、折に触れて、まったいらで人間のことなどなにも考えてない、静かに圧倒的な線を見に行きたくなる。思いかえしてみれば、10年前は砂漠を求めて、砂漠のような書物、砂漠のような物語を読んでいた。

ロッコの旧市街を舞台にした小説『砂の子ども』は、砂漠を求めていた当時を思い出させる。

砂の子ども

砂の子ども

 

 

舞台は、モロッコの旧市街メディナ。古い門、門の近くに開かれる市場、路地裏、公衆浴場、モスクが魔法陣のように入り組む旧市街で、講釈師と1冊のノートによって、伝説めいた物語が語られる。

物語の主人公はアフマド、男性として育てられた女性だ。日本でいえば『とりかへばや物語』に近いが、アフマドの物語はイスラム教文化ゆえのつらさを背負っている。

つらい原因はイスラム法だ。イスラム法において「女児の価値は男児の半分」であり、遺産が半分になるばかりか、子供に誰も男児がいなければ遺産が親族にとられてしまう。アフマドの家では女性しかうまれず、両親は8番目の子アフマドを性別問わず男性にすると決める。

男に生まれるのは小さな厄介だが、女に生まれるのは災難であり、不幸だ。道にぞんざいに投げ出され、日暮れには死がその道を通っていく。

男であることは幻想であり、暴力だ。だが、すべてがそれを正当化し、特権を与えている。

女性の身体を持ちながら、男性としての社会的特権を与えられたアフマドは、過剰に男らしくふるまおうとする。家族の女たちを虐げ、自分の身体を憎む。誰にも秘密を知られてはならない苦しみから孤独に引きこもり、怒りっぽくなる。 

 

読み進めるにつれて、遠く思えたアフマドの苦しみやつらさが、文化と国境を越えて迫ってくる。

彼女の苦しみは、自分が何者かわからない苦しみ、自分の身体を認められない苦しみ、社会が女を差別する苦しみだ。

家族やしきたりから要請されるがままに己をさしだせば、心はすさみ、やがて自分を見失う。怒りにとらわれれば人は離れ、その行動にますます傷ついて怒り、他者との距離が開いて孤独はつのる。自分の体を蔑めば、自分の味方が誰もいなくなり、己で己を傷つける。

八方塞がりだ。自分を自分で受け入れられない苦しみは、イスラム圏に限らず、世界のどこにでも、誰にでも起こりうる。

 今は嘘と欺瞞の時代です。ぼくは、存在か、それともイメージなのか。肉体か、それとも権威なのか。枯れた庭の石か、それとも動かぬ木ですか。言ってください。ぼくは何者なのか。

本書で語られる心情はだいたいつらいが、ときおり美しい記憶と詩の言葉が光を放つ。路地に連なる門の語り、公衆浴場でアフマドが「言葉で体を覆う」場面がとくに好きだった。 

薄暗く閉ざされた浴場の中で、女たちの発した言葉は、蒸気に支えられて、彼女たちの頭上に浮いているかのようだった。言葉がゆっくりと上っていき、濡れた天井にぶつかるのがわかった。綿雲のようになって、石の天井に触れると見ずになり、私の顔にしずくが落ちてくるのだった。私はこんなふうにして遊んだ。身体を言葉で覆うのだ。言葉は体をつたって流れたが、いずも下履きの上を通った。私の下腹はいつも、言葉のしずくから守られていた。 

壁は記憶だ。石を少しひっかいて、耳をそばだてれば、様々な音が聞こえる。時間は、昼がもたらすものと、夜が撒き散らすものをかき集め、保存し、守っている。その証人は石だ。石の状態だ。一つ一つの石は、書かれ、読まれ、そして消されたページなのだ。すべてが土くれの中にある。物語。家。本。砂漠。放浪。後悔。赦し。  

曖昧なアイデンティティを抱えたアフマドの物語は、ページが進むにつれて、どんどん砂のようになっていく。形がさだまらず、砂丘のように曖昧になる。

これは完結した物語ではない。人の手によって広がり変わっていく伝説だ。

「過酷な現実より、神話や伝説の方が耐えやすい」と誰かが語る。

旧市街の路地裏に広がり、砂嵐の向こうにかき消えるような読後感は、いかにも砂漠の国の物語らしい。

 

おわかりのように、過酷な現実より、神話や伝説の方が耐えやすいのです。 

だれもこの物語の結末を知ることはできない。だが、物語というのは、最後まで語り継がれるものなのだ。

 

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「砂漠の思考」の断片を書物の形にまとめたもの。存在そのものが砂漠に似ている。

 

 

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