ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『ペルセポリス イランの少女マルジ』マルジャン・サトラピ|故郷がイスラム原理主義に一変した少女の記録

生のことだけ考えていたかった。でも、それはやさしいことではなかった

――マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』

 

これまでできていたことができなくなったり、話せたことが話せなくなったり、選べていたものが選べなくなったり、やらなくてよかったことをやらなくてはいけなくなったり……こんなふうに生活が一変(それも窮屈なほうに)したら、どんな心地がするだろうか。

イランは1980年代に革命が起き、中東で最も近代化が進んでいた国から一転して、イスラム原理主義の国となった。

著者は、自由なイランとイスラム原理主義のイラン、両方を経験した女性として、政治や戦争への疑問と怒り、友人や家族への愛情と悲しみを、モノクロームのマンガで描き出す。

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

 
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

 

 

著者のマルジャンは、祖父が王族という上流階級出身で、自由と自尊心、反骨心を尊ぶ家庭で育てられた。この家族だからこそ、マルジという少女がうまれたのだということがよくわかる。

そんな少女の生活が、革命によって激変する。これまで自由に言えたことを禁止され、服装を制限され、祈る人が「すばらしい人」となる世界に変わる。

短期間でこれほど国と生活が激変するのは、近現代においては革命と国家消滅以外にはありえない。だが、人の心や生活はそう簡単には変わらない。マルジャン一家やイラン人の人々は、権力への不信や抵抗を示しながら、自分たちの世界と自由を守ろうとする。

 

マルジャンがとても素直、素直すぎるほどに、自身の心を観察して描く。彼女は、幼いころは「偉大な預言者になりたい」と思っていて、やがて政府に反抗する人々が尊敬されていると知ると、親族の中で拷問を受けた人を探して自慢したりする。幼い頃なら誰でも持つ「すごい人になりたい」欲求(そしてそれはおうおうにして後に恥の記憶となる)を、ここまで書ききることがすごい。

彼女は、自分の心境変化だけではなく、周囲の人々や社会の変化も冷静に観察する。特に彼女が描くのは、反抗する人々だ。彼女の家族は、家に警察が乗り込んでくる危険があっても、パーティーをしてワインを飲みまくる。警察がやってきたらワインはトイレに全部流すなど、やることがだいぶロックだ。従順に従ってたまるか、自由は私たちのものだ、という反骨心がいたるところに響いている。

人々は権力の戦うが、やがて権力が強くなっていくと、抵抗は弱まっていく。知り合いや親族がどんどん国を出ていく姿、あるいは死んでいく姿を、著者は描きとめる。

やがてマルジャンは親の勧めでヨーロッパへと出ていく(『マルジ、故郷に帰る』はヨーロッパ生活が主軸)のだが、ヨーロッパでの生活は「故郷から離れた人」の疎外感と「若者らしい生きづらさ」に満ちている。

 

本書は、革命がいかに人々の生活と家庭を激変させ、人の心と命を奪うかを、まざまざと描き出している。

少女マルジの素直な独白と反骨心がよい。イスラム社会では、女性は男性よりも地位が低く生きづらい。しかし、彼女たちは、制限されている中で、自分たちなりの自由を楽しみ、反抗し、心を守ろうとする。(もっとも著者はイラン人の中でもかなり裕福な家庭にうまれているため、高い水準の教育とヨーロッパ生活による多様な視点を形成できたことは間違いない)

マルジャンは格好悪さをさらけ出し続けるが、やっぱり格好いい。だからきっと本書は、世界中で読まれたのだろう。

 

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