『須賀敦子のヴェネツィア』大竹昭子|悲しみとなぐさめの島
ヴェネツィアは、なによりもまず私をなぐさめてくれる島だった。
イルマ・ラクーザ『ラングザマー』、アンリ・ドレニエ『ヴェネチア風物誌』と続けてヴェネツィアにまつわる本を読んだので、さらにもう一歩、ヴェネツィアの路地裏に迷うことにした。アンリ・ドレニエのヴェネツィアは喜びと愛に満ちていた。須賀敦子のヴェネツィアは、悲しみと追憶に満ちている。
かつて須賀敦子と交流があった著者が、須賀敦子の描いたヴェネツィアの痕跡を探しに、写真と文章でヴェネツィアをめぐるエッセイである。
須賀敦子は、イタリア人の夫とともにイタリアに暮らし、多くのイタリア翻訳小説とエッセイを残した。 夫ペッピーノとの幸福な結婚は、夫の突然の病死によって終わりを告げた。彼女は日本に帰国してから、悲しく懐かしいヨーロッパの記憶を語る作家となった。
著者は、ヴェネツィアの町を歩きながら、須賀敦子の作品に登場するヴェネツィアの影と記憶を追いかける。サン・マルコといった観光スポットからはそうそうに離れて、路地裏、水路、橋、ゲットー、離島と、静かで影のあるヴェネツィアへともぐりこんでいく。
ヨーロッパで生きるとは、石とともに暮らすことに等しい。石の建物に住み、石の道を歩き、石炭くさい水を飲み、その水で育った食べ物を食べるうちに、石の硬さや冷たさが親しいものに変わっていく。……須賀はこう日記に書いている。
「石のヨーロッパということを痛いほどかんじる。私の中にこの石が入ってしまったこと。……こんなに石をたべてしまった私は、これからどうして生きてゆけばよいのかわからない」。
本書を読んでいると「ヴェネツィアの宿」「ヴェネツィアの悲しみ」といった土地の名を冠した作品のほかに、須賀敦子がいろいろな作品でヴェネツィアを書いてきたことに気づく。
彼女の作品の多くは、ひとつの巨大なヨーロッパの記憶と言えるもので、霧や石畳や本をつうじて都市と都市が地続きにつながっていくから、思わぬところでヴェネツィアの記憶が出てくるのだろう。
霧をつうじてミラノからヴェネツィアへ、石畳をつうじてヴェネツィアからローマへと歩く彼女につられて、私も石畳を歩きながら、かつて住んだ旧市街の記憶にいきあたる。石でできた旧市街で、私は400年前の石の家に住み、500年前の石でできた大学にかよい、中世には糞尿が窓から放り流された石畳を毎日歩いていた。
あまりにも目にする石たちが古いので、古いヨーロッパを歩く者たちは、過去を思い出し続けざるをえない。旧市街に住んでいた時の私はずっと、石の染みやひび割れを眺めながら、数百年前のことを考えていた。
同じように、水と石でできた都市を歩くことは、水であり島であることが意識から消え去ることはない。その意識を須賀敦子が「悲しみ」と書いたのは、彼女らしい感覚だと思った。霧や石畳、水に触れた時、よろめくように悲しみと追憶へ揺り戻るからだろうか。
石と水を抱え込むのは、ラグーナの中に築かれた島の宿命である。……石に信頼を寄せつつも、水を受け入れなくては生きてこられなかったところに、ヴェネツィアの宿命があった。
この現実を須賀は「ヴェネツィアの悲しみ」という言葉で表現している。 大量の石を用いて、一見、島とはわからないほど徹底して「都市のふりをさせている」けれど、いくら飾りたてても「足のずっと下のほうが水であることが、彼らの意識から消え去ることはけっしてない」。
石の奥に悲しみがにじんでいる。
それにしても、かつて自分が訪れた土地について、他者が書いた旅行記を読むことはつくづく不思議なことだと思う。
同じ土地から、アンリ・ドレニエは光と愛を、須賀敦子は悲しみとなぐさめを受け取ったように、人によって土地から受け取る記憶はこうも違っている。
さらに本書は、須賀敦子が描いたヴェネツィアと、著者が須賀敦子を追いながら自身で感じたヴェネツィアが混じり合っている。その本を私が読んで、私が歩いたヴェネツィアと、住んだ旧市街の記憶が混じりあう。
そしてたどりつくのは、いちども訪れたことのない架空のヴェネツィアだ。
このヴェネツィアを私は歩いたことはないが、歩いたつもりになってしまう。土地にまつわる記憶のよろめき、穏やかな勘違い。
これまでは、自分の足で旅行するほうが好きで、旅行記を読む気があまりおきなかったが、あるていどいろいろな国をまわったからか、今は旅行記を読みたい。自分の記憶と他者の記録をまぜこぜにして、もっとよろめきたい。
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