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『秘義と習俗』フラナリー・オコナー|私は南部とキリスト教の小説家

真のカトリック小説は、人間を決定されたものとは見ない。人間を、まったく堕落したものと見ることはない。かわりに、本質的に不完全なもの、悪に傾きやすいもの、しかし自身の努力に恩寵の支えが加われば救済されうるものと見るのである。

 ――フラナリー・オコナー『秘義と習俗』

 

小説家が、作品の意図や背景について語ることはめずらしい。小説家は小説で語り、読みは読者にゆだねる存在だと思っていた。ところがフラナリー・オコナーは『秘儀と習俗』で、自分の作品に通底するものや背景、作品の意図についてびっくりするほど率直に語る。

秘義と習俗―フラナリー・オコナー全エッセイ集

秘義と習俗―フラナリー・オコナー全エッセイ集

  • 作者: フラナリーオコナー,サリーフィッツジェラルド,ロバートフィッツジェラルド,Flannery O'Connor,Sally Fitzgerald,Robert Fitzgerald,上杉明
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 1999/12
  • メディア: 単行本
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著者と作品を形作るものについてのエッセイ集である。オコナーといえば「南部」「キリスト教」がその特徴としてあげられる。作品を読んでいる時、著者が「南部」「キリスト教」についてどう考えているのかが気になっていたが、本書ではその問いへの答えが書いてある。

私の書物に性格を与えた環境上の事実は、南部人であることと、カトリック教徒であることの2つである。

彼女にとってキリスト教は「秘儀」、南部は「習俗」であり、秘儀と習俗を表すことが小説だという。

習俗(マナーズ)をとおして秘義(ミステリー)を具体的に表すのが小説の務めである。…秘義とは、この世にわれわれが在る常態についての神秘であり、習俗とは、芸術家の手を経てそのわれらの存在の中心的神秘を明らかにするような、しきたりのことである。

オコナーの小説は似た構成が多いと思っていたが、なるほどここまではっきりと「小説とはなにか」を決めているならと納得する。そしてオコナーは「南部」「キリスト教」をとても重視し、誇りを持っていることがわかる。

習俗は、作家にとって非常に重大なものであって、だからどんな種類の習俗(マナーズ)でも用に足るのだ。野卑な習俗だって、ぜんぜんないよりよい。われわれ南部人は常態の習俗(マナーズ)を失いつつあるから、きっと必要以上にそれを意識するのだが、こういう状況は作家を生み出すのに適しているようだ。 

われわれのほとんどがここしばらく見てきた苦悩は、南部が国全体から孤立しているということが原因で起きたのではなく、孤立が十分ではないという事実によって引き起こされたのである。 

私にとって生の意味は、キリストによる罪の贖いを中心にしているということであり、この世で私がものを見るとすれば、そのものがこの贖罪とどう関わるかという点をとおして見るのである。

 

オコナーの激烈な一撃をもたらす手法についても、本人の言葉があった。これには驚いた。

キリスト教を心に留める小説家は、自分にとっては不快な歪みを現代生活の中にきっと見出すものだ。そして彼は、その歪みを当然と見ることに慣れた読者に、歪曲を歪曲と見させることを自分の問題とするはずである。そんな敵意ある読者に、作家が、自分の想像を誤りなく伝えるために、いやましに暴力的な方法をとらざるをえかったとしても、それは当たり前というものである。

…作家は、自分のヴィジョンを明確に伝えるために、衝撃を加えるという手段に頼らざるを得ないのである。耳の遠いものには、大声で呼びかけ、ほとんど目の見えぬ者には、図を示すと大きくぎくりとさせるような形に描かねばならぬのと同じ道理である。 

現代小説で非常に多く暴力が使われる理由は、作家によってちがうと思うが、私の作品では、人物たちを真実に引き戻し、彼らに恩寵の時を受けいれる準備をさせるという点で、暴力が不思議な効力を持つということに気づくからである。人物たちの頭は非常に固くて、暴力の他に効き目のある手段はなさそうだ。真実とは、かなりな犠牲を払ってでもわれわれが立ち戻るべき何かである、という考えは、気まぐれな読者にはなかなか理解されない。しかし、それはキリスト教の世界観にはもともと内在する考えなのだ。

 ここまではっきりと自分で言い切ってしまうとは! 

オコナーは身近に感じる習俗を用いて、私たちに近い人物を描き、読者にもたらす効果を狙っている。はっと目が覚める一撃という点では、その試みは成功していると思う。一方で、彼女がめざす「理想の人間」を読者が受け取れるかどうかはわからない。読書会でも、一撃の効果については皆が気づいたが「ならばどういう人間を理想としているのか」については、迷う声が多かった。

下記の一文は、読者とオコナーの距離をあらわす、ユーモアあふれる一文だと思う。オコナーが本気なのか真顔ギャグなのかは判断が難しいところではあるが。

一度、カリフォルニアに住む年寄りの女性から手紙をもらったことがあるが、彼女の言うところによれば、労働に疲れて夜に帰宅する読者は、何か心を明るくするものを読みたいものだそうだ。彼女の心は、私の作品のどれを読んでも明るくならなかったらしい。私は、彼女の心の在処さえ正しかったら十分明るくなっただろうと思う。

フラナリー・オコナーの短編集を読んだ後で本書を読むと、また短編集を楽しめるようになるので、じつにおもしろい本だった。オコナー短編集とともに楽しむための本だと思うので、一緒に文庫化入りしてほしいところ。

 

 フラナリー・オコナーの著作レビュー

 

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  • 作者:J・デリダ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
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  • メディア: 文庫
 

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