『惨憺たる光』ペク・スリン|心のやわらかい場所につながる薄闇
決して死にたかったわけではない。ただ闇のほうがなじみ深かっただけ。
ーーペク・スリン『惨憺たる光』
「光」という単語は、明るさ、まぶしさ、あたたかさ、希望や展望、といった前向きな印象で語られることが多いが、本書における「光」は、惨憺たるもの、人を呆然とさせるものとして描かれる。それはおそらく炎天下の砂漠のような光で、思考を吹き飛ばし、世界と人生に一時停止をかける。
だから登場人物たちは、光ではなく、闇のほうに目を向ける。闇は薄暗く、穏やかで、心のやわらかいところとつながっている。
光の話というよりは、闇の話である。闇といっても、異形がぬるりと出てくる悪夢めいた暗黒の闇ではなく、濃淡さまざまなグレーでできた薄闇だ。
登場人物たちの多くは韓国人で、外国あるいは外国人たちと出会う。イギリスへの留学、フランスへの滞在、中国人の義母、ドイツ人の親族だったかもしれない人と出会った時、彼らは白黒つかない感情、他者にはあまり見せず、自分でも自覚していない、灰色の領域を見出す。
自分より恵まれている友人をうとましく羨ましく思う気持ち、自分勝手な家族を理解したくない気持ち、それでも彼らに執着してしまう気持ち、コミュニティに所属していてもさびしく仲間がいない気持ち、そういった感情を著者は描く。
私はユラと違い、絶えずアルバイトをしなければ家賃を払えなかった。そんな私に気をつかい、ユラがわざわざ早朝に起きだして電話をかけてくることは、聞かずともわかった。ユラはそういう娘で、ありがたかったけれど、正直に言えばありがたくなく、ありがたくなく、ありがたくなかった。ユラの私に対するすべてが好意だとわかっていたけれど、ありがたいとも思ったけれど、同時に我慢ならなかった。私はユラと対等になりたかったし、けんかをしたかったし、競い合いたかった。
彼らは日常ではなく、「異者とであう非日常」の時に白黒つかない感情と対峙する。
登場人物たちの多くは内向的で、自分の考えを積極的に出すタイプではない。だから、日々どこかでふたをしている感情が、非日常と出会った時にはずれるのかもしれない。
この内向性は、会話スタイルにも出ているように思う。彼らにとって他者との会話はあくまでトリガーで、彼らと接触したことで出てきた「ふだん意識しない自分」「過去の自分」が対話相手となる。
本書において、他者はどこまでも他者で、その心に触れることなどできないし、永遠にわかりあえない存在だ。孤独と孤独が出会って共同体になるのではなく、孤独と孤独が出会ってふたつの孤独のまま別れていく。
彼女はかばんの中に色とりどりの豆を一つかみずつ持って歩く彼の心の中を、永遠に推し量れないことを知っていた。
おそらく著者は、光よりも薄闇に親近感を寄せるタイプなのだろう。白黒つかない感情は、どろどろではなくさらさらしていて、薄暗い感情をあまり否定しない。だから読んでいても、あまりエグみやつらさを感じない。真っ白くて明るい部屋よりも、薄暗い屋根裏部屋を愛するように、薄闇の描写は光のそれよりもずっとやわらかい。
光が惨憺たるものとして描かれるのは、愛すべき薄闇を壊して、真っ白に吹き飛ばしてしまうからかもしれない。
こんなふうに生かされていくのだ、時間とともに。そんなことを思ったわ……。でも、それは治癒かしら。チョイ、私はそのときになって始めて、ロベールがなぜなんなに治癒を恐れたのか悟ったの。そして、ロベールを送り出してから初めて泣いた。子どものように。湖畔のただ中、かすかな光の真っただ中で。
収録作品
気に入った作品には*。
ストロベリー・フィールド*
ビートルズの故郷リバプールに旅行した韓国人女性が、過去の留学時代を思い出す。当時は非常に貧乏で、裕福でイギリス人の恋人がいる韓国人の友人を羨ましく思っていた。仲がいいけれど友情以外の感情を持つことはよくある。とくに相手が「いい子」ならなおさら。白黒つかない感情ランキングがあるなら、本書の中では「途上の友だち」と並んでトップ3に入る。
夏の正午
パリに旅行した韓国人女性が、かつて学生だったころ、パリに長期滞在していた思い出を思い出す。当時出会った日本人男性のに恋心を抱いていた時の記憶。私も若い頃、偶然に出会った外国人と恋愛関係になったことがあるが、あの頃の「なにも相手のことを知らないのになぜか恋愛感情を抱く」不思議を思い出した。
時差
外国の血がはいっている遠い親戚が韓国にきたので、語り手は観光スポットを案内する。星の話、豆を持って歩くエピソードが好きだった。
初恋
本書の中ではめずらしい韓国人どうしの恋愛もの。ロシア語学科というところで、外国のモチーフが入っている。文系学科はなかなかつらい目にあいがちだが、学歴重視の韓国でもやはりかなりの統廃合や圧力があったことがわかる。
中国人の祖母
祖父が中国人の女性と結婚して、中国人の義母ができた。彼女は親族の中で外れ者として生き続けた。ほとんど会話したことがない相手とのわずかな会話が、鮮明に記憶に残る瞬間を描く。
惨憺たる光*
著名な映像作家・監督が来韓するので、独占インタビューのために記者の語り手がはりつく。まったくインタビューに応えてくれない中、監督が語ったこと。一度会うきりの人間にこそ話せる感情と、惨憺たる光のコントラストが印象的。
氾濫のとき*
イタリア・ヴェネツィアで、天才画家だった男とその妻が違法宿泊を経営している。ヴェネツィアの町が沈没しかかるほど水浸しでおもしろい(現実にはこれほどしょっちゅう腰まで水が来たりはしない)。本書の中ではわりと幻想的。
北西の港
語り手は、父親の元恋人の子供がいるらしいと知り、会いに行く。家族のことをいちばん知っているのは家族だと思われがちだが、親子といえどまったく知らない一面があることはままある。親と子の、心の距離を描いた作品。
途上の友だち
ひさしぶりに再開した友達と、昔に行った場所へ旅行する。友達どうしのささやかなマウンティング、合わない人間との旅行の面倒くささなど、いろいろなグレーの感情が思い出される。とりあえず、食事や行動のルールが合わない人間との旅行はほんとうにやめたほうがいい。
国境の夜*
この世界が怖いからと、14年間胎内にいた子供が語る。この作品だけ読んだらそれほど印象に残らなかったかもしれないが、他の短編を読んだ後だと「光」の意味がちょっと変わっていて感慨深い。ようこそ現世へ。ともにこの世界を生き延びよう。
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アメリカ文学。割り切れない、白黒つけられない貧乏実家への感情、矛盾した感情を描いて、それでもいいんだと受け入れる。起きたことはじつに地味な小説だが、語り手が内面の旅によって得た立ち位置がまったく変わっているので、過去すべてを変える力を持つ、なにげにパワーのある小説。「他者の心はわからない」と他人の信条描写を徹底して排除している姿勢も、本書の「他人の心は永遠にわからない」という姿勢と似ている。