ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

第五回 日本翻訳大賞の最終選考5作品を読んだ

 第五回 日本翻訳大賞に、ウィリアム・ギャディス『JR』(木原義彦訳)とジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』(木下眞穂訳)が選ばれた。2作品の受賞、おめでとうございます。

JR

JR

 
ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

 

日本翻訳大賞とはなにか

日本翻訳大賞とは、「直近の年に翻訳された作品のうち最も称賛したい作品に贈られる賞」である。第5回は2017年12月~2018年12月に翻訳された作品たちから選ばれた。(参考:日本翻訳大賞とは | 日本翻訳大賞公式HP

なぜ最終候補5作品を読もうと思ったのか

なぜ最終候補5作品をすべて読もうと思ったのか。きっかけはウィリアム・ギャディス『JR』読書会だ。

今年の2月末、狂乱のウィリアム・ギャディス『JR』読書会に参加した。最終選考5作品のうち最難関と思われる『JR』を読み終わったので、がんばれば最終選考5作品すべてを読めるのではないか? と啓示が降りてきた。

5月にトマス・ピンチョン重力の虹』読書会が控えているので、ちょっと厳しいかもしれないと思ったけれど、狂気の読書会と狂気の読書会の間だからいける、との根拠皆無の確信が私を後押しした。

 

日本翻訳大賞の最終選考5作品のレビュー

結果として、すべて異なる国、異なる雰囲気の違う作品を読めてたいへんに楽しかった。どれから読んだらいいかいっぱいあって迷う人のためにさっくりレビューを書いてみた。

 

 大賞受賞作品:ウィリアム・ギャディス『JR』

アメリカ文学|舞台:1970年代 ニューヨーク

鈍器度:☆☆☆☆☆|混沌度:☆☆☆☆☆|真顔ユーモア度:☆☆☆☆

「これぞアメリカ!」といわんばかりの少年を爆心地として、金融と政治と外交分野にはびこる「金儲けに邁進する人たち」、金よりも大事なものを信じるが貧乏な「芸術家たち」が百鬼夜行する怪物小説。

中身はいたってまっとうな社会風刺ものなのだが、物理が怪物(全940ページ、1.2kg)、表現形式が怪物(誰が会話しているかわからない)である。「もうこんなのむり」とうつろな目になりながらも、scrapboxを使って読書Wikiを作りつつ、なんだかんだで2.5周してしまった。5畳分ぐらいのスルメ小説であり、読めば読むほど発見があるのだが、とにかくいろいろな意味で規格外なので心して臨むべし。

 

 大賞受賞作品:ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』

ポルトガル文学|舞台:1980年代 ポルトガル・ガルヴェイアス

人間関係度:☆☆☆☆☆|犬度:☆☆☆☆|SF(少し不思議)度:☆☆☆

 ポルトガルの小さな村ガルヴェイアスにソドムとゴモラを思わせる正体不明の巨大物質が落下するが、そんなのは放っておいて村人たちの物語が語られる。100人あまりの登場人物すべてに名前がつき、ハリウッド映画なら即座に作戦コードがつけられそうな巨大物質は名なしのまま放っておかれる。

この「焦点」の逆転現象により、『ガルヴェイアスの犬』は「誰でも物語と秘密を持っている」ことを明かしてくれる。うんこ投げ合い合戦や不倫、殺人、差別など、人間のだめなところもたくさん出てくるが、著者の人間への愛情がにじみ出ているため、読後感は軽やかである。ヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)を飲みながら、暑くなる季節に読みたい。

 

リチャード・フラナガン『奥のほそ道』

オーストラリア文学|舞台:1940年代 タイ・ビルマ~現代オーストラリア

えぐられる度:☆☆☆☆☆|凄惨度:☆☆☆☆☆|俳句度:☆☆☆

 『JR』とともに「☆☆☆☆☆(とても好き・個人ベスト)」入りした『奥のほそ道』。『JR』は怪物なので万人には勧めづらいが、『奥のほそ道』は万人に勧めたくなる。

第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、「Death Railway 死の鉄道」と悪名高い泰緬鉄道の建設にかかわった医師の生涯を、「鉄道以前」「鉄道」「鉄道以後」の時間軸で追っていく。「生」と「死」と「生きているが死んでいる」状態をこれほどえぐり出した作品にはめったに出会えない。たいへんに心がえぐられるが、闇の中のつかのまの光がまばゆく、鮮烈な印象を残す。

 

呉明益『自転車泥棒

台湾文学|舞台:1940年代~現代 台湾・台北

自転車度:☆☆☆☆☆|物語の慰め度:☆☆☆☆|傷の回復度:☆☆☆☆

散り散りになったヴィンテージ自転車のパーツを組み上げるように、戦時中台湾の歴史、自転車の軍事利用の歴史、戦時中で殺された象たちの物語、戦争に心の一部を置いてきてしまった人たちの物語が組み上げられる「組み立て小説」。

「戦時中に心を置いてきた」点ではフラナガン『奥のほそ道』と同じであるが、『奥のほそ道』が戦時中の地獄を経験した当事者による語りであるのに対して、『自転車泥棒』は当事者の家族の物語である。傷を家族に語れず失踪する人たちも、傷を語られずに家族の喪失に直面する人たちも、どちらもそれぞれつらい。このつらさを、著者は物語によって回復しようとする。強い物語への信頼を感じる、傷の回復の物語。

 

ハン・ガン『すべての白いものたちの』

韓国文学|舞台:韓国~ワルシャワ

白度:☆☆☆☆☆|内に向かう度:☆☆☆☆☆|傷の回復度:☆☆☆☆

この小説は白に満ちている。白についての散文が、何種類もの白い紙を使った装丁に書きこまれる。すべてはわずか数時間で死んでしまった姉のため、そして自分のためだ。著者は白いものを集めて、白い霧に浮かぶ葦原へ向かい、自分の傷や痛みと体面する。

5作品のうち最も、自分の内へ、内へ、と向かう小説であり、最も繊細な小説であると思う。傷の回復の作法は違えど、語ることによってみずからの傷と向かいあう点では呉明益『自転車泥棒』とつうじるものがある。

 

 まとめ

じつに豊作だった。すべて異なる国の作品でありながらも、『奥のほそ道』『自転車泥棒』のように、ともに第二次世界大戦で受けた心の傷を扱っていたり、『自転車泥棒』『すべての、白いものたちの』のように、それぞれが自分の痛みと向きあって回復しようとしたり、『自転車泥棒』『すべての、白いものたちの』『ガルヴェイアスの犬』のように、個人の物語を尊重したりと、共通点があることがおもしろかった。そしてそんなことおかまいなしに圧倒的物理と語りで迫ってくる『JR』。おまえはなんなんだ。

私の個人ベスト(☆☆☆☆☆)2作品にであえたのもよかった。

それに、最終選考作品だけでなく、二次選考通過作品にも読みたいものがある。いい企画である。

 

たいへん満足したので、次は『重力の虹』再読に向けて、バナーナ朝食会で体力をつけて、耳をつんざく叫びとともに空を切り裂き飛んでいくことにする。

トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)