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『逃亡派』オルガ・トカルチュク│動け、進め、行くものに祝福あれ

「家、どこにあるか覚えてる?」

「覚えてるわ」アンヌシュカは言った。「クズネツカヤ通り四十六番地、七十八号室」

「それ、忘れなよ」

ーーオルガ・トカルチュク『逃亡派』

 

10代の頃からずっと、「逃亡」へのゆるやかなオブセッションを抱え続けている。

ここではない別の場所へ行きたい、違う場所へ移動したい、という思いは、自分の意志と資金で行動できる年齢になった時、「旅行」という形で現れた。

10代から20代前半にかけて、移動への引力に引きずられるようにして、旅をしていた。すぐ移動しなくては、と発作のように思いつくので、友人と計画を練る暇などなく、だいたいは1週間以内にぱぱっと目的地を決めて計画をつくって実施する一人旅だった。いつ移動発作がきてもいいように、目的地不明の旅行資金口座を持っていた。

目的のない旅、逃げる対象があいまいな逃亡、移動そのものへの欲求。『逃亡派』にも、こうした移動と逃亡の引力が満ちている。

 

揺れろ。動け。動きまわれ。

『逃亡派』は、「移動」にまつわる116の断章が集まってできている。いくつかの断片は相互につながっているが、多くは語り手も場所も時間もばらばらだ。

あらゆる危険をさしひいても、いつだって、動いているなにかは、止まっているなにかよりすばらしい。変化は恒常よりも高潔だ。動かずにいれば、崩れること、退歩すること、塵となることを避けられない。けれども動いているものは、永遠に動きつづけることもありえる。

旅行、失踪、巡礼、ダンス、川の流れ、ガイドブック、旅行心理学、ロシアのセクト逃亡派。

移動にまつわるモチーフが、行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、とでもいうように、ぽこぽこと現れては消えていく。

思うに、わたしみたいなひとは多い。つまり、消えているひと、存在しないひと。…彼らにはすでにわかっているのだ。自分たちが不変の存在ではないこと、自分たちが、場所や、一日のなかの時間や、言語や、都市や、その気候に従属しているということも。流動、移動、錯覚。

ダンスのステップは、近づくことと、遠のくことでできている。前に、うしろに、左に、右に。ダンスのステップなら覚えやすい。世界が大きくなればなるほど、この方法で、より大きな距離を踊れるようになる。つまり、ふたつの言語をあやつり、ひとつの宗教を信じて、七つの海のむこうへ渡っていくというような。

 

かつて読んだトカルチュクの小説『昼の家、夜の家』も断章形式だったが、あちらは泡というよりは、胞子みたいだった。国境地帯にある森の倒木に、ふさふさと胞子がふりつもり、キノコと苔が生えては朽ちていくような雰囲気がある。

トカルチュクの小説には、すべてが移ろいゆく流転の思想を感じる。

同じ場所でうまれて朽ちて流転する堆積物のような小説が『昼の家、夜の家』で、とどまらずに移動して流転する潮のや風の流れみたいな小説が『逃亡派』のように思える。

だから、どちらもトカルチュクの小説であるとわかるけれど、受ける印象がだいぶ違う。

巡礼の素質

ある古くからの知り合いは、ひとり旅がすきではないという。なにか珍しいものやあたらしいもの、うつくしいものを見たときに、だれかと感想を共有したいからだそうだ。そんなとき、となりにだれもいないと、彼は不幸に感じてしまう。

わたしからすれば、彼は巡礼には向いていないということだ。

 

移動モチーフの合間に、「解剖」と「標本」のモチーフも、くりかえし現れる。奇形を解剖して標本にする研究者、父親を標本にされてしまった娘の悲痛な手紙、客死したショパンの心臓と、解剖学とその歴史をからめた話が描かれる。

移動にまつわる小説で、解剖と標本のモチーフがくりかえし現れるのは、死ねば滅びるはずの身体が標本となることで、ポータブル(持ち運び可能)になり、時を越境できるからだろうか。

人間は生きているあいだはみずから移動し、死んだあとはポータブルになって移動する。あるいは、骨が海にまぎれ、海流にのって移動する。

 

考えているうちに、トカルチュクの描く移動は精神的なものではなく、身体をともなう「物理的な移動」であると気づく。

フェルナンド・ペソアが、旅など必要ないと書いたのは、身体を移動させなくても、精神でどこへでもいけると考えたからだった。逆に、トカルチュクは、物理的な身体を移動させて、「わたしはここにいる」と語る。

 

「逃亡」という単語に惹かれ続ける私が、この本を読んだのは、移動への引力が近づきつつあると、予感がした時のことだった。『逃亡派』を読んでから数週間後、隕石じみた出来事が人生のうえに落ちてきて、これまで体に絡まっていたしがらみが吹き飛び、よし逃げよう、移動する時だ、と決心できたのだった。

動け、進め。行くものに、祝福あれ。

 

オルガ・トカルチュク作品の感想


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