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ローズ・マコーリー『その他もろもろ』|知能主義ディストピアの愛

 「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」

もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。

頭の良し悪しがそんなに問題か?

ーーローズ・マコーリー『その他もろもろ』

 

幸か不幸か、昨今のディストピア小説ブームはまだまだ好調のようで、古典ディストピアから最新ディストピアまで幅広い小説が、世界的に書店に並んでいる。

『その他もろもろ』は、古典のオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』やジョージ・オーウェル1984』より数十年前に書かれた、「忘れられた古典」だ。

その他もろもろ: ある予言譚

その他もろもろ: ある予言譚

 

 

100年前に書かれたこのディストピア古典は、恋愛小説である。

舞台は「知能指数」至上主義のイギリス。愚かな人類のせいで戦争が起きるとして、愚かな人間を生み出さないために、「脳務省」(Ministry of Brains)が国民と知能指数を管理している。

国民は、知能指数でAからC3までランクづけされて、結婚や子づくりに細かいルールが決まっている。自由恋愛や人権などまるで無視の、優生学にもとづいた管理政策が人々を支配している。

 しかし、人間の感情はそう簡単に制御できるものではない。恋愛という熱病状態では、なおさらだ。

脳務省で働くキティは、同じ職場の脳務大臣と恋に落ちる。そんなふたりの恋を「知能指数」の壁がはばむ。

「誰も買わない赤ちゃん

生まれなかったほうがしあわせな赤ちゃん

知能のランクは

C3からZ……」

 

なんとも不思議な小説だ。人間を知能指数でランクづけして結婚や出産を制限する政策はいかにもディストピアだが、ディストピアにしては雰囲気がゆるく、英国アイロニーがきいていてディストピア小説的な重苦しさがあまりない。

知能指数施策に違反したとしても、処刑されたり洗脳されたりするわけではない。人々は、知能指数施策への不満を自由に話したり、脳務省の人々へ意見を言ったり、英国らしいブラックユーモアで皮肉ったりしている。

デモへの苛烈な暴力やデジタル監視がはびこる現代からすれば、だいぶ平和だ。100年前は、人々を監視する技術が、現代ほど徹底していない時代だった。

 「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」

もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。

頭の良し悪しがそんなに問題か?

 一方で、優生学にもとづいて合法的に人権侵害を行う政府は、優生学の最終形態たるナチを予感させる。著者が本書を書いた1910年代には、ナチは台頭していなかったものの、その前身である優生学は根深く存在していたのだと気づく。

統制が徹底していない点では平和だが、思想の点では恐ろしい。「牧歌的な地獄」とは、こんな感じかもしれない。

 心も感覚もつぶしまくるのが正しい道なら、そんなものはくそくらえと思う自分は、この国いちばんの救いがたき愚か者だ。

 

 

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