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『きょうの肴なに食べよう?』クォン・ヨソン|すべての肴は果てしなくうまい

世の中にまずい食べ物はあふれている。けれどもまずい酒の肴はない。食べ物のの後ろに”肴”と記されているだけで何でも食べられる。 

――クォン・ヨソン『きょうの肴なに食べよう?』

 

クォン・ヨソン『春の宵』を読んでいる時、この作家はとてつもなく酒とごはんが好きなのだろうと思った。つらい人生をじりじりと生き延びる中で、酒とごはんを食べるシーンだけは、漂流船がであった救助船みたいに、人生の救済めいた光を放っていた。

著者後記を読んだら、著者が大の酒好きだと明かされていて、やっぱりね、と納得したものだ。あまりにも酒のことを小説に書きすぎて、周囲からたしなめられたので酒について書くのをやめた、と書いてあって、笑ったけれどもったいないと思った。ごはん文学好きの人間としては、おいしい料理シーンはあればあるほどよいのだから。

そんな折に、酒と肴のことだけを書いたエッセイ『きょうの肴なに食べよう?』が刊行された。酒のことを書きすぎて周囲からたしなめられたから、小説の中で酒を書くのはやめたが、エッセイで書きまくることにしたらしい。よくやった、見知らぬ韓国の編集部、と思った。ごはんの文章は、世界にあればあるだけいい。

 

 

世の中にまずい食べ物はあふれている。けれどもまずい酒の肴はない。食べ物のの後ろに”肴”と記されているだけで何でも食べられる。 

本書は、堂々たる「すべての肴はうまい宣言」とともに、酒と肴への偏愛が語られる。

小説の雰囲気とはうってかわって、著者の語りはユーモラスだ。「まずい食べ物はたくさんあるが、酒とともに楽しむ肴にまずいものはない」と言い切り、激臭料理ホンオフェ(発酵したエイ)を食べるために専用の「エイの服」を買う、といったガチな姿勢が笑いを誘う。

基本的に、ギョウザは絶対においしくないはずのない食べものなのだ。これは変わりようがに。ギョウザがまずくなるなんて、すごくギョウザっぽくないことが起こらない限りありえないことなのだ。

著者は「春夏秋冬」の章それぞれで旬の食材をつかった韓国料理(肴)を食べて語る。韓国料理はそれなりに馴染みがあるつもりだったものの、ぜんぜん知らない料理や食材、食べ方が次から次へと登場して驚いた。やはり家庭料理は、レストランで食べる料理とは別の沼がある。

 

どんな食べ物でも、味の中には人と記憶が潜んでいる。

肴をつくったり食べたりしながら、著者は母親の言葉や料理、学生時代に友人と食べたごはんなど、個人的な記憶を思い出す。

おもしろかったのが、ひっそりと通っていた食堂の店長が著者の小説を読んでいたエピソードで、ひきこもり精神を全開にした著者の言動に笑った。

食事が記憶と結びついて、栄養と記憶となって体の中に溶けこんでいく。こういう感覚で食事を食べている著者だから、ああいう小説を書けるのだろうと思った。

同じ料理をつくったり食べたりしても、食べている時の環境や人間関係、会話はそれぞれがユニークで個人的な出来事だ。これは読書でも同じで、読み方や感想、読書中に起きた日々の出来事、それらがない交ぜになった記憶は、すべての人によって違う。

個人的な記憶とともに食事や読書について語る文章を好きなのは、こういうところなのかもしれない。

 

きょうの肴なに食べよう?

きょうの肴なに食べよう?

 

 

 

 クォン・ヨソン作品の感想

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すべての読書は個人的な物語である、と信じる作家のエッセイ。『きょうの肴』で描かれる、個人的な物語としての食事につうじる。