ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『海と山のオムレツ』アバーテ・カルミネ|愛と祝祭に満ちた、ごはん文学

「豚のパスタ」

豚の肉とあばら骨の入ったトマトソースをとろ火でじっくり煮込んで、大量のミートボールを作ってから、ジティ(パスタ)とまざあわせる。

パスタとソースがまるで恋人どうしのように寄り添い、全員がとろけるキスの代わりにたっぷりのチーズをまぶして、互いの見わけもつかなくなるまで混ぜる。 

ーーアバーテ・カルミネ『海と山のオムレツ』

 

海外文学を読んでいる時、ごはんシーンはとりわけ好きなもののひとつだ。食べることが好きだし、異国の料理も好き。だからもちろん海外文学の料理シーンも大好きだ。

食べたことがない料理、素材がわからない料理、味を想像できない料理といったセンス・オブ・ワンダー料理もいいし、食べる者みながアーとうめく絶品料理の描写も最高だ。ごはんシーンが出てくると、速度を落としてゆっくりと読むことにしている。

 

イタリアうまれの作家が書いた『海と山のオムレツ』は、食べることと食事にまつわる思い出でできた、生粋のごはん文学だ。連作短編集のすべてに料理の名前がついていて、料理にまつわる思い出が祝祭的に語られる。

イタリア料理にまつわる文学なのかといえば、ちょっと違う。 著者は、アルバレシュ言語圏の村に育ったアルバレシュ系イタリア人で、本書に登場する料理はアルバレシュ料理とカラブリア料理だ。

アルバレシュ文化は、イタリアの少数言語文化のひとつで、数百年前に海の向こうのアルバニアから、イタリア南部カラブリア地方に移り住んだアルバニア人由来の文化だ。アルバレシュ語は現在8万人ほどの話者がいて、ユネスコが「消滅の危機にある言語」と認定している。

 

 

少数言語のアイデンティティを持つ著者の人生と、アルバレシュ語コミュニティの歴史と社会が、料理の思い出をとおして語られる。

とりわけおいしそうだったのが、 祖母がつくってくれた「海と山のオムレツ」、名料理人がつくる披露宴のフルコースだ。カラブリア地方の名産である激辛唐辛子をつかったソーセージ、シンプルな「豚のパスタ」も力強くてよい。

 

この小説は、食べることへの愛だけではなく、一緒に食べる家族や恋人や友人への愛も満ちている。

ひとりで食事をしてもおいしくない、好物を食べていてもおいしくない、味蕾がしぼんでしまう、と著者は書いている。圧倒的な光の力を感じる。食事シーンはおいしそうだけど人間のことは嫌いなんだろうな、と感じる小説が多い中(私の読書傾向だけかもしれないが)、これほど率直に食事と人間に愛を語る小説にはなかなかお目にかかれないから、けっこうびっくりした。

もちろん、著者は美しい世界だけを描いているわけではなく、厳しい現実も書いている。ドイツへ出稼ぎにいかなければ稼げない経済状況、唐辛子やソーセージなどの保存食にたよらざるをえない痩せた土地、イタリア人でありながらイタリアとは違う文化に生きるアイデンティティの二重性がかいま見える。

 じゃが芋を茹でて、カラブリア風の味付けで食べるのさ。ワインヴィネガーとオリーヴオイル、細かく刻んだ唐辛子と大蒜でね。だからって別にドイツ化しているわけじゃなく、もうひとつ別の味覚を持っているようなものだ。ひょっとすると、口がふたつあるのかも。いや、味覚が混交した口がひとつあるだけなのかもしれんな。自分でもうまく説明できないが、確かなのは、俺はひとつも後悔してないってことだ。

それでも、おいしい食事があればすべてよしなので、描かれる世界はやっぱり祝祭的だ。とくにラスト一皿の輝きといったら!

僕はむさぼるようにそれを食べた。我が目を疑ったけれど、鼻と舌はなぜか信じられた。

 

思い返してみれば、私もまた、多くの記憶が食事と結びついている。ひとりで3人分食べていた餃子、焼き上がるまで待ちきれなかった焼きリンゴ、家族3代でかよったメキシコ料理、窓向こうのプラネタリウムを眺めながら食べたロシア料理、螺鈿細工の天井が美しかった中華料理、古い記憶になるほど、なにを食べていたかも一緒に思い出す。

記憶と食事は、不可分に結びついている。著者風に言うなら、ソースとチーズみたいに、互いの見分けもつかなくなるまで混ざっているのだろう。

人と一緒に食事をできない時節に、食事への愛、一緒に食事する人たちへの愛を語る小説を読んだからか、レストランで家族や友人たちと一緒にごはんを食べたい気持ちが高まってしょうがなかった。鎮魂のために、読み終わってすぐニンニクをたっぷりいためて、唐辛子とオリーブオイルをからめ、ハードチーズを山のようにけずってパスタをつくって食べた。

 

海と山のオムレツ (新潮クレスト・ブックス)

海と山のオムレツ (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

 アバーテ・カルミネの読書リスト

著者が青春時代に没頭した、イタリア文学たち。

ウンベルト・サバ詩集
 

 

なぜ古典を読むのか (河出文庫)

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ウンガレッティ全詩集 (岩波文庫)
 

 

 

まっぷたつの子爵[新訳] (白水Uブックス)
 

 

 

ちいさなマフィアの話

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月と篝火 (岩波文庫)

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