ボヘミアの海岸線

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『王の没落』イェンセン│国の命運を左右する、屈指の優柔不断

溌剌とした元気はホラ話をしたり人を威嚇する時によく発揮され、人間の最高の威力は、とてつもない嘘をつくときに発現するのだ。人は自己の生命力が最高点に達した時点で、他人を殺さなければならない。生が人を殺すのだ。

ーーイェンセン『王の没落』

 

『王の没落』には、驚かされた。

渋いタイトル、実在した王を描いた歴史小説ノーベル文学賞受賞作家の代表作、デンマーク人が「20世紀最高のデンマーク小説」に選んだ小説というから、正統派の王道歴史小説を想像していたら、ぜんぜん違った。

夢想家の暴君、破滅的な男たち、蹂躙される女たち、発作のように暴発する暴力、国の命運を左右する優柔不断、突然の謎展開。私の「予想外だった海外文学2021」1位は、『王の没落』だと思う。

王の没落 (岩波文庫 赤 746-1)

王の没落 (岩波文庫 赤 746-1)

 

 

没落王の名は、16世紀の北欧に実在した暴君、デンマーク王クリスチャン2世。

彼は、いわゆる「権力を握ってはいけない人物」だ。幼いころから暴力的で、暴行と放蕩をくりかえしていたらしい。王権を強化する理想に燃えたが、理知的な判断をくだせず、暴力をつかって、過酷かつ無謀に統治した。

クリスチャン2世はいろいろやらかすのだが、なかでもスウェーデン歴史屈指の惨劇「ストックホルムの血浴」はひどい。離反は許さない! とスウェーデン貴族を大粛清したところ、猛反発が起きて、もくろみとは正反対のスウェーデン同盟離反と独立を招いてしまった。

国王はスウェーデンを悪行をもって侵略し、過酷な手段で占有した。それが今果敢にもぎ取られようとしていたのだ。彼はデンマークを巧妙かつ無謀に統治した。そのために今、鎮めようのない反乱が起きていた。殴った者は殴りかえされる。

このように、クリスチャン2世の衝動性と暴力性はなかなかのもので、物語の主軸となるにはじゅうぶんなのだが、『王の没落』はさらに、クリスチャン2世とは別方向にやばく破滅的な男、傭兵ミッチェルを配置する。

ミッチェルは、恨みと衝動が原動力で、いちど恨んだら殺すまでとまらない、最悪な男だ。息を吸うように凶悪犯罪を犯し、衝動に突き動かされて生きている。

 

人生で絶対に関わりたくないヤバい王&ヤバい男が、デンマークの史実を背景に、それぞれ好き勝手に跋扈し、周囲は死屍累々となる。とりわけ、女性たちの命運は悲惨だ。

このあまりにもあっさりとした犯罪ぶりと命の軽さは、20世紀の小説よりも、北欧神話や中世の全滅叙事詩『ニーベルンゲンの歌』といった、古い物語を思い起こさせる。

 

登場人物たちは暴力一辺倒ではなく、ときおり、絶妙な感情を見せつけてくる。

王が屈指の優柔不断を見せる「王の没落」シーンは、王の精神と行動とデンマークが一体となって揺れ動く、いちど読んだら忘れられない名場面だ。

王とミッチェルの距離がだんだん近づいていく展開は、「怪獣とまともに対抗できるのは怪獣だけ」という、シャバの真実を思い出させてくれるし、突然のハガレン的展開もあって、ツッコミが追いつかない。

これほど世界と人間どもが荒れているのに、詩人のようにデンマークの自然を愛でる描写がときおりあって、繊細な感性がまだ残っていることに驚かされる。

そこは彼の王国だ。さらにデンマークという国を思い描いた。海の中に浮かぶ現実の島々、さまざまな色に彩られて大きく広がる領土の相対、国としてのデンマークを。

デンマークが北海とバルト海二つの青い海に囲まれ、夏は緑、秋は錆色、冬空の下で白くなる、というのは永遠の真実だ。デンマークの海岸はすばらしく人をひきつけ、その内陸の畑はひそやかに育って麦の穂の衣装をまとい、やがてまた穀物を払い落とす。

太陽と屈託のなさ、それがデンマークだ。

 

生命力の暴発、とでも呼びたくなる疾走感がある。

「人は自己の生命力が最高点に達した時点で、他人を殺さなければならない」という一節は、この小説の世界観をあらわしているように思う。コーマック・マッカーシーのようなクールでドライな世界観ではなく、『王の没落』ワールドはより緩急が激しく、より混沌としている。シックなたたずまいからは想像もできない、衝動と混沌の世界に突き落とされた。

 

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殺戮と暴力が跋扈する死屍累々の世界といえば、コーマック・マッカーシーマッカーシーの世界が、ドライでクールな世界観を保つのにたいして、『王の没落』は緩急の落差が激しく、笑ったらいいのかわからないシーンがあるので、よりカオスな印象。

 

ヴィンランド・サガ』に登場する、大王クヌートもまた、デンマーク王だった。『王の没落』は、『ヴィンランド・サガ』から5世紀が過ぎた時代の物語である。

 

2021年に刊行されたデンマーク小説。きらっきらな言葉で、まったくきらきらしていない人生を描いたらどうなるのか。その答えのひとつが『ニルス・リューネ』だと思う。訳文の言葉選びと解説の充実ぶりには、なみなみならぬ翻訳波動を感じた。