ボヘミアの海岸線

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『ニーベルンゲンの歌』

[意味もなく皆殺し]
Das Nibelungenlied,13c.

ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)

ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1975/01/01
  • メディア: 文庫
ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1975/02/17
  • メディア: 文庫


 ドイツの『イリアス』とも称される、作者不詳の全滅叙事詩。彩とりどりの宝石や衣装、血にまみれた剣と生首、これらを同じ宝石箱にぶちこんだら、きっとこんな物語ができあがるだろう。


 ネーデルラントの英雄 ジーフリトの殺害から、惨劇の歯車はきしみをあげて動き出す。ジーフリトは、竜の血を浴びた不死身の英雄だ(この設定は、漫画大国日本においてはおなじみだと思う)。なぜ、不死身の英雄が「殺害」されたのか? アキレスがただ1つ急所を持っていたように、ジーフリトもまた首の付け根のみ竜の血を浴びていなかった。ジーフリトは、ブルゴント国の奸臣ハゲネによって急所を貫かれ、失意のうちに死ぬ。
 ジーフリトの妻クリエムヒルトは、夫の死をひどく悲しんだ。彼女は数年を寡婦として過ごし、その後フン族王エッツェルのもとに嫁ぐ。誰もが「クリエムヒルトは夫の死を乗り越えたのだ」と安心する中、クリエムヒルトとその仇ハゲネだけは、互いに憎しみの炎に薪をくべ続けていた。……


 『ニーベルンゲンの歌』を読んだ時、だれしも「女は怖い」と思うに違いない。そう、悲劇の火ぶたは2人の女によって切って落とされる。
 そもそも、草食系のブルゴント国王グンテル(クリエムヒルトの兄)が、肉食女の最終形態ともいえるプリュンヒルトを妻にしようと思わなければ、こんなことにはならなかった。プリュンヒルトは本当に恐ろしい女で、男12人がようやっと抱えられる巨石を砲丸投げのように投げ飛ばす。加えてプライドが高く、嫉妬深い。「あの女は悪魔だ」と確信した時点で、グンテルは彼女を諦めるべきだった。だが、ジーフリトの助力によって、結婚は成就してしまう。
 怖いといえば、グンテル王の家臣ハゲネも相当いかれている。鬼女プリュンヒルトとグンテルの結婚に手を尽くしてくれたジーフリトを、「とにかく殺すべきだ」と進言して実行してしまう。まるで『オセロー』のイアーゴーにも似た、「激烈な憎悪」の塊である。そのうえ武力に優れているものだから、周りとしてはたまったものではない。


 そして、皆殺しの舞台を組み上げた最凶の女性、クリエムヒルト。自分の親族や家臣1万人を嫁いだ先に呼び集め、夫の仇かそうでないかも敵か味方かも一切関係なく、ことごとく皆殺しにした。「本当はグンテル兄さんとくそハゲネだけ殺したいけど、無理なら親族をみんな招いて、抵抗するものは全員殺すしかないわ」という、その発想が恐ろしい。「人はこんなにも激情をあらわにする生き物だったのか!」と、感嘆すら覚える。

 「憎しみはどの感情よりも強い」と、詩人シンボルスカは言った。人にこの感情がある限り、誰かと誰かの望みがぶつかる限り、戦争はけっしてなくならない、としみじみ思う。


 楽しい宴の舞台に残ったのは、数万の死体と呆然自失の生存者2人だけ。そして、かつてジーフリトに滅ぼされたニーベルンゲン族の宝剣は、沈黙しながらこの「災い」を見守るばかり(「ニーベルンゲンの歌」は、別名「ニーベルンゲンの災い」ともいう)。
 とにかく壮絶な物語だった。人の死が、英雄の死が、これほど意味のないものだとは!


recommend:
ホメロス『イリアス』…英雄たちの殺しあい。
シェイクスピア『オセロー』…緑色の目をした化け物、その名は「嫉妬」。