『三大悲劇集 血の婚礼 他二篇』ガルシーア・ロルカ
おれたちにとって、身を焦がしながら口に出さないでいることほどひどい罰はありゃしない。……なんの役にも立ちゃしない! ただおれの体に炎をかき立てただけだ!——ガルシーア・ロルカ「血の婚礼」
血と情念
なんと情念的なのだろう。土と汗と血のにおいがする。夜の茂みに身をひそめる男と女、そして彼らの肌を照らす無情の月。
20世紀を代表するスペインの詩人ロルカが、故郷アンダルシアを舞台に描いた悲劇3編。『血の婚礼』『イェルマ』『ベルナルダ・アルバの家』をおさめる。
ギリシャ悲劇のようにじわりじわりと忍び寄る不穏の影と、ページを繰るごとに増していく破滅の予感、そしてスペインの情念の炎が渾然一体となった、濃厚なぶどう酒のような作品だ。ロルカの美しい言葉と容赦ないすじがきに酔った。
- 作者: ガルシーアロルカ,Federico Garc´ia Lorca,牛島信明
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/07/16
- メディア: 文庫
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『血の婚礼』、すでにタイトルから結末を予告されているようなものだ。誰かの血は流される。では、誰の血が? 不穏な結末を予告するように、若い男の「ナイフを貸してくれ」という会話から劇は開幕する。筋書きはとてもシンプルだ。結婚をひかえた花嫁と花婿と両親がいる。だが、花嫁は花婿ではなく、かつての男に心をひきつけられる。村の人々はひわいな歌を口ずさみながら噂をかわし、結婚をひかえた両家は家のプライドをかけて婚姻を成就させようとする。
ロルカの劇はどれも、田舎らしい息が詰まるような閉塞感と、セクシャルな話題で皆が笑い合う開けっぴろげぶりが同居している。日々顔を合わせるようなせまい村では、私が住む都市以上に、日常の中に欲情がひそみやすい。だから人々は、モラルや世間体といったもので、男女をしばるのかもしれない。
だが、ロルカが描く舞台では、そんなものは役に立ちはしない。かつて流された血、男の心になお火をともしつづける情念、女の体にしみついたかつての男のにおい、やがて流されるはずの血、あらゆる赤い情念が男と女を突き動かす。月だけが、死に向かって突進していく男女を静かに見ている。
レオナルド
花嫁の髪の 銀の留めピンが
おれの血をどす黒く濁らせ
夢が おれのからだじゅうを
毒草だらけにしていった。
だけど おれのせいじゃない
それは この土地のせいであり
あんたの胸と髪から涌きいでる
狂おしくも甘い匂いのせいだ。
土と森と月、そしてあたたかい肌のぬくもりと血。きわめて土着的でありながら、人々や月が歌う詩は豊穣で美しく、このコントラストが絶妙である。月がいきなり登場して歌い出すあたりは狂気そのものなのだが、なぜだか美しいと思えてしまうから不思議だ。
月
だが、二人の死を長引かせてくれ。
この指をしたたり落ちる赤き血が
悲しくも妙な音色をたてるように。
ほら わたしの灰の谷が目覚めた
戦慄の血の流れを見ようとして!
ロルカはギリシャ悲劇から影響を愛読していたようで、なるほど『血の婚礼』の逃れられない結末と、そこへ向かっていくクレッシェンドぶりは、『オイディプス王』などを彷彿とさせる。だが、悲劇をもたらすのは、絶対権力を持つ神々ではない。悲劇をつくりだすのは、土地の因習と代々受け継がれてきた業、そして心のままに動く人そのものだ。村という共同体は大きな生き物のようなもので、個人の幸せより全体としての調和を重んじる。その中で、男と女はただ情動のままに生きて死んだ。
愚かという人もあるだろう。だが、人という存在はつかのまのともし火、一瞬で吹き散らされて土にかえる。ならば血が求めるままに情念に焦げ、そのまま闇に消えるのもまた人間だと思うのだ。
ガルシア・ロルカの著作レビュー:
Federico del Sagrado Corazon de Jesus Garcia Lorca Bodas de sangre,1933.
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