ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『トロイラスとクレシダ』ウィリアム・シェイクスピア

サーサイティーズ:なにもかもごまかしのまやかしの悪だくみだ。ことの起こりは間男と淫売女じゃねえか、いがみあい、徒党をくみ、血を流して死んじまうには、ごりっぱな大義名分だ。そんな大義名分なんかかさぶたにでもとっつかれるがいいんだ、戦争とセックスでなにもかもめちゃくちゃになるがいいんだ。

——ウィリアム・シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』

化けの皮をはがす

 男と女の名前がある。物語の舞台はトロイ戦争である。ならば戦争に翻弄される恋人たちのロマンスなのか、と思いきや大間違い。そんな甘いプロットなど横面を張り飛ばしてくれると言わんばかりの、苦い苦い物語。

トロイラスとクレシダ (白水Uブックス (24))

トロイラスとクレシダ (白水Uブックス (24))

 トロイ戦争は、トロイの王子パリスがスパルタ王メネラーオスの妃ヘレン(ヘレネー)を略奪したことがきっかけで勃発した。戦争は長期にわたり膠着状態に陥るが、アカイア勢の英雄アキリーズ(アキレス)がトロイ勢の英雄ヘクターを打ち倒したことによって局面が動き、かの有名な「トロイの木馬」、トロイの滅亡へと一気に崩落する。
 本劇の主人公トロイラスはトロイの王子で、ヘクターやパリスの弟にあたる。美しい女性クレシダに恋をし、クレシダもまたトロイラスを愛する……のだが、ここから先が一筋縄ではいかない。
 『ロミオとジュリエット』や『アントニーとクレオパトラ』では、2人の恋人は互いへの愛を誓って死にいたる。『冬物語』『シンベリン』といったロマンス劇では、不貞を疑われた女が身の潔白を証明して大団円をむかえる。だが、『トロイラスとクレシダ』では、2人の恋人は死なず、復讐も果たさず、クレシダはアカイア勢の男とあっさり浮気をする。あれほど「私が髪の毛一筋でも真実を裏切れば、私の不実をなじらせるといいわ。『不実なるクレシダのごとく』と言わせればいいわ」と愛を誓っていたにもかかわらず。


 この舞台に真実の恋はひとつもない。不貞からはじまった戦争は、あらたな不貞を生み出し、赤い舌を出して両陣営の命を容赦なく奪っていく。
 弱きもの、なんじの名は女? いいや、男だって弱い。この戦争の原因がくだらないことを、トロイの王は知っている。ヘクターもトロイラスも、それどころかパリス本人だってわかっている。だが、彼らは戦争に「大義」を持ち出して、彼らがすでに払った(そしてこれから払うであろう)甚大な被害を正当化しようとする。

パリス:父上、私が申しあげることはただあの美しい女がもたらす快楽を思うからではありません、あの人をりっぱに守り抜くことによって、誘拐したという汚名をそそぎたいからです。

ヘクター:これはわれわれ全体の、また各人それぞれの、名誉にかかわる問題だからな。

 おもしろいのは、彼らの多くが「本当はやめた方がいいことは分かっているのだが」という諦観をあらわにしていることだ。彼らは冷静に自分たちを観察し、いずれ「時」の存在が彼らを結論に導くと考えている。ヤン・コットは『トロイラスとクレシダ』を「きわめて現代的」と評したが、登場人物たちの冷めた態度はシェイクスピア劇の中でも特異なものに感じる。この舞台に神は出てこない。『イリアス』のような原初の熱狂、情熱も存在しない。


 戦争になにかしらのスペクタクルを求めようとする観客に、ままならぬ運命によって引き裂かれる恋人の悲恋やロマンスを見たがる観客に、シェイクスピアはたえず冷水をぶっかけてくる。口汚い召し使いサーサイティーズは、品性こそないものの世界を外から冷徹に分析している人間で、トロイ戦争を「間男と淫売女が原因」、人間の営みが「いつだってセックスと戦争ばかり」と容赦なく喝破する。

サーサイティーズ:なにがハリケーンだ、雌犬一匹のために張り切っているだけじゃねえか。

 苦い。そしてあらゆる意味でカタルシスは得られない。お涙ちょうだいのプロットの化けの皮をはがし、その皮を持って踊る道化を眺めているような劇だった。愛、戦い、友情、こんなものでお前は感動したいのか? 道化の笑い声が、今も耳の裏で反響している気がする。


シェイクスピア全集

William Sharekspeare Troilus and Cressida,1802?

recommend:
ホメロス『イリアス』…本編。ヘクターの死は下巻に収められている。
コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』…人間の営みは血と戦争でしかない。