『チャイルド・オブ・ゴッド』コーマック・マッカーシー|孤立と貧困で転落する神の子
蝙蝠の群れが去ったあとは煙出しの穴から見える冷たい星の大集団を眺めてあれらの星は何でできているのか、自分は何でできているのかと考えた。
コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』
「なぜつらい小説を読むのか、つらい話が好きなのか」としばしば聞かれることがある。つらさは別に好きではない。私がつらい小説を読むのは、人間がそういうつらさをつくる存在だからだ。美しい一面もおぞましい一面も含めて人間で、私はこの不可思議な生き物を知りたいと思い続けている。だから美しい話もつらい話も驚嘆すべき話も、人間に関するものなら読むことにしている。
コーマック・マッカーシーは悪について書き続けている作家で、読んでいてつらいタイプの作家だが、彼の悪への目線は、人間の極北を見極めようとしているように思えるから、ついなんども読みたくなる。
サクソン人とケルト人の血。おそらくあなたによく似た神の子だ。
舞台はアメリカ南部テネシー州。「あなたによく似た神の子」と呼ばれるプアホワイト、レスター・バラードが、じょじょに社会から追われ、生活が苦しくなり、道を外していく。
現金も仕事も人付き合いもほとんどないバラードは、社会から切り離されて孤立している。税金滞納により持ち家を追われたことにより、バラードは山奥の無人小屋に住み着いて、ますます孤立を深めていく。
バラードの生活はおおむね、ライフルと暴力と性欲によって成り立っている。性欲はあっても貧しく粗暴なので女から相手にされず、売春しようとしてもたった25セントすら払えない。家を失ってからのバラードは性欲と暴力が先鋭化していき、ついに決定的な瞬間をむかえ、陰惨な事件を起こす。
あんた見たいの。
見てえ、とバラードは言った。
じゃ二十五セント。
持ってねえよ。
娘は笑った。
『ブラッド・メリディアン』 『血と暴力の国』 『悪の法則』)で、著者はすでに完成されきった悪を描いてきた。これら3作より10年以上前に書かれた「神の子」(Child of God)という名の本書で、著者は「悪が悪になるまで」を描く。
バラードは、自身がなぜこうなったかについて、自分の言葉では語らない。そのかわり、バラードの行動や周囲の人間の証言から、家庭環境からくる人づきあいのしづらい性格、社会的紐帯の弱さと極貧生活が彼を追い詰めていったことがわかる。
本書の時点では「人間が悪になるのは、運の悪さによって追いつめられたためだ」ととらえているように思える。人外めいた判事やシュガーレベルになると共感や同情の余地などまるでなく、非人格的な災厄に思えてくるが、バラードはどこまでも人間としか感じない。
そういう意味では、バラードは「人間」であり、「おそらくあなたによく似た神の子」だった。
本書は殺伐系マッカーシーと比べるとだいぶ人間らしさがあり、社会問題にもなりうるテーマで、これまで読んできたマッカーシーの中ではいちばん「他の人でも書きそう」と思えるものだった(初期作品だからかもしれない)。一方、句読点がない息の長い文章、光と影のコントラストが美しい描写は健在で、マッカーシーはこのころからすでにスタイルを確立していたことがわかる。
また著者は人道主義的なスローガンは出さず、あくまで個人が追い詰められて一線を越えるまでの描写に徹している。
ほぼ内省しないバラードが自身について思索するシーン、そして涙を流すシーンは、孤独で陰鬱で美しい。「自分は何でできているのか」という問いの答えが、本書なのかもしれない。
ある夜に火のそばの寝床に横になっていたバラードは蝙蝠の群れがトンネルの闇の仲から出てきて頭上の穴から灰と煙を激しい羽ばたきではね散らしながら冥府から飛び立つ魂のように昇っていくのを見た。蝙蝠の群れが去ったあとは煙出しの穴から見える冷たい星の大集団を眺めてあれらの星は何でできているのか、自分は何でできているのかと考えた。
昔のほうが悪い奴が多かったと思いますか、と保安官補が聞いた。老人は水に浸かった町を眺めやった。いやそうは思わんね。人間てのは神様がつくった日からずっと同じだと思うよ。
Movie
2018年に映画化された。バラードが住む森の描写が、小説を読んでいた時に想像していた森とほとんど同じで、マッカーシーの自然描写の巧みさにあらためて驚く。そうそう、まさにこういう枯れた陰鬱な森を想像していたんだ。
コーマック・マッカーシー著作の感想
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陰惨な世界を孤立して生き延びる少年の地獄めぐり。今年に映画が上映される。