『サブリナ』ニック・ドルナソ丨失踪事件、ソーシャルメディア、陰謀論
みんなに怒りを感じてしまう。
誰に?
みんなだ。自分も含めて。
ーーニック・ドルナソ『サブリナ』
人間社会が発する耐えがたいノイズを、頭が割れるようなレベルまで増幅させたような書物だ。ほとんど表情がない「棒読み演技」みたいな絵柄でありながら、どす黒く歪んだ感情が満ちている。
『サブリナ』は「失踪した女性サブリナに関わる人たち」の話だ。
本書には、3種類の人間が登場する。消えたサブリナを中心に、恋人や家族などの「近い人」、近い人間の知り合いなどの「すこし遠い人」、そして面識がない「まったく遠い人」たちがいる。
恋人や家族は、サブリナの失踪を悲しみ、不安になったり絶望したりする。彼らの知り合いは、サブリナを失った人たちを守ろうとする。
そして赤の他人たちは、サブリナ事件にたいして、妄想と陰謀論に満ちた言葉の石を投げつける。サブリナ事件は二転三転し、サブリナを知る人も、サブリナを知らない人も、皆がそれぞれの作法で病んでいく。
事件被害者叩きや陰謀論といった、ソーシャルメディアやインターネットでよく見る(見てしまう)人類の闇を凝縮したような本だ。インターネットの闇と人間の闇を煮詰めて凝縮した暗黒汁を飲みながら車に乗っているような感じで、悪酔いすることこのうえない。
事件に群がり、好き勝手に放言しては次の標的に群がっていく「顔の見えない暴力」と、その標的になってしまう怖さを描いている。
あまりにも身近で目にする暴力なので、既視感で眩暈がする一方、本書の舞台アメリカでは個人バッシングよりも陰謀論の勢いがよりはっきりしていて、ここらへんはパラノイドの帝国、ファンタジーランドのアメリカだと感じる。
本書を読んで、いちばん怖いのが、まったくの他人に言葉の暴力をふるう人たちだ。
事件の被害者たちに群がるアノニマスな暴力人間たちが恐ろしい理由を考える。まず、彼らは「数の暴力」である。数人の被害者たちにたいして、数百倍もの暴言者が群がる。
そして「匿名性の恐ろしさ」がある。攻撃側はこちらを知っているのに、こちらは攻撃側をなにも知らない。
あとは、なぜこういうことをするのかがわからないことが怖い。 彼らが、不満や怒りといった、強い攻撃的な感情を持っていることはわかる。ただその攻撃的な感情は、サブリナに関係があるわけではない。サブリナとは面識も関わりもないのだから。彼らにとって事件関係者は、無関心で無関係で、ほぼノーリスクで言葉の暴力を振るえる、都合のいい八つ当たり先なのだろう。でも彼らは正義や真実など「よいもの」に貢献していると思っていて、八つ当たりや暴力だなんて思っていないだろう。
でも結局、彼らがなぜ攻撃してくるのか、その理由は明かされない。だからこそ不気味で恐ろしい。
妄想と陰謀論が増幅し、記録と記憶が書き換えられて修正されていく時代のど真ん中にいきていることを思い知らされてめまいがした。Covid-19はびこる現代、5Gを中心とした陰謀論は広く信じられているし、デマは跋扈し、ますます栄えている。人類に、ソーシャルメディアは早すぎたおもちゃだったのではないか。
こっちは本当に大変だった。お互いを支えられたはずなのに。
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