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『11の物語』パトリシア・ハイスミス|嫌ギア全開で突き進む

 ……あたしがほんとに仕合わせになるのにたらないものといったら、あと一つ。いざというときにあたしがどんなに役に立つか証明してみせればいいだけだ。

ーーパトリシア・ハイスミス『11の物語』「ヒロイン」

 

保育園に生き物コーナーができた。生き物コーナーにはスズムシやメダカ、カタツムリがいて、園児たちでにぎわっている。おちびとともに、ゆっくりと這ってツノを動かすカタツムリを眺めているうちに、そういえば「カタツムリ小説」がある、と本書のことを思い出した。

11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 本書は、「カタツムリ小説」やデビュー作「ヒロイン」を含む、11の短編を収めている。『11の物語』という簡潔で癖のないタイトルとは裏腹に、異様で歪んだ人間たちを描く。

 

パトリシア・ハイスミスの小説は、最初の一文から異様だ。

たとえば「かたつむり観察者」は「食用かたつむりを観察するという趣味を持ちはじめたとき」で始まり、「モビールに艦隊が入港したとき」は「ジェラルディーンはクロロフォルムの瓶を手にして」で始まる。

どちらも読み始めてすぐ「この人たちはなにかがおかしい」と気づく。著者は冒頭から異様フラグを惜しみなく全面に出して、その後もフラグを出し続けてくる。

中でもデビュー作「ヒロイン」と、カタツムリ小説こと「かたつむり観察者」はすばらしく、最初に「やばいのでは?」と感じた違和感は、数ページごとに「やばい」「だめだこれは」と増幅していき、文句のないラストにむかって突き進んでいく。

 

最初からいっさい遠慮せずにイヤ(嫌)ギアを全開にして、不穏な立ち上がりのまま勢いをあげていき、結末にむかって突進していくスピード感に、頭のネジが吹っ飛んだ走り屋の助手席に乗ってしまった時のような、興奮と不穏と諦念をおぼえる。

どの短編もイヤな後味で、叶わぬ愛情や執着、特別感、自己愛といった、歪んだ心理が現実にだだ漏れて、壊滅的な結果をもたらしていく。人間以外の生物も同じで、現実に侵食して、なけなしの平穏をぶち壊す。

読んだ後に「あー」と空虚な声が漏れるのだが、「クレイヴァリング教授の新発見」だけはB級感が全開で突き進むので、思わずにっこりしてしまった。

しかし、本書を読んだ後では、カタツムリごっこをすなおに楽しめそうにないので、しばらくはダンゴムシごっこに専念しようかと思っている。

 

収録作品

気に入った作品には*。

かたつむり観察者**

この作品を読みたくて本書を買った。噂にたがわぬカタツムリぶりだった。カタツムリの動きや色の描写がやたらリアルなのは、著者自身がカタツムリ飼育が趣味だからと知って納得。最初からこれを投入してくるセンスがすごいと思う。

恋盗人

叶わぬ恋をしている男が、別の叶わぬ恋をしている人の恋に介入しようとする。見込み薄の返事を待つつらさ、片思いのつらさ、「待てど叶わず、愛されず」のつらさが凝縮されている。

すっぽん*

食用カタツムリの次は食用すっぽんの出番だ。少年はすっぽんを「大事なもの」と思うが、母親にとっては「今日の晩飯」でしかない。同時に、母親にとって大事なことは、息子にとってはどうでもいい。この「大事さ」のズレが行き着くところまでいってしまう。

モビールに艦隊が入港したとき*

若い妻が、バスに乗って別の町に向かう。これだけだと平穏だが、妻はクロロフィルを手にして登場して、床には夫が転がっているため、じつに異様な展開から始まる。彼女のロマンティックな夢見がちぶりが、展開の鍵になっている。夢を見ることの代償。

クレイヴァリング教授の新発見*

第二のカタツムリ小説。教授は、巨大カタツムリが出ると噂される島で、巨大カタツムリを発見して学者としての名声をあげようとする。著者はカタツムリになると気分が乗るのか、大真面目にギャグを書いてくれる。本書の笑い担当だが、それでもハイスミス展開なのが本当にハイスミス。

愛の叫び**

一緒の部屋に暮らしている老女が、互いに嫌がらせをする。いきなりなかなかやばいレベルの嫌がらせから始まってどうなることかと思わせる展開がよい、老女百合小説。

アフトン夫人の優雅な生活

精神分析医は、アフトン夫人の夫にまつわる相談を聞く。著者がなんども書いてきた認知の歪み系の小説で、本書の中ではだいぶ穏やかだった。

ヒロイン***

住みこみの家政婦として働く女性の狂気が開花する。犯罪心理学に出てきそうな思考の歪みが最初からアクセル全開で、最後まで加速していってすばらしい。完全に無駄なかっこよさがあって、本当に無駄。本書のなかでいちばん好き。

もうひとつの橋

家族を事故で失った男が、旅先で呆然としながら、現地の子供と信仰を深めていく。ここで傷ついた心を癒やすハートフルストーリーにならないところがハイスミス。

野蛮人たち

集合住宅で、隣人の行為にいらつくことはよくありそうな話だが、急展開ぶりがやはりハイスミス。状況が速やかに悪化していくところは、じつに肝が冷えた。

からっぽの巣箱*

正体がわからないものがいちばん怖い。謎の生物が、夫婦の日常を侵食していく。民話にありそうな話だった。

 

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