ボヘミアの海岸線

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『アフター・クロード』アイリス・オーウェンス|世界に負け戦を仕掛ける

「あなた絶望的よ、防戦一方で。恐れていたよりビョーキだわ。」

――アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』

 

文学にはしばしば、孤軍奮闘で世界に抵抗し、戦いを挑む人間が登場する。カミュが描いたカリギュラは不可能に抗って理不尽をきわめ、リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』の父親は、ひとりで世界の潮流に抵抗しようとした。

ひとりの人間が世界に抵抗することは、海の色を絵の具で変えようとするようなもの、不可能であり、負け戦だとわかりきっているのに、なぜ、と人は言い、彼らを「狂人」と呼ぶ。

それでも、世界に抗い、降伏を拒み、罵倒せずには生きられない人間がいる。『アフター・クロード』の語り手ハリエットも、そういう人間のひとりだ。

 

語り手ハリエットは、言葉を手りゅう弾のように投げつけまくる女だ。

「捨てやった、クロードを。あのフランス人のドブネズミ」と開幕から切れ味全開で、恋人クロード、恋人にまとわりつく女、知り合い、赤の他人、世界にむかって、ハリエットは悪態をつき、毒舌をふるい、けんかを吹っかけ続ける。

ハリエットの悪態は、語彙がじつに豊かで、幅広い。よくこんな悪態を思いつくものだと感心するし、笑ってしまう屁理屈、意味がわからないが妙に説得力のある謎アドバイスもある。

ここで助言。もしあなたがたまたまアメリカで生まれ育ったアメリカ市民で、海外でつらい目に遭った場合は、エチオピア大使館へ直行せよ。マジで。

「きみの美しい植物が全部枯れちまったじゃないかって」

「枯れてません。枯れたとか言わないように。植物は暗示にすごく敏感なんだから」

すばらしく語彙が豊かな、絶望的なまでのコミュ障である。

自分の主張を弾丸のように浴びせかけ、他者の言葉を聞かないから、他者は耐えきれずに離れていく。

だから、笑ってばかりもいられない。読み進めるうちに、ハリエットが語る世界と、現実のズレが見えてくる。

「あなた絶望的よ、防戦一方で。恐れていたよりビョーキだわ。あなたを見ていると、追い出さなきゃいけなくなった子のことを思い出す。あの子、本当のことを言われると、追い詰められて吠えまくる獣みたいになったっけ」

 

世界と現実に勝てると思っていた。でもそうではなかった。

人間関係をうまく築けない、妥協できない、感情に振り回される、その場の勢いのせいで破滅的な未来を招く、そんな自分をやめられない。これらすべての生きづらさが、迫ってくる。

語りと現実の裂け目が見えてくるにつれ、ハリエットの言葉が、世界を相手に戦う銃弾ではなく、自分を守る防衛手段のように思えてくる。本書には、このような視点の転換、破竹の勢いがある勝ち戦かと思っていたら、じつは負け戦の撤退戦であることがわかった時のような、底冷えのする心理的な滑落がある。

 

読むうちに、ハリエットの見方も変わってくる。これほどまでに言葉で武装せざるをえなかった、ハリエットのこれまでの人生を想像する。

ハリエット自身は語らない。彼女は、過去を反省したり懐かしんだりしないし、未来のために今を我慢したりもしない。目の前にある、くそったれな現実だけに集中している。過去も未来もない彼女の語りは、人生と人間関係を短期間でスクラップ&ビルドし続けてきた人生を示唆していると思う。

 

つくづく容赦ない小説だ。はじめは、容赦ないのはハリエットだと思っていた。でも、容赦ないのは世界であり、こんな語りをしでかす作家のほうだった。

激しく認知が歪んだ主人公が、認知の歪みをどこまで保持できるかの戦いを描いた「自意識認知バトルもの」は、主人公への驚嘆と嫌悪をともなうものだが、本書にも、たいそう感情をあっちこっちへと激しく揺さぶられた。

強烈なアッパー&ダウナー展開は、まるで躁鬱感情の仮想体験のようで、読了後は呆然として、動物園のシロクマのように部屋の中をぐるぐると歩いていた。

皮膚がすっかりなくなったというか、体をきっちりと包むものがなくなってしまった感じ。あたしは水たまりだった。

 

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