ボヘミアの海岸線

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『ロマン』ウラジミール・ソローキン|小説世界は激震する

「お前が好きだ!」彼は言った。

「あなたはわたしのいのちよ!」彼女が答える。

ーーウラジミール・ソローキン『ロマン』

 

ソローキン初期代表作のひとつ『マリーナの三十番目の恋』を読んだので、10年ぶりに、初期代表作『ロマン』を読もうと思い立った。

10年前は、読書会の参加者たち全員が『ロマン』を読んでロマニストになっていたものだが、皆がロマニストになってしまったので、もうしばらく『ロマン』のことを忘れていた。『マリーナの三十番目の恋』が『ロマン』と同時代の作品だったので、続けて読んでみたらどうだろうと思いついた。

 注:初期ソローキン作品はうかつにしゃべると粛清されるので、本エントリは粛清フリー(核心への言及なし)で書いている。

 

 

舞台は19世紀末の帝政ロシア。村の名士出身の青年ロマン・アレクセーヴィチが、都会暮らしに飽きて、故郷の村に3年ぶりに帰郷する。

彼の暮らしは優雅そのものだ。叔父叔母と狩りをしながら屋敷で暮らし、気のいい村人たちと交流しながら、長年の夢だった絵画を学ぶ。そしてロマンは、燃えるような恋を求める。

 

よく『ロマン』は「前半」「後半」として語られるが、とりあえず私は前半の話をしたい。

前半は、19世紀ロシア文学の芳醇な香りが満ちている。チェーホフツルゲーネフドストエフスキートルストイといった文豪を思わせる世界観と文体で、狩猟、きのこ狩り、ロシア風蒸し風呂、農民との対話、宗教論など、19世紀ロシア文学の王道ロシアが濃密に展開される。

人々は善良で信心深く、語尾に大量の「!」がつくロシア式会話で熱く語りあう。「お前が好きだ!」「あなたはわたしのいのちよ!」「乾杯だ! 乾杯だ!」「万歳!」「神よ! われらを助けたまえ!」と、読んでいるこちらもつられて語尾に「!」がついてしまう。

婚礼の祝宴を頂点に、ロシアの田園風景は楽園となる。すばらしい人々、すばらしい恋人、すばらしいごちそう、すべてが満たされている。幸せの絶頂を迎えたロマンはすべてを理解して、後半へ向かう。

 

「本当に、本当にそうだね、お前!」彼はうれしそうに答えた。「いいかい、僕にはすべてがわかったような気がする。僕はすべてを理解したんだ!」 

 

いちど読んだら絶対に忘れないタイプの小説で、はじめて読んだ時は「なんだこれは」と激震が走った。ロマニストたちから「ヤバいよ」と聞かされていてもなお、強烈だった記憶がある。

再読してもあの印象が上書きされることはないだろうと思っていたが、思いのほか新しい発見があった。

 初読時は、後半の印象が強かったけれど、読み返すと、精巧につくりこまれた前半世界がおもしろい。とくにロシア蒸し風呂のシーンはいっとう好きだ。男たちが蒸し風呂でわいわい社交したり罵倒したりしているシーンが、すごくロシアぽくて最高だ。

そして再読すると、楽園的なロシアの田舎になじまない”影”がくすぶっていることに気づく。

周囲をぎくっとさせることを言う「不穏担当」は、ドストエフスキーなどの19世紀ロシア文学にもいる。ソローキンは不穏担当にありがちな属性をよく理解して取りこんでいて、つくづく破壊的な技巧派だと感心した。

 

『マリーナの三十番目の恋』『ロマン』と続けて読むと、自分のスタイルにこだわらず、文学効果のために積極的に文体模倣の腕をふるわせる、ソローキンのドライな技巧を感じる。

このドライさゆえに、『マリーナの三十番目の恋』『ロマン』には「前半」と「後半」が存在し、両者の巨大な裂け目に読者をほにゃららするのだな、と思った。

 

楽しい読書か、と問われたら言葉につまるが、強烈な小説か、と問われたら秒を待たずにイエスと答える。ひたすらに強烈で、破壊的な技巧派による激震小説だ。世界は揺らぐ。とりかえしがつかないほどに。

『ロマン』が絶版となって久しく、ロマニストが増える話も聞かなくなったので、『マリーナの三十番目の恋』刊行にともなって『ロマン』が復刻し、『マリーナ』からの『ロマン』、初期ソローキンコースが流行すればいいなと思っている。

 
ロマン〈2〉 (文学の冒険)

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ウラジミール・ソローキン作品の感想