『眠れる美男』李昂|一方通行の性欲が行き着く果て
極めて微妙な――
身震い。
(どうして身震いなのか!)
ああ! 服の上からではなく、この荒々しい大きな手で裸身を隅々まで……
−−李昂『眠れる美男』
「小鮮肉=ヤング・フレッシュ・マッスル」 という衝撃的な中国語を知ることになった本書は、川端康成『眠れる美女』を男女逆転したオマージュ小説だ。
『眠れる美女』は、勃起能力を失った老齢男性のみが入れる秘密クラブの会員男性が、眠らされている全裸の女性のそばで添い寝する小説である。クラブの掟により、眠る女に触ることは禁じられているため、老人は若く美しい体を眺め回しながら、過去を回想する。
『眠れる美男』では、主人公は60代男性から50代女性へ、舞台は日本から台湾に、それぞれ入れ変わっている。
台湾で裕福な暮らしをする50代台湾人女性の殷殷が、フィットネスジムで、若く美しいインストラクターの青年パンと出会う。パンとともにジムで体を動かして、体がめざめていく喜びを知った殷殷は、失われていた性欲がわきあがっていることに気づく。
タイトルと設定は似かよっているものの、『眠れる美男』の語りも印象も『眠れる美女』とはかなり違う。
『美女』の幻想的な雰囲気とは対象的に、『美男』の語りはかなり尖っている。殷殷とパンのLINE履歴がなんども登場したり、「!」や「?!」を多用した文章が多い。「セックスが果たしてこれほどまでに荒涼たるものになってしまうとは?!」といった文章を読んでいると、「そうなのですね?!」と内なる声までついうるさくなっていく。
また、体を動かして欲望がめざめたり、前哨戦セックスが入ったりと、眠れる美男シーンにいたる過程が、かなり細かく描かれる点も異なる。
眠れる美男シーンまでは、川端康成オマージュだとはぜんぜんわからない。
ついに「眠れる美男」にたどりついた時、そこにあるのは、一方通行で非対称な欲望の苦しみ、相手の意志を奪う加害性だ。
平穏なセックスは、両者の互いへの欲望を必要とし、片方だけの欲望だけでは成就しない。相手が自分を求めてくれず、欲望が圧倒的に非対称である時、相手の自由を奪うか、意識を失わせることでしか、欲望は成就しない。
「実らない片思い」は、突きつめていけば、加害による成就か、代替価値を提供する取引か、非成就か、欲望の抹消しかない。
本書では、『眠れる美女』よりはっきりと、欲望が叶わない苦しみ、無意識の相手への加害性が描かれている。
殷殷の苦悩は、老いの苦悩、欲望がかなわない苦悩が二重になっている。
殷殷の苦しみと欲望が切実である一方、やっていることは全力アウトなので、共感、同情、嫌悪感がいりまじった複雑な感情をかきたててくる。(あらためて『眠れる美女』の設定がだいぶひどいと認識させられる。)
『眠れる美女』では完全に黙殺された眠る体に、人格を与えた本書は、眠らない者の視点だけでは完結できなくなっていて、それゆえ読後感をより複雑なものにしている。
おそらく年齢、性別、恋愛観、社会規範によっても、感想は違ってくるだろう。
帯には「タブー視されている、高齢女性の性欲に切りこんだ」とある。
日本でも、若さが女の価値として、年をとった女性がババアと貶める風潮は存在する。性欲についても、高齢男性の性欲が若い証と承認されやすい一方、高齢女性の性欲は否定されるか、なかったことにされがちだ。
私は、欲望に罪悪感をおぼえるタイプではないし、恋愛と性愛を楽しむ年配の女性が周囲にいるからか、それほどタブーの認識はなかった。体を動かすことで自分の身体感覚を取り戻すのはいいことだし、性欲は何歳でもあるものはある、という感じだ。一方で、加齢とともに求められる機会が減っていく悲しみが切実なのもわかる。
川端康成を下敷きにはしているが、川端とはぜんぜん違う感情を描き、読後感も大きく異なる。語り口が独特すぎてロマンティックな空気はあまり感じられないが、一方的な性欲の加害性をロマン粉飾しまいとする、著者の意思かもしれない。
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