ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

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『隠された悲鳴』ユニティ・ダウ|持つ者が持たざる者をすりつぶす「儀礼殺人」の邪悪

 これから5年後に、ひとつの箱が開かれ、無視することのできない悲鳴が漏れ出すことなど、3人は知る由もなかった。

ーーユニティ・ダウ『隠された悲鳴』

 

海外文学を読み始めてから、魔術に関するニュースを追うようになった。東欧やアフリカでは魔術が日常に組みこまれていて、日本では目にしないようなニュースや事件がしばしば起こる。

さて、どの魔術世界にも平和な魔術と邪悪な魔術がある。両者の違いは「自分の欲望のために、他者を犠牲にするか否か」だと思う。

多かれ少なかれ魔術は欲望を叶える手段であり、なにかしらの「対価」を求めるものだ。対価が、自分の努力や自分が所有する物質ならばいい。だが、自分のために他者を対価にする魔術も根強く存在する。

本書は、自分の欲望を叶える「儀礼殺人」にまつわる、度し難く邪悪な物語である。 

隠された悲鳴

隠された悲鳴

 

 

南部アフリカ・ボツワナの現役大臣が書いた、一風変わった本書は、1990年代ボツワナが舞台だ。ボツワナはアフリカの中でも政治と経済が安定した国で、昔ながらの呪術も広く信じられている。

事件は、ボツワナの辺境にある村で起こる。都会っ子が「ライオンと象ばかりの田舎」と呼ぶ地域に、医者志望の女性アマントルが、国家奉仕プログラムのために赴任する。村の診療所でアマントルは、ある古ぼけた箱を見つける。その箱は、禁断の箱だった。

箱が開かれた瞬間、隠された悲鳴が漏れ出して、未解決の少女殺人事件、ネオ・カカン事件につながっていく。

 

儀礼殺人とは一般的に「解決されない」事件である。なぜなら、儀礼殺人は「権力を持ち社会的に成功している男性」によって行われるからだ。

権力をより強化するため、より高い権力を得るため、野心のために、権力を持つ男たちは10代前半の若い少女を「子羊」として生きたまま解体し、死体の一部を薬にして使う。

権力者が背後にいるから、警察は事件解決のために動かない。それどころか証拠や裁判記録を隠蔽したり消失させたりして、「被害者サイドの記憶違い」として処理しようとする。こんな理不尽が、慣習として根づいてしまっている。

この邪悪な慣習に、医者、弁護士、検察官の若いエリート女性3人が立ち向かう。

 

本書は、「力と富を持つ者」がより所有するために、「持たざる者」を道具としてすりつぶして犠牲にする、悪の構造を描いている。

儀礼殺人の根底にあるのは「利己主義」「力の不均衡による搾取」「自分が属する集団以外を人間扱いしない蔑視」だ。

呪術は、欲望の成就と対価の交換である。自分がなにかを得たいなら、自分が持つものを対価として出せばいいはずだが、儀礼殺人はたくみに「無垢な者が必要」などとこじつけをして、対価を自分以外の他者、自分よりも弱い他者に押しつける。結果、生贄には「自分や仲間が犠牲を払わずに済む者」が選ばれる。

この搾取構造は、アフリカに限らず、世界中のどこでも見られる。

アフリカ以外の国では、儀礼殺人は一般的なものではない。だが、強者が弱者を人間扱いせず、自分の道具として搾取して使いつぶす構造は、どの国でも、どの時代でも繰り返されてきた。

わたしたちの中にはみな、怪物が潜んでいるのだろうか? もしわたしたちが恐怖に身をすくませ、邪悪さから目をそらしたら、誰が無垢な子どもの叫びに耳を貸すのだろう?

著者は「儀礼殺人」というアフリカ特有の現象をとおして、どの社会でも見られる悪の構造を提示する。

私は、ボツワナの政治も大自然も呪術も目の当たりにしたことがない。それでもこんなに「近い物語」だと感じるのは、人類の良心と邪悪にうんざりしつつも、悲鳴を無視しない世界を望んでいるからかもしれない。

「こんなに美しいものと邪悪なものが同時に存在しているなんて」 

 

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