ボヘミアの海岸線

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『崩れゆく絆』チヌア・アチェベ

「白人ときたら、まったくずる賢いやつらだよ。宗教をひっさげて、静かに、平和的にやって来た。われわれはあのまぬけっぷりを見ておもしろがり、ここにいるのを許可してやった。しかしいまじゃ、同胞をかっさらわれ、もはやひとつに結束できない。白人はわれわれを固く結びつけていたものにナイフを入れ、一族はばらばらになってしまった」——チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』

弱さを認めぬ弱さ

 支柱が折れて瓦解する教会のまんなかで、降りそそぐ瓦礫の雨を2本の腕で支えようとした男がいた。

 時は19世紀、植民地支配前夜のナイジェリア。オコンクウォは、架空のアフリカ部族社会“ウムオフィア”(アチェベの出身地ナイジェリアの最大部族、イボ族の習慣をもとにしている)で最強の戦士として認められていた。稼ぐことも戦うこともできず、音楽を愛して借金まみれで死んだ父のようになることを病的に恐れ、父が愛したもの、音楽や感情、優しさを、軟弱で女々しいものとして、ことごとく憎んだ。

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

 そのため、オコンクウォはふりきれてマチズムに走った。相撲で一番になることを誇りにし、納屋をヤムイモでいっぱいにするために幼いころから畑を切り開き、働いた。一方で妻にためらいなく暴力をふるい、男らしくないものについては、周囲の者がたしなめるほど強烈に罵倒して蔑んだ。

 いささか戯画的にすぎるこのいけすかない男は、しかしウムオフィアにおける社会ルールの中では高い地位を得ていた。彼らの一族においては、肉体的に強く、ヤムイモを貯蓄できる男が認められる。だが、キリスト教と白人の来訪により、ルールはもはや後戻りが不可能なまでに、決定的に変わってしまった。

 オコンクウォは悲嘆にくれた。単なる個人の悲しみなどではない。いままさに目の前で崩れゆき、ばらばらに壊れつつある一族を思って嘆いた。そして、かつての倦むオフィアの戦闘的な男たちを思って嘆いたーー男たちは、まったく不可解なほど、女々しく軟弱になってしまったのだ。

 「ただ若い衆のことが気がかりなのだよ。お前たちは親族の絆がどれほど強いかわかっとらん。声をひとつにして話すとはどういうことかわかっとらんのだ。それでどうなったか。忌まわしい宗教が入り込んできたではないか。いまじゃ、父も兄弟も平気で見捨てられてしまう。父祖の神々やご先祖を呪うことさえできる。まるで、猟犬が突然狂いだして、主人に食ってかかっているみたいではないか。お前たちが心配だ。一族が心配でならん」


 前半に描かれるアフリカ部族社会は、幻のように光りかがいている。客を訪問するときのコーラの実、貝殻の貨幣、闇をなめる炎、悪霊が跋扈する深淵の森、仮面の精霊が集まる会議、村の鼓動すべてを統べる太鼓の音。すべてが懐かしく、美しい。

 太鼓はずっと同じ調子で鳴り響いていた。この音は村とは切っても切れないもの。まるで村の心臓が鼓動しているようだ。大気のなか、日の光のなか、木々のなかさえも脈打ち、村を熱気で包み込む。

 だからこそ、ウムオフィアの繁栄とその崩落とのコントラストは、強烈である。だがアチェベは、ヨーロッパの野蛮な人間たちに蹂躙された無垢な被害者としてアフリカを描くのではなく、「部族社会とそのルールの構造的な弱さ」が自壊をまねいた、という立場をとる。アチェベの親は熱心なキリスト教徒であり、アチェベはキリスト教文化と伝統文化のはざまにいた。

 男性的な強さを主軸にした男と社会を描いていながら、この物語の核は「弱さ」と「弱さゆえの崩落」にある(事実、原題 "Falling apart"に、「絆」という単語は存在しない)。身体的、社会的に強いオコンクウォの堪えがたい精神的な弱さ、ウムオフィアという成熟した自治社会の、ルールに沿わないものを切り捨てていくことで運営していた構造的な弱さを、アチェベは指摘する。

 オコンクウォは、自分の弱さを他者に見られることを極端に恐れていた。自分が臆病だと思われることに我慢がならず、弱さを認めないことが男の誇りだと考え、震えを隠すために拳をふるった。だが、それこそが臆病だ。オコンクウォは弱さを認められない弱さゆえに、目に見える強さを盲目的なまでに信仰した。

 ウムオフィアもまた、構造的な弱さを抱えていた。ウムオフィアは力を持たない女や奴隷、弱い者を下敷きにして繁栄してきた。“弱き者のための宗教”キリスト教はこうした、社会ルールにおいて周縁におかれた弱い立場の人々の心をつかんだ。
 
 
 成熟した社会はやがて腐臭をただよわせ、崩壊を経て再生する。すべての歴史がそのことを証明している。だが、個人はどうか? 人間は弱い。それを認めず目をそらし続ける人間は、どこまで強がったまま、歩いていけるのか。社会と同じように、崩壊を経るしかないのか。だが、人間はその崩壊に耐えられるのか?

 この物語は辛辣なまでにその原因を示しはするが、ラストはただ衝撃ばかりが残る。自分をはぐくんだ文化への愛というよりはむしろ、自分が勝ち得てきたものを失うことの恐怖により、男は崩れゆく瓦礫の中に飛びこんだ。なんという後味の悪さ。愛ならば、まだよかった。


Chinnua Achebe. Things Fall Apart, 1962.

 

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Reference

現在は石油産出国で稼ぐことができてしまうため、政府の腐敗がひどいことになっているらしい。