ボヘミアの海岸線

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『勝手に生きろ!』チャールズ・ブコウスキー|丸出しでまるごとそこにいる男

「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10%か20%しかないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」

ーーチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』 

 

ブコウスキーは、いつか読もうと思いつつも通りすごした作家のひとりだ。学生の頃、ブコウスキーは最高だよ、マイ・フェイバリットだよ、とビールを飲みながら(彼はいつもビールを飲んでいた、授業中でも飲んでいた)推してきた友人がいたのだが、なんとなく手に取らないまま読み過ごした。ようやく読んでみた今、思っていたよりもずっとブコウスキーは率直でユーモアがあると知った。なんだ、こんなことならもっとはやく読んでおけばよかった。

 

 

舞台は1940年代、第二次世界大戦直後のアメリカ。「一時的にインスピレーションの途切れた作家」ヘンリー・チナスキーが、アメリカを転々と移動しながら、仕事を見つけては辞めて、酒を飲んで、女とセックスして、合間に小説を書き続ける。

「月曜日爆発しろ」と呪いつつなんだかんだ仕事をしてしまう社会人から見ればチナスキーの生活は破滅的に見えるが、チナスキーは破滅的でも自暴自棄でもなく、自分が好きなことと嫌いなことをはっきり自覚して、好きなこと以外に人生と心を使わないで生きているだけだ。つまりは簡潔で完成している。これは、けっこう実現が難しい。

社会は社会人と呼ばれる生き物に、聞き分けの良さと従順さと便利さを求めていて、その基準からはずれると、安定した生活を失うリスクがある。多くの人はリスクを回避するために、感情や欲望にフタをして「きちんとした大人」を演じる。

だが、チナスキーはフタをあっさりと蹴り飛ばす。仕事を得る時だけ「この仕事が大好き」とか笑えるほど適当な嘘をつくものの、それ以外はだいたい全部が丸出しだ。

精神的全裸とでもいうべき率直さは、自分にフタをしまくっている大人や社会人を驚かせる。「まるごとそこにいるのね」という言葉は、本書のこと全部を指していると思う。まるごとそこにいる作家。まるごとそこにいる小説。

 「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10%か20%しかないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」

ひさしぶりに仕事をしようとしてスーツが大破損するくだりは、いい感じに丸出しで最高にユーモラスだ。

あなたは丸出しだから女が寄ってくるのだ、と本書の中で女は言う。丸出し全裸の引力とでもいうのか。しかも来る者拒まずときたら、なお引力は増す。チナスキーがやたら乗っかられたり、すごい勢いで吸われたりするのもやむなしだ。

おれはようやく立ち上がり、タンスからスーツを取り出して、上着を着てみた。やたらぴったりしてる。仕立て屋で見たときより小さいような気がした。突然ビリッという音がして、背中がまっぷたつに裂けていた。おれは上着の残骸が残ってる。はいてみた。チャックのかわりにボタンがついてた。ボタンを止めようとしたら、尻の縫い目が裂けた。手を回して触ると、パンツの感触がした。

 

また、ブコウスキーの小説は、酒と女と芸術で格好いい自分を意識する「男の美学」的自意識がなく、「この選択肢しかないからやっている」と、諦念まじりの率直さがあるところがいい。

やっていることは酒とセックスと小説でも、格好よさで自分を武装しているのと、他に選択肢がないからやっている丸出し状態では、受ける印象がぜんぜん違う。

そして私は思い出す。ずっとブコウスキーを手にとらなかったのは、「酒とセックスと小説」という印象によって、格好つけのイメージが先立っていたからだった。でもブコウスキーはぜんぜん格好つけ要素がなくて、思っていたよりもずっと丸出しでまるごとそこにいた。つくづく、もっとはやく読んでおけばよかった。

こんなに仕事の空きがあるってのはいいもんだな、とおれは思った。でも同時に心配もしたーーきっとおれたち、なんか競争させられるんだ。適者生存だ。アメリカにはいつも、職探しをする人々がいる。使える体は、いつでも、いくらでもいる。そしておれは作家になりたいんだ。

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 

 

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アメリカの「ど阿呆(ファックヘッド)」と呼ばれる人たちの短編集。だいたいが麻薬中毒者たちで、好き勝手に生きているように見えるが、時折、悲しみの叫びと祈りが見える。このびっくりするほどの率直さが、なんとなく似ている。

 

人間嫌いのセックス好きといえば、ウエルベックである。ウエルベックは自己肯定感が低く、性欲が叶わない悲痛と欲求不満を書き続けるので、自我がはっきりしていて、すごい勢いで乗っかられたり吸われたりするブコウスキーとは違う。