ボヘミアの海岸線

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『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベック|望みが叶わない人生の苦痛とその解放

僕がセックスで幸せを感じるためには、少なくとも――愛がないのであれば――同情か、尊敬か、相互理解が必要だった。人間性、そうなのだ、僕はそれを諦めてはいなかった。

――ミシェル・ウエルベックある島の可能性

 

幸せはどこまでも主観的なものであり、他者から見て「成功している」「幸せである」ように見える人が、本人もそう感じているとは限らない。

仕事での名声、高額の報酬、著名人との交友関係、自由な性愛、結婚、これら世間が羨む成功を手に入れてもなお孤独で不幸だと苦しむ人がいたら、周囲はきっと「これ以上なにを欲しがる必要があるのか」と言うだろう。しかし本人にとって最も望む願いが叶わないなら、それは不幸であり、人生は苦痛となる。

 

 

本書において、人類は「旧人類」である。およそ2000年後の未来を生きるネオ・ヒューマン「ダニエル24」が、過去(私達にとっての現代)を生きた「ダニエル1」の手記を読み解いていく。

ダニエル1は、フランス人のコメディアンだ。人種やタブーを主題にしたスキャンダラスなブラックジョーク作品を次々に出しては爆発的な人気を得て、名声と富を獲得する。しかし、この社会的な成功はダニエルを幸福にはしない。彼の独白は幸福感とはほど遠く、苦しみと孤独に満ちている。

僕が耐えられなくなっているもの、それは「笑い」だ。笑いそのものだ。人間の顔だちを変形させる、その突然の劇的なひずみ。それは一瞬にして、その顔が有していたあらゆる品位を台無しにする。

どれほど他者がうらやむものを手に入れても、彼は本当に欲しいものを手に入れておらず、欲求不満だ。

ダニエルの幸福は性愛に直結している。「肉体関係なき愛など存在しない」と信望する彼は、愛する女性との愛のあるセックス、若く美しい肉体を持つ女性が自分を愛してセックスを楽しむことを望む。「淑女と娼婦と愛」をひとりに求める、この身も蓋もない高望みゆえに、ダニエルの人生は希望と絶望がいりまじった地獄になる。

僕にとって、かなりの痛手だった。すべての男が見る夢は、無垢でありながら、あらゆる変態行為に応じられる小さなアバズレ――ほとんどの思春期の娘がそうであるもの――に出会うことだ。その後女性は徐々に分別臭くなるため、男性はどうしても小さなアバズレだった彼女のだらしのない過去に永遠に執着するようになる。

 

生きづらい。読み進めれば進めるほど生きづらい。

「金と権力はあるが不幸で孤独な男」の苦しみが全力で迫ってくる。ダニエルは社会的に成功してセックスの機会も多いが、女性を若さと外見と体で判断しており、友人はおらず、人間関係を築くことが男女問わず下手だ。しかし、名声や欲望によって人はがんがん寄ってくるので、人間への失望は深まるばかり、理想の女性像は高まるばかりで実現が困難になり、生きづらさがどんどん加速していく。

僕がセックスで幸せを感じるためには、少なくとも――愛がないのであれば――同情か、尊敬か、相互理解が必要だった。人間性、そうなのだ、僕はそれを諦めてはいなかった。 

ダニエルがこれほど生きづらいのは、ひとつには彼が欲望にたいして正直だから、そして彼が望むものがどれも制御不能なものだからだと思う。

ダニエルは良くも悪くもとても欲望に正直で、自分の欲望の形をよく知っている。もし、セックスか愛か若さ、どれかを諦めて妥協したなら、これほど追い詰められはしなかっただろうが、そしたらもうそれは幸福ではない。彼のようなタイプにとって、望みの成就は0か100か、どちらかしかない。

ただ君はとても正直なんだ。そこに君の真の特性がある。人間の現行の規格からすれば、君はおそろしく正直な人間に分類されるだろう。

そしてダニエルは、他者の心や身体、若さの維持、性欲など、自分の理想どおりには動いてくれないものが、自分の理想どおりになることを望んでいる。しかし、それは人類がどうにかできるものではない。だからダニエルが、人類の不可能を越えて「永遠の生命」を謳うカルト宗教に引き寄せられていくのは、自然な流れだったと思う。

 そして僕はかつてないほどはっきりと感じた。人間関係が生まれ、変化し、死んでいく過程は、最初から完全に決まっていて、惑星の運航と同じように変えようがないのだ。そして少しでもそれを改善したいと願うのは、まったく無駄で馬鹿げたことなのだ。

 

人間は苦しみからの解放を願うが、苦しみから解放されたら、それは人間だろうか?

「人生は苦痛であり、苦痛からの解放を望む」という仏教から続く人類の命題が、フランスの性愛、「永遠の生」を求めるカルト教団、遺伝子技術の革新を経て、2000年後のネオ・ヒューマンに接続していく。

ダニエルの願い、エロヒム教団のたくらみ、ネオ・ヒューマンは、「苦しみからの解放」「変わらない幸せ」という人類の普遍的な願望にたいする、それぞれの回答なのだと思う。

   <至高のシスター>によれば、嫉妬、性欲、生殖欲の根源はみな同じである。つまりそれらは存在する苦しみから生まれてくる。存在する苦しみの一時しのぎとして、人は他人を求めるのである。我々はこうした段階を越えなければならない。そうしてはじめて、ただ存在するだけで、常に幸せという状態にする。

人間嫌いの女体好き、ばか正直な下半身主義男の独白はまったく度し難く、「この本を読めない」と途中で挫折する人がいるのもやむなしと思う。

それでも、涙と精液まみれのピュアな欲望があまりにも純度が高いので、目が離せなくて、行方を真顔で凝視してしまう。

ネオ・ヒューマンからすれば、わたしたち旧人類は、老いていく不完全な肉体を持ち、1回限りの人生という博打で、思いどおりにならない他者と愛を求めて苦しむ、切実で愚かで理解しえない存在かもしれない。しかし私は、この不完全さこそが人類だと思う。

涙と精液にまみれた悲痛な欲望が、浮遊する透明な結晶のようになっていく展開は、都市が朽ちて廃墟になっていくのを見送るかのような、さびしい美しさがあった。

 

Memo:聖書のダニエル書

本書は、各章が「ダニエル24−1」と聖書風に書いてある。ダニエル、イザベル、エステルはそれぞれ聖書にその名を冠した書がある。ダニエル書は最後に黙示録的な展開となり「永遠の生」について天使が語る。

ダニエル書(口語訳) - Wikisource

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修行僧が、性的に奔放な舞姫タイスを「改心」させようとするが、実際のところは性欲混じりの壮絶な片思いである、「欲求不満小説」。望みが叶わない非モテが、自分の望みの形に気づくかどうかの心理小説としておもしろい。その点、ウエルベックの主人公はごまかす余地がなく正直だなと思う。

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

 1回限りの人生と永遠の人生、存在の重さと軽さ、これらのテーマは『ある島の可能性』にも重なるテーマだ。こちらのほうは、ウエルベック主人公と違って非モテ要素はだいぶ薄い記憶がある。