ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『淡い焔』ウラジミール・ナボコフ|ボリウッド+サイコホラー映画めいた文学解説

 

私としても、明快たるべき文献研究資料をねじ曲げ変形させて、怪物じみた小説もどきを拵えるつもりは毛頭ない。

――ウラジミール・ナボコフ『淡い焔』

 

『Pale Fire(淡い焔)』という厳かな題名、「詩に注釈をつける男の物語」という生真面目なあらすじからは、およそ想像もつかない小説だ。

「私としても、明快たるべき文献研究資料をねじ曲げ変形させて、怪物じみた小説もどきを拵えるつもりは毛頭ない」とナボコフが書いたのは、おそらくナボコフ流の真顔ギャグだろう。本書こそが「怪物じみた小説もどき」そのものなのだから。

淡い焔

淡い焔

 

 

アメリカの著名な詩人ジョン・シェイドが、長編詩を書いた直後に死んだ。隣人であり友人でもあるチャールズ・キンボードがシェイドの詩を編集し、注釈をつけて、詩集『淡い焔』として刊行した。

このあらすじから、おそらく読者は真面目かつ重厚な専門書を想像するだろう。詩人か詩のファンぐらいしか楽しめないのではないかと躊躇するかもしれない。だが、この予想は振り切って裏切られる。 

はっきり言おう、私の註釈がなければシェイドのテクストは人間的リアリティをいっさい持ちえない……

本書は、シェイドの詩パート、キンボートの注釈パートに分かれている。例えるなら、シェイドの詩は、雨音が聞こえる室内で家族の死について語るささやき声のようなもので、キンボートの註釈は、ドラと銃声が鳴り響くボリウッドアクション映画とサイコホラー映画を足したようなものだ。

サイコホラー・ボリウッド映画めいた詩の註釈など、ありうるだろうか? ある、としか言いようがない。

註釈で語られるのは、詩の注釈(いちおうちゃんとある)、シェイドに対するキンボートの熱狂的な執着、ストーカー行動、ゼンブラという謎の国で起きた謀反事件にまつわる驚くべき冒険譚である。

読者は読み始めてすぐ異様さに気づく。序文から、注釈者キンボートが最前線に出てきて自分語りを始める。その前のめりぶりと自己陶酔ぶりは圧倒的で、「これからやばいものを読むことになる」と心拍音が否応なしに上がっていく。

 

キンボートのしゃべりは、やばい人の語りそのものだ。相手の言葉からキーワードを拾ってはすぐ自分の話につなげる人のように、キンボートは詩の一言を抜き出して、ゼンブラ冒険譚と自分語りをしゃべり倒す。

シェイドへの熱狂的な執着も危ない。出会って数か月しか経っていないのに「シェイドの唯一無二の親友であり理解者」と自称して、シェイドを独占したいあまり、シェイドの周囲にいる人すべてを貶す。一方で、シェイドが好みそうもない「竜皮でオリエンタルな色使い、侍にうってつけのゴージャスなシルクガウン」という悪趣味極まりないものをプレゼントしたりする(ここのシーンは本当に笑った)。

狂人キンボートの語りに時に笑い、時にドン引きし、時に心をえぐられながら読み進めていくうちに、「認知の歪み」は増幅し、読者は何度も視点をぐるぐるりとひっくりかえされる。ナボコフは二重の読みを用意しているため、読者は「キンボートが見ている世界」と「現実の世界」の落差に気づき、笑いと悲哀に飲み込まれていく。

だがもちろん、この追悼記事の最も驚くべき特徴は、その中に一言たりとも、ジョンの生涯最後の数か月を明るく輝かせた、あの栄光に満ちた友情への言及がないことだろう。 

 『淡い焔』の決定稿は、この私が寄贈した素材の痕跡を一つ残らず意図的かつ徹底的に消し去ったものだと結論できよう。

 

キンボートはまぎれもなく狂人だが、芸術や創作を愛する人たちはなにかしら「キンボートのかけら」を持っている。

作品に、自分の物語や希望や主張を見出すことなんてしょっちゅうだ。研究者だって、作品の中から著者の経験を探したり、影響した作家や映画の痕跡を探そうとする。

「私の評価は概してとても甘い[とシェイド]。ただ、些細ながらもいくつかの店は容赦しない」キンボートーー「たとえば?」

「課題図書を読んでいない。阿呆みたいに読んでいる。作品の中に象徴を探すーー例『著者が緑の葉という印象的なイメージを用いているのは、緑が幸福と挫折の象徴だからである』。あと、『簡潔な』や『誠実な』を装さんの意味で使っている学生がいたら、壊滅的に減点することにしている。

作品に限らず、対人関係でも同じことが言える。自分が知っていることを相手に見出し、相手は自分と同じだと共感して好感を抱き、それらの幻想を恋または友情と呼ぶ。

これら度しがたい人類の勘違い、「芸術への態度」「他者への態度」の極北が、キンボートの注釈なのだ。だからキンボートへの感情は、オタクであればあるほど複雑になる。

 

 

それにしてもナボコフは、片思いをして失恋する狂人を描くことがすさまじくうまい。

相手を理解せず、相手が求めることを知らず、狂人は執着と妄想で練り上げた愛という名のヘドロめいた感情を咆哮する。しかし、相手のことを考えない愛は受け取られず、魂は孤独のままさまよう。その姿は悲しく愚かな美しさに満ちている。

魂が交わらないと知りながら、ヘドロのような苦しみと欲望にまみれながら、それでも人は魂の交わりを求める。この耐えがたい業をおそらく人は愛と呼ぶのだろうが、愛の渇望と孤独についてサイコ・ボリウッド・エンタメをまじえながら描くナボコフは、やはりただ者ではない。

 

訳書バージョン

淡い焔

淡い焔

 

最も新しい訳。両方読んだところ、私はこちらのほうが好みだった。

 

青白い炎 (岩波文庫)

青白い炎 (岩波文庫)

 

 もともとはちくま文庫で出ていた。長らく絶版で価格高騰していたところを復活した。訳はやや硬め。

 

ウラジミール・ナボコフの著作レビュー

Recommend

相手のことをまるで考えない、一方通行の愛と失恋大爆発といえば、ノートル=ダム。こちらは殺人にまで発展するので、よりやばさが激化している。

 

ガイブンの2大ストーカー犯罪者といえば『ノートル=ダム・ド・パリ』フロロと『ロリータ』ハンバート・ハンバートだと思っている。終盤の美しさは『ロリータ』が圧巻。

 

ある島の可能性 (河出文庫)

ある島の可能性 (河出文庫)

 

愛と魂の交わりを求めるが、その愛は届かない。孤独の闇から光を追い求めるヘドロに満ちた輝きが、『淡い焔』と似ている読後感だった。 

 

皆が愛を咆哮するが、その感情は交わらない。