ボヘミアの海岸線

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『パストラリア』ジョージ・ソウンダース|アメリカンドリームの陰にいる人たち

「すべてを手に入れる人間もいるっていうのに、あたしはどうしてなんにも手に入れられなかったんだ? どうしてなんだ? いったいどうしてなんだ?」

ーージョージ・ソウンダース『パストラリア』

 

アメリカ人の下層半分を合計すると、彼らの純資産はマイナスである」。これはアメリカのジャーナリストが2019年に書いた記事の一文だ*1。「1:99」の世界、1%の人が持つ富が残り99%の人の持つ富より多い現代では、かつての「努力すれば報われる」アメリカンドリーム神話は姿をひそめ、「努力しても報われない」壮絶な格差社会アメリカの代名詞となりつつある。

 

パストラリア

パストラリア

 

 

ジョージ・ソーンダーズは、成功を夢見て努力するも夢がかなわない、弱い立場にいる人々を描く。

本書の登場人物たちは運悪く、ブラック企業に勤めていたり、貧困家庭にうまれたり、問題を抱える家族がいたり、足の指がうまれつきなかったりして、望みどおりの生活がかなわない。

表題作「パストラリア」の主人公は、さまざまな時代を展示するテーマパークで、原始人を演じるキャストとして働く。毎日配給されるヤギを丸焼きにして、客に質問されても英語で答えてはいけない。終業後は毎日、パートナーの評価書を書いてFAXで送る(FAXというあたりが時代を感じさせる)。解雇と密告をほのめかす本部と、勤務態度がよろしくない仕事のパートナーとの間で、主人公は板挟みになる。

パートナーの態度に問題は? なし。パートナーに対する相対的評価は? ひじょうによい。調停の必要がある問題は?

 「そんな職場は辞めればいい」と外野は言うかもしれないが、彼らにとっては難しい。リスクをとることは、失敗してもどうにかなるだけの余裕がある人だけが選べる選択肢で、余裕がない場合は博打で命取りになる。

かといって、現状維持をしながら努力をしても、状況はよくならず、望みは裏切られ続ける。失望のつらさをアルコールや薬や楽しみで忘れようとし、ますます余力がなくなり、すこしずつ地面が掘り崩されていって、気がつけば深い穴の底に落ちてしまう。本書にはこうした、貧困に陥ってなかなか抜け出せない構造が、泣き笑いの文体で描かれる。

 それに、奥地のアトラクションで働くおれたちは、この先どこでタバコやミントやチョコレート・ドリンクを買ったらいいんだ?

ーー「パストラリア」

 

働きづめで家族と会えなかったり、好きでもない仕事を続けざるをえなかったり、栄養が偏った食事をしたり、問題を抱える家族の世話で手いっぱいだったり、日々を生きるだけでせいいっぱいの切実な日常描写に、著者はSF(すこしふしぎ)要素や「都合のいい妄想たれながし」といった泣き笑いのユーモアをいれて、現実と想像を混ぜこぜにする。

それは塩味のスープに砂糖をいれるようなものであり、「強い味+強い味=なんともいえない強い味」となって、私を飲みこみにかかる。中でも「シーオーク」は、濃厚塩味と濃厚砂糖味の決戦バトルで、パラメータがそれぞれ振り切れていて、これまで読んだソウンダースの中でいちばん好きだった。

 指がないことがわかっていても、気にせずにぼくを愛してくれる誰かに出会いたい。もしかしたら、この娘は年のわりに賢さを備えているかもしれない。もしかしたら、この娘の父親も障害を抱えているかもしれない。義眼であるとか、顔に傷があるとか……。長年、障害を持つやさしい父親を愛してきた彼女は、どこか障害のある男しか愛せなくなっているという可能性もある。 

ーー「床屋の不幸」 

「チンチンを見せるのかい?」おれは訊いた。

「そうだよ、チンチンを見せるんだ」

ーー「シーオーク」

 

アメリカン・ドリームの陰にいる人たちの小説だと思った。アメリカンドリームは、努力すれば報われる世界観だが、一握りの成功の裏には、努力しても報われなかった人たちがいる。そういう人たちはおそらく想像以上にたくさんいるのだが、「自己責任」「自分で選んだ道」という無関心に隠されて、その姿が見えにくくなっている。

著者は、まじめに生きていても報われない弱い立場の人たちを書き続けている。ソーンダーズの世界は厳しくつらいが、自己責任を押しつける世界ではないし、弱いことを恥じさせる世界でもない。

つらい目にあう人たちをユーモア混じりで語るという、罪悪感すれすれのところをいきながらも、すれすれで済んでいるのは、登場人物にたいする親密さによると思う。

「ぼくに望みはないのだろうか?」あなたは嘆いた。「人が心の平和にたどり着く途上で出合う障害物について、誰かが一生を捧げて研究してくれさえすれば!」

「まだ誰もそんな研究はしてないわ」心の平和は言った。

ーー「ウィンキー」

ソーンダーズはアメリカでベストセラー作家であるらしい。アメリカ人たちは彼の小説を自分事として読むのか、それとも他人事として読んでいるのか。アメリカでの読まれ方が気になっている。

「すべてを手に入れる人間もいるっていうのに、あたしはどうしてなんにも手に入れられなかったんだ? どうしてなんだ? いったいどうしてなんだ?」

毎回おれは「わからないよ」と答える。

ほんとうに、おれにはわからない。

 

収録作品

気に入った作品には*。

パストラリア**
原始人の生活を展示するアトラクションに働く主人公たちの生活が追い詰められていく。主人公のパートナーは勤務ルールを守らずに酒を飲んだり英語を話したりするが、その背景にはヤク中の息子への愛と悲しみがある。管理職と企業サイドがわかりやすくevilな感じで描かれている。設定以外はわりと現実みがあってつらい。

ウインキー**

「自分はなぜ不幸なんだ?」と悩む主人公が、自己啓発セミナーに参加する。「心の平和」なるもののアドバイスによれば、原因は妹(おそらく知的障害)にあるらしい。妹を切り離せば幸せになれると希望を持つが、そんなに簡単に割り切れるものではない。セミナーはちょっとカルトぽいが、本物はもっと超越したやばさがあるので、だいぶまともだと思った。

シーオーク***

病人や子供、主婦を抱えた大家族を支えるために、主人公はストリップをしている。彼らの生活はちっともよくならないし、ある出来事で滅茶苦茶にされてしまう。その滅茶苦茶をさらに上回る出来事が起きる。まさかこっちの展開にいくとは思わなかった。『十二月の十日』『パストラリア』2冊所収の作品のうちでいちばん好き。

 ファーボの最期

仲間外れにされた少年が「逆転」を妄想するあたりが、中二病文学ぽい。

床屋の不幸**

恋愛経験の少ない床屋が、美少女に恋をして都合のいい妄想を展開する。過干渉の親や足の指が足りないために自信が持てないあたりがつらい。胃痛展開になるのかと思いきや、思いのほかさわやかな方向にいった。

焚きに向かう川、ボートに乗った子供、うだつのあがらない中年男性をソーンダーズが描けば、もう先は予想がつく。『十二月の十日』を思わせるラストだった。

 

ジョージ・ソーンダーズの感想

 

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