『アオイガーデン』ピョン・ヘヨン|悪臭と腐敗にまみれたパンデミック都市
それらすべてを抜いて、いざ街を占領しているのは悪臭だった。都市全体が腐乱しながら悪臭を漂わせている。偏頭痛を起こし、舌を鈍らせ、鼻を詰まらせ、絶えず吐き気を催させる悪臭だ。悪臭は都市を構成する有機物の一つになっている。その悪臭の真中にアオイガーデンがある。
ーーピョン・ヘヨン『アオイガーデン』
私の人生におけるもっとも強烈な悪臭体験は、モンゴル平原で遭遇した、深さ2メートル、直径2メートルほどの巨大な糞便穴である。遊牧民のパオの近くにあったその穴は、彼らとその客が使うトイレで、穴の端に渡してある2枚の板のすきまから用を足すものだった。板のすきまからのぞきこんだ2メートル下の穴底は、糞便が大量に堆積していて、地獄のように黒く、涙を流すほどの悪臭が押し寄せた。臭気に「押される」感覚がしたのは、後にも先にもあの時だけだった。
悪臭は耐えがたくおぞましいが、この悪臭の源は、かつて人間の体内にあったもので、今も自分の体内にあるものだ。ピョン・ヘヨンの小説は、自分がいずれ腐っていく有機物であることを思い出させる。
本書は前半4編が短編集『アオイガーデン』から、後半4編が短編集『飼育場の方へ』から収録されている。前半と後半はそれぞれスタイルが異なっている。前半は悪臭と腐敗と内臓がうごめくどろどろ有機物小説で、後半は日常に不穏と恐怖が忍び寄ってくる不穏小説だ。
とくに前半4編の有機物ぶりはすさまじい。文章から漏れ出てくるのは、腐敗した身体、焦げ落ちた肉、どす黒くこびりついた血、ぬらぬら光る内臓、むき出しの骨、悪臭で、ページをめくる自分もすこしずつ腐っているのでは、と不安になる。
彼は単なる死体の一部に過ぎないそれを見つめた。足は容赦なく腐っていくことで自らの死を証明していた。水分とタンパク質、拡散などの有機物が全部落ちてしまったそれは、すでに世の中や生とはかけ離れたものに過ぎない。それは生きているという慰めなど与えてくれなかった。かえって人間の体というものが腐敗しやすいタンパク質の塊であるという事実を刻みつけた。彼は自分の身体に腐ったところがないか隅々まで調べたくなった。できることなら死ぬ前に一握りの防腐剤を飲み込もう。
ーー「死体たち」
これらの作品においては、生も死も等しく有機物の塊で、ぬらぬらといきのいい内臓か、腐敗して悪臭を放つ内臓か、ぐらいの違いしかない。
生と死は、スイッチのオンオフのように切り替わるものではなく、境界が曖昧なグラデーションとして描かれる。生きているものは、死に近い有機物であり、生と死の明確な境界などなく、生きている側の幻想なのだと思い知らされる。
そんな有機物のうごめきが、現実からふっと滑落して、怪奇と幻想の中に落ちこんでいく。
読みながら、子供がうまれた時に見た胎盤を思い出していた。私が人生で見た中でいちばん大きい内臓だ。あんなに巨大で赤黒い内臓が人間の腹部におさまることに驚き、グロテスクだが目をそらせなかった。本書の作品も同じように、グロテスクなのについじっと見つめてしまう。「貯水池」「死体たち」は悪臭度が高く、「マンホール」は内臓度が高い。「アオイガーデン」は悪臭度と内臓度がどちらも高くバランスがよかった。
後半4編は、前半とうってかわって悪臭と内臓と幻想怪奇は姿をひそめ、平穏な日常が舞台だ。こちらでは違和感と不穏がじわじわと積み上がっていき、崩壊を予感してどんどん胃痛が高まっていく。「ピクニック」「紛失物」は、似たようなことを経験したことがあるので、読んでいてほんとうにつらかった。「飼育場の方へ」は、聴覚を責めたてるラストがすさまじい。
私たちは腐ってない有機物の塊、そしていずれ腐っていく有機物の塊であり、死ぬときにその姿をさらす。ふだん忘れていることを目の前にごろりと投げ出されて、糞便穴と胎盤の記憶にぐらぐらしながら読みおえた。今も目の前が黒黒とくすぶっている。
収録作品
気に入った作品には*。
貯水池***
ピョン・ヘヨンの悪臭ワールド開幕にふさわしい作品。かつては美しく周囲にバンガローが立ち並んだ貯水池は、いまや腐敗して異臭を放っている。そして貯水池の近くに住む3人の子供たちもまた悪臭を放ちながら、母が帰ってくるのを待っている。最初から最後まで、まともに空気を吸えるページがない。最後の突き放しにはやられた。すばらしい悪臭度。
アオイガーデン**
パンデミックが起きて都市ごと悪臭に飲まれた住宅地アオイガーデンで、サバイブする少年と女たち。もとはSARS時の実在する場所をモチーフにしたようだが、今はCOVID19で再現される。小さなマンションの一室で、妊娠と去勢と腐敗、誕生と死が同時進行し、有機物がうごめく混沌の宇宙になっている。悪臭度と内臓度がどちらも高い。
マンホール*
マンホール地下都市の劣悪な環境と取締部隊との関係は、チャウシェスク独裁政権時代のルーマニアでうまれたマンホールタウンを思わせる。そのままマンホールにとどまるのかと思ったら、違う場所にいって内臓の話になって、さすがの内臓度だと思った。
死体たち*
死者が多く出る渓流で、水死体が上がった。妻の死体ではないかと、何度も死体を確認しにいく夫。死体の溶け切ったどろどろの腐敗描写が圧巻だが、包丁の場面の不穏さもすばらしい。生きている者が死に近い有機物として描かれ、境界が曖昧になっていく。
ピクニック**
ここから日常の不穏系ピョン・ヘヨンに移行する。ようやくとれた休暇を使って、沿岸沿いの都市へ小旅行へ向かう。深夜の出発、長時間の車移動という前振りだけで不穏きわまりないが、想像どおり不吉なずれがどんどん積み重なっていく。最後はいっそのことすがすがしい気持ちになった。
飼育場の方へ***
郊外に一軒家を持つことを夢見た一家が、不穏にどんどん追い詰められていく。犬の吠え声が、悪夢のようにまだこびりついている。住宅街にいる犬がこんなに恐ろしいなんて嫌すぎる。
パレード
ファミリー向けの毒気のない遊園地や象も、ピョン・ヘヨンにかかれば異質で不穏な場所になる。象が失踪し、失業すれすれのパレード部隊が走り回る。ピョン・ヘヨン作品の中では平和だった。
紛失物**
絶対になくしてはいけない書類を紛失してしまう、胃痛小説。韓国は日本以上に上位者に絶対服従の軍隊的な人間関係なので、読んでいて胃痛がひどくなる。私はよく重要なものをなくすので、こ本当にありそうで怖い。
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びっくりするほど糞尿まみれの悪臭小説。『黄泥街』を読んだ時も、糞便穴を思い出していた。
韓国のスラム街が舞台。主人公たちが住むスラム街は、下水処理場が近くにあり、悪臭がいつも漂っている。
特殊清掃のドキュメンタリーを読みあっていた時期がある。あのころは、有機物としての人間に興味があったのかもしれない。人間が腐敗して溶けたらどうなるか、目玉がどうとれるか、ウジがどうわいて死んでいくかをはじめて知った。
作者 ピョン・ヘヨン
翻訳 きむふな