ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『ロマン』ウラジミール・ソローキン|小説世界は激震する

「お前が好きだ!」彼は言った。

「あなたはわたしのいのちよ!」彼女が答える。

ーーウラジミール・ソローキン『ロマン』

 

 

ソローキン初期代表作のひとつ『マリーナの三十番目の恋』を読んだので、10年ぶりに、初期代表作『ロマン』を読もうと思い立った。

10年前は、読書会の参加者たち全員が『ロマン』を読んでロマニストになっていたものだが、皆がロマニストになってしまったので、もうしばらく『ロマン』のことを忘れていた。『マリーナの三十番目の恋』が『ロマン』と同時代の作品だったので、続けて読んでみたらどうだろうと思いついた。

 注:初期ソローキン作品はうかつにしゃべると粛清されるので、本エントリは粛清フリー(核心への言及なし)で書いている。

 

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『風船』ペマ・ツェテン|伝統と現代がせめぎあうチベット

「あなた、すでに三人も子供がいて、またもう一人産むつもり? 私たちチベットの女は、男のために子供を産むために生まれてきたわけじゃないのよ。」

−−ペマ・ツェテン『風船』

 

10年以上前の夏の日、チベットへ行こうと思い立ってから、青蔵鉄道に乗ってラサの地を踏むまで、1か月かからなかったように思う。青蔵鉄道ができてまもない頃だった。中国の政治施策でつくられた鉄道に苦い思いを抱えつつ、チベットに向かった。

高度2000メートル以上の抜けるような青い空、寺院の白い壁、赤い僧衣、極彩色の旗と、原色の景色をおぼえている。

風 船 ペマ・ツェテン作品集

風 船 ペマ・ツェテン作品集

 
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『アルマ』J.M.G. ル・クレジオ|絶滅した鳥、失われゆく記憶

どこにだって行こう、なんでも見たい、たとえ見るべきものだとたいして残っておらず、あたかも水没した墓碑に書かれたような地図上のこうした名前、日一日と消えていく名前、時の果てへと逃れていく名前のほか何もないとしても。

−−J.M.G.ル・クレジオ『アルマ』

 

今はもう消滅してしまった星の残光みたいな小説だ。

失われつつある、あるいはもう永久に失われてしまった命や文化について、切実な声で語り続ける作家が、インド洋の貴婦人と呼ばれる美しい島、父親の故郷、モーリシャス島について語る。

ぼくは帰ってきた。これは奇妙な感情だ、モーリシャスにはこれまで一度も来たことがないのだから。見入らぬ国にこうした痛切な印象を持つのはどうしてか。

作家の似姿であるフランス人研究者が、父親の形見であるドードーの石を手に、モーリシャス島を訪れる。旅の名目は、専門分野であるドードー研究のためだが、いちばんの目的は「父祖の地」を訪れることだ。

父や先祖と関わりがあった人々、一族の生き残りであるドードーと呼ばれる男を探しながら、かつて父や先祖が見た景色の痕跡を求めて、男はモーリシャスの土地を歩きまわる。

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『わたしの日付変更線』ジェフリー・アングルス|言語の境界に立つ

書き終えた行の安全圏から

何もない空白へ飛び立つ改行

−−ジェフリー・アングルス『わたしの日付変更線』「リターンの用法」

 

ジェフリー・アングルスは、英語を母国語として、日本語で詩を書く詩人だ。

ふたつの国、ふたつの言語の境界に立つ詩人の言葉は、いくつもの境界線を指し示し、あちらとこちらを見つめて、境界を飛び越えていく。

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『ラガ 見えない大陸への接近』J.M.G.ル・クレジオ|失われた島々の断片

ラガでは、人はつねに創造の時の近くにいる。

…堕罪や現在を、メラネシア人が本当は気にしていないということは、よく感じられる。かれらは、より幻想的なものとより現実主義的なものの、同時に両方でありうるのだ。

−−ル・クレジオ『ラガ 見えない大陸への接近』

 

ル・クレジオは、オセアニアを「見えない大陸」と呼ぶ。

「ラガ」は、南太平洋メラネシアに点在する島々のひとつ、ペンテコステ島の現地名だ。

ル・クレジオは、植民地支配以前のラガ、植民地時代のラガ、植民地以降のラガについて、ぐるぐると時系列を混ぜて、神話や伝承や歴史の断片、自身の滞在記録の断片を積み上げていく。

点在する島々をつなぎあわせていけば、見えない大陸が幻視されるように、著者は記憶と記録の断片を次から次へと語ることで、ラガへの接近を試みる。

 

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『眠れる美男』李昂|一方通行の性欲が行き着く果て

極めて微妙な――

身震い。

(どうして身震いなのか!)

ああ! 服の上からではなく、この荒々しい大きな手で裸身を隅々まで……

−−李昂『眠れる美男』

 

「小鮮肉=ヤング・フレッシュ・マッスル」 という衝撃的な中国語を知ることになった本書は、川端康成眠れる美女』を男女逆転したオマージュ小説だ。

眠れる美女』は、勃起能力を失った老齢男性のみが入れる秘密クラブの会員男性が、眠らされている全裸の女性のそばで添い寝する小説である。クラブの掟により、眠る女に触ることは禁じられているため、老人は若く美しい体を眺め回しながら、過去を回想する。

 

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『見えない人間』ラルフ・エリスン|僕を見てくれ、人間として扱ってくれ

「僕を見てください! 僕を見てくださいよ!」

ーーラルフ・エリスン『見えない人間』

 

感情と尊厳を持つひとりの人間として扱われたい。おそらく誰もが持つであろう願いだが、実現は思いのほか難しい。人種、性別、特徴、そのほかさまざまな理由で、人や社会は、自分とは異なる人を「人間ではないなにか」としてぞんざいに扱う。

 

「僕は見えない人間である。僕の姿が見えないのは、単に人が僕を見ないだけのことなのだ」

 

「見えない人間」とは、無視されるか、都合のいい道具として利用されるかして、ひとりの人間としては扱われないことだ。

1930年代、ニューヨークの地下どこかにいる黒人青年が、怒りをあらわにしながら、都合のいい道具として扱われてきた過去を饒舌に語る。

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『ビリー・リンの永遠の一日』ベン・ファウンテン|戦争エンタメとパリピ愛国者

「あんたたちこそがアメリカなんだ」

 俺たちのことをクソみたいに感じさせてくれてありがとうございます、軍曹様!

 ーーベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』

 

『ビリー・リンの永遠の一日』は、アメリカ特盛トッピング全部乗せみたいな小説だ。

正義、ヒーロー、アメリカ軍、愛国精神、ハリウッド映画、フォックスニュース、アメリカン・フットボール、チアガール、富裕層、セレブ、ディスティニー・チャイルドと、「グレート・アメリカ」が、これでもかと詰まっている。

だが、本書の中心は、グレート・アメリカを享受する人たちではない。グレート・アメリカの欲望を満たすために命をかけるアメリカ軍の兵士たちだ。

 

アメリカのチームはアメリカのヒーローたちを誇り高く称えます 

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『ニッケル・ボーイズ』コルソン・ホワイトヘッド|どこまでも追ってくる、悪霊としての暴力

僕がされた仕打ちを見てくれよ。どんな目に遭ったのか見てくれよ。

――コルソン・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』

 

運悪く、暴力や差別がはびこる劣悪な環境に生きることになってしまったら、とる手段は限られている。戦うか、逃げるか、屈服するか。

コルソン・ホワイトヘッドの小説では、暴力と差別に苦しむ黒人の少年少女たちは、つねに「屈服」以外の選択肢を選ぶ。

 

舞台は1960年代フロリダ州キング牧師による公民権運動が巻き起こった時代である。

黒人の地位向上と大学進学を目指す黒人少年エルウッドが、無実の罪で少年矯正院ニッケル校に送られる。

「少年を教育して社会復帰させる」とのうたい文句は名ばかりで、ニッケル校は苛烈な暴力と虐待がふきすさぶ無法地帯だった。鞭打ち、強制労働、性的虐待だけでなく、学校側による殺人と隠ぺいも横行していた。

このおぞましい閉鎖世界で、エルウッドとターナーふたりの少年は友情を育み、ニッケルの暴力にさらされながらサバイブしようとする。

 

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ローズ・マコーリー『その他もろもろ』|知能主義ディストピアの愛

 「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」

もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。

頭の良し悪しがそんなに問題か?

ーーローズ・マコーリー『その他もろもろ』

 

幸か不幸か、昨今のディストピア小説ブームはまだまだ好調のようで、古典ディストピアから最新ディストピアまで幅広い小説が、世界的に書店に並んでいる。

『その他もろもろ』は、古典のオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』やジョージ・オーウェル1984』より数十年前に書かれた、「忘れられた古典」だ。

その他もろもろ: ある予言譚

その他もろもろ: ある予言譚

 
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『きょうの肴なに食べよう?』クォン・ヨソン|すべての肴は果てしなくうまい

世の中にまずい食べ物はあふれている。けれどもまずい酒の肴はない。食べ物のの後ろに”肴”と記されているだけで何でも食べられる。 

――クォン・ヨソン『きょうの肴なに食べよう?』

 

クォン・ヨソン『春の宵』を読んでいる時、この作家はとてつもなく酒とごはんが好きなのだろうと思った。つらい人生をじりじりと生き延びる中で、酒とごはんを食べるシーンだけは、漂流船がであった救助船みたいに、人生の救済めいた光を放っていた。

著者後記を読んだら、著者が大の酒好きだと明かされていて、やっぱりね、と納得したものだ。あまりにも酒のことを小説に書きすぎて、周囲からたしなめられたので酒について書くのをやめた、と書いてあって、笑ったけれどもったいないと思った。ごはん文学好きの人間としては、おいしい料理シーンはあればあるほどよいのだから。

そんな折に、酒と肴のことだけを書いたエッセイ『きょうの肴なに食べよう?』が刊行された。酒のことを書きすぎて周囲からたしなめられたから、小説の中で酒を書くのはやめたが、エッセイで書きまくることにしたらしい。よくやった、見知らぬ韓国の編集部、と思った。ごはんの文章は、世界にあればあるだけいい。

 

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『海と山のオムレツ』アバーテ・カルミネ|愛と祝祭に満ちた、ごはん文学

「豚のパスタ」

豚の肉とあばら骨の入ったトマトソースをとろ火でじっくり煮込んで、大量のミートボールを作ってから、ジティ(パスタ)とまざあわせる。

パスタとソースがまるで恋人どうしのように寄り添い、全員がとろけるキスの代わりにたっぷりのチーズをまぶして、互いの見わけもつかなくなるまで混ぜる。 

ーーアバーテ・カルミネ『海と山のオムレツ』

 

海外文学を読んでいる時、ごはんシーンはとりわけ好きなもののひとつだ。食べることが好きだし、異国の料理も好き。だからもちろん海外文学の料理シーンも大好きだ。

食べたことがない料理、素材がわからない料理、味を想像できない料理といったセンス・オブ・ワンダー料理もいいし、食べる者みながアーとうめく絶品料理の描写も最高だ。ごはんシーンが出てくると、速度を落としてゆっくりと読むことにしている。

 

イタリアうまれの作家が書いた『海と山のオムレツ』は、食べることと食事にまつわる思い出でできた、生粋のごはん文学だ。連作短編集のすべてに料理の名前がついていて、料理にまつわる思い出が祝祭的に語られる。

イタリア料理にまつわる文学なのかといえば、ちょっと違う。 著者は、アルバレシュ言語圏の村に育ったアルバレシュ系イタリア人で、本書に登場する料理はアルバレシュ料理とカラブリア料理だ。

アルバレシュ文化は、イタリアの少数言語文化のひとつで、数百年前に海の向こうのアルバニアから、イタリア南部カラブリア地方に移り住んだアルバニア人由来の文化だ。アルバレシュ語は現在8万人ほどの話者がいて、ユネスコが「消滅の危機にある言語」と認定している。

 

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アメリカ文学のフェア選書して、ポップを書いて、青山ブックセンターで開催中

青山ブックセンター本店で、2020年秋に書いた「アメリカ大統領選挙の支持地盤で読むアメリカ文学フェア」を開催してもらっている。 

1月末まで開催予定で、その後のフェア開催予定によってはもうすこし伸びる、あるいは場所を移動して続行とのこと。

  35冊ぐらい選書して、30冊分ぐらいポップ文章を書いた。

 

 ブログ記事に書いた紹介文は長いので、文字数制限をつけて、ぜんぶ書き直した。

書店フェア向けのポップ文章を書いたのは、2015年の「はじめての海外文学」フェア第1回以来なので、じつに5年ぶり。

文字数制限があるぶん難しくなるけれど、私は昔からわりと文字数制限がある紹介が好きだったことを思い出した。30冊一気にポップをつくる体験ははじめてで楽しかった。

 

 青山ブックセンターのフェア担当の人が、フェア棚を組んでくれて、フェアタイトルなどを作って飾ってくれた。しかも、ブルーステート、レッドステート、スウィングステート、それぞれに色シールを貼って見やすくしてくれている。

 

ブログ記事が、物理化するとこうなるのがすごい。

なんというか、こう、次元移動のすごみを感じる。

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まるまる1棚分どかーんとフェアをやらせてくれた、青山ブックセンター本店と担当者の人にはすごく感謝している。まさか本当にできるとは思ってなかったので。

ブログ記事を読んでくれた人は、ふだんあまりアメリカ文学を読んだことがない人が多かったので、今回のフェアでも、あまりアメリカ文学を読んだことがない人が、沼にちょっとでも足をひたしてくれたらいいなーと思っている。こっちの沼は楽しいよ。

 

詳細情報

  • 場所:青山ブックセンター本店
  • オープン時間:10時~20時

 

ほかのお仕事



『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン|彼女はあっけらかんと笑っている

ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは"ベラドンナ"の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。

ーールシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』

 

私がコインランドリーを偏愛するようになったのは、フィルムカメラを持って町をうろついている時だった。

コインランドリーは、とりたてて美しいわけではない家事をやる場所なのに、写真で撮ると不思議と美しい場所になる。整然と並ぶ洗濯機の丸い扉、ぐるぐると回るカラフルな衣類、洗剤のにおい、自分の服を待つ人たちが座る姿、家でおこなわれる家事が公共の場でおこなわれている空間は、家にも学校にも町にも他のどこにもない、特別な雰囲気があった。

 その不思議さが好きで、私はコインランドリーを偏愛していて、コインランドリーが出てくる作品は好感度があがる。

 

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『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ|われら人類は皆すごくさびしい

「あんたただ一人だ」と彼は夢見るように言った。「あんただけだ」 

ーーカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』

 

マッカラーズ『心は孤独な狩人』を知ったのは7〜8年ぐらい前、評論かエッセイかなにかを読んでいた時だった。『心は孤独な狩人』”The Heart Is A Lonely Hunter"というタイトルの響きに惹かれた。ただ日本ではもう長らく絶版で、当時は電子書籍版もなかったので、原書で少しずつ読んでいた。

マッカラーズが描くさびしさがつくづく胸に迫るので、なんでこんないい小説が絶版のままなのだろうと思っていたら、なんと村上春樹訳で復刊した。しかも出なかった理由が「村上春樹の最後のとっておき」だからだなんて! ぜんぜん予想と違っていて、びっくりした。

そんなわけで、マッカラーズ『心は孤独な狩人』新訳での復刊は、私にとってはけっこうな慶事なのである。

 

こんなに混み合った家の中で、人がこんなにも寂しい気持ちになれるというのも、考えてみればおかしなことだった。

『心は孤独な狩人』は、さびしい人間たちの小説だ。

物語の舞台は1930年代、アメリカ南部の小さな町。聾唖者シンガーは、聾唖のアントナプーロスと住んでいた。ふたりはともに言葉を話せなかったが、手話で会話して暮らしていた。しかしアントナプーロスが精神病院に送られたことで、2人の共同生活は終わりを告げる。

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