『メダリオン』ゾフィア・ナウコフスカ|人間が人間にこの運命を用意した
さまざまなところから死亡の知らせが届く。…人びとはあらゆる方法で死んでいく、ありとあらゆるやりかたで、どんなことも口実にして。もう誰も生きていないし、しがみつくもの、守り通すものはないように思えた。死はそれほどに偏在していた。−−ゾフィア・ナウコフスカ『メダリオン』
人間が人間にこの運命を用意した
小中学生だった頃の記憶はおぼろげになりつつあるが、母が第2次世界大戦のドキュメンタリーをよく見ていたことはよく覚えている。夕食の後に「パリは燃えているか」が流れると、子供たちはテレビの前に集まった。
絶滅強制収容所のことを知るほど、当時のわたしは驚きとまどった。人間はこんなことができてしまうのか? ここまで人を殺せる感情ってなんだ? わたしにもそういう一面があるのか? この混乱と問いは続き、「人間の心を奥底までのぞきたい」探究心の源流となった。本書『メダリオン』は、あの時の混乱を思い出させる。
『メダリオン』は、ポーランド人作家が戦後まもない1945年にナチス犯罪調査委員会に参加して得た経験や証言をもとにして書いた「証言文学」だ。刊行は1946年で、ホロコースト文学としては最初期の作品のひとつに数えられる。おぞましい記憶がなまなましいうちに作品を残した作家は多くない。当時はまだ多くの人がナチスの衝撃に呆然とし続け、沈黙していた。
本書に登場する人物は、ホロコーストを生き延びて「証言」ができる人たちだ。彼らが目撃した出来事の激烈さと凄惨さに反比例するかのように、彼らの言葉は淡々としており、激情めいたものや過剰な語りはほとんどない。きれいごともない。彼らはあまりにも死を目撃しすぎ、死の処理をしすぎた。ナチスはユダヤ人の死体処理をユダヤ人に行わせたからだ。仕事は文字どおり山のようにあった。
「どうなさったのです? ご病気でも?」…
「いいえ、そんなことはありません。」陰鬱に答えた。「ただ、人間はどうしたってここで生きるのは無理です。」
−-「墓場の女」
「なぜって、こんな考えが浮かんだのです。このねこはどんなふうにこのネズミたちを食べるんだろう、と。」そして仕方なくつけ足す。
「まるでゲシュタポのように、私のなかにこんな好奇心が芽生えたのです。どんなふうになるのだろうと」--「草地」
死体の捜索が終わると私たちはそれを溝に重ねた。頭と足が交互になるように。とても狭かったので、たくさん入るようにです。…三、四メートルの溝に千の死体が入った。--「人間は強い」
証言者たちは、自分が見たもののおぞましさに驚き続け、自分がそれでも生きていて話していることに驚き続けているように思える。
現実は耐えうるものだ。なぜなら現実はまるごと経験させられるのではない。つまり、現実はいちどきに与えられることはない。現実は私たちのところに出来事のかけらとなって届く。切れ切れの報告として、射撃のこだまとして、空を漂う遠くの煙をして、あるいはすべてを「灰にする」と--誰もその言葉を理解しないのに--歴史が書き残すような家事として届く。−-「墓場の女」
どの作品もすさまじかったが、特に「墓場の女」と「人間は強い」の語りは忘れられない。「人間は強い」というフレーズが出てくる流れがおぞましい。どうあがいても死ぬしかない人が窓から飛び降りる時の音を私は聞いたことがないが、彼らは毎日のように聞いていたのだ。「耐えられない、耐えられない」と語り手はうめく。そのとおりだ。こんなことに人間は耐えられるようにはできていない。
しかし、この地獄を作り出したのもまた人間なのだ。ナウコフスカはこう書いている。
このように考えだされ、実行された大宴会は人間の作品だった。人間がその実行者であり、その対象だった。人間が人間にこの運命を用意した。
しかもこの狂ったシステムを動かしていたのは、残虐非道の非人道的な悪魔ではない。ごく普通の人々、まじめで仕事に忠実な人々、ハンナ・アーレントが「凡庸な悪」と述べた人たちだった。
『メダリオン』はポーランドの教育で課題図書として必ず挙がり、ポーランドで知らない人はいない作品になっているという。そうあるべきだと思った。時間が経つにつれて血は洗われ、瓦礫は片づけられ、語り手は沈黙し、死んでいき、意識的あるいは無意識的に修正された記録と記憶が過去を飲みこんでいくからだ。
収録作品(気に入った作品には*)
シュパンナー教授*
底
墓場の女**
線路脇で
ドゥヴォイラ・ジェロナ
草地(ヴィザ)
人間は強い**
アウシュヴィッツの大人たちと子供たち*
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1960年代、ハンナ・アーレントによるアイヒマン裁判の記録。アーレントは「ホロコーストを実行したのは悪魔ではなく、あまりにも普通の人間であり、悪は陳腐さによって成立した」と書き、議論を呼んだ。しかし後の監獄実験などから「人間は役割と命令と訓練により精神的免除を覚え、あまりにも簡単に加害者になれる」ことがわかっている。

- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
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『イエルサレムのアイヒマン』とともに、ナチス文学とホロコースト文学を読むなら避けては通れない書籍。彼もまた本書と同じことを語る。「人間とは、ガス室を発明した存在だ。 しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」。
同じく「悪の凡庸さ」を描いた作品。チェコでごく普通で家庭を営む真面目な仕事人がいかにして「正当な理由」を見つけて加害者にすべり落ちていくかを描いている。この静かな地すべりがじわじわと恐ろしい、サイコホラー。
ノーベル文学賞を受賞したドイツ人作家が描く第二次世界大戦。のちに作家自身がナチス親衛隊だったことを告白して非難が巻き起こった。『ブリキの太鼓』は露悪的でキッチュで語り手の嘘にまみれ、『メダリオン』とは対極をいく作品。ここまでして解体して派手にデコレーションしないと語れないほど現実は耐えきれなかったのではないか、と思わせられる。
owlman.hateblo.jpなナウコフスカはポーランドのヴァージニア・ウルフめいた存在だったようで、知識階級にうまれて早くから作品を書き、ミューズ的存在として信奉者たちが周りを取り巻いていたという。シュルツの才能を見出して出版にこぎつけたのはナウコフスカだった。シュルツと一瞬だけ恋仲にもあったらしく「あのシュルツと恋愛!?」と驚いて思わず二度見した。
Zofia Nałkowska "Medallions", 1946.