ボヘミアの海岸線

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『地下 ある逃亡』トーマス・ベルンハルト|離れろ、離れろ、反対方向へ

休みになったら元気を回復する、とみんな思っているけれど、実は真空状態に置かれるのであって、その中で半ば気違いになる。それゆえみんな土曜の午後になると恐ろしく馬鹿げたことを思いつくのだが、すべてはいつも中途半端に終わるのだ。

ーートーマス・ベルンハルト『地下 ある逃亡』

 

『地下』は、自伝的五部作の2番めにあたる作品だ。前作の『原因』が暗黒の10代を思い出す中学大嫌い小説で、続く『地下』は「はじめてのアルバイト小説」である。

 

語り手は、人々が最も美しい都市と讃えるザルツブルグを「致死的土壌」、エリート養成機関のギムナジウムを「精神の殺戮施設」と罵倒して、ギムナジウムを中退して、ギムナジウムの「反対方向」へ向かおうとする。

 

ギムナジウムの反対方向としてベルンハルトが選んだのは、ザルツブルグの汚点、誰もが関わりを拒否する汚点、貧困層が住むシェルツハウザーフェルト団地での労働だった。

訳者解説によれば、シェルツハウザーフェルト団地は実在する団地で、事実「見てみぬふりをされる貧困層たちの住居」だったらしい。ベルンハルトはこう書いている。

シェルツハウザーフェルト団地とかかわりがあるなどと言えば、聞いた者を愕然とさせ、吐き気を催させた。そこの人間だということ、そこと関係していることは一つの汚点であり、人はそこの出であってはならないし、金輪際、これっぽっちのかかわりも持ってはならないのだった。

 

高等教育をドロップアウトして労働を始める意思決定じたいはそれほどめずらしいわけではない。だが、ベルンハルトがこの決意をすると、ベルンハルトとしか言いようがない中退、ベルンハルトとしか言いようがない求職、ベルンハルトとしか言いようがないアルバイトになる。

著者は「ギムナジウムとは反対方向へ行かなければならない」と命題を立てる。そして職業紹介所で「反対方向だ」とひたすら曖昧な要求のまま、求人カードをはねつけ続ける。読んでいるとたいへん笑えるのだが、ものすごく迷惑な客だ。

 

ベルンハルトはこんなふうに、真顔で笑える言動を繰り出してくる。そう、『地下』は笑えるベルンハルトだ。

『原因』が、ダウナー・ベルンハルト&致死的ベルンハルトなら、『地下』はアッパー・ベルンハルト&いきいきベルンハルトである。続けて読むと血流がよくなる打線である。

『地下』では、労働の喜びを知るベルンハルト、「私は完璧に店を回せる」とアルバイトリーダーになるベルンハルト、「私は誰にでも心を開いている」「私は朗らかだ」とツッコミ待ちを疑う自己像を開陳するベルンハルトと、多彩なベルンハルトを堪能できる。

加えて私は誰に対しても心を開いていた。地下に私が持ち込んだ朗らかさは周囲に伝染した。朗らかでいられる、朗らかさを人々に伝染させられる、というこのふいに現れた私の能力がどこから来たのか、わからない。…私は親しめる人柄で、ユーモアがあって、私の冗談は客のあいだにいつも笑いを生んだ。

労働の楽しさについていきいきと語るベルンハルトだけではなく、「土曜日はみんな半ば気違いになる」など、いつものベルンハルト節があるのも楽しい。

休みになったら元気を回復する、とみんな思っているけれど、実は真空状態に置かれるのであって、その中で半ば気違いになる。それゆえみんな土曜の午後になると恐ろしく馬鹿げたことを思いつくのだが、すべてはいつも中途半端に終わるのだ。

さらには祖父への愛、音楽への愛と、嫌悪も皮肉もない愛の語りもよい。故郷ザルツブルグをあれほど嫌悪しておきながら、ザルツブルグの音楽をベルンハルトは受け継いでいる。「嫌悪するものからの離れがたさ」、割り切れないグレーな感情の描き方は、どの作品でも印象に残る。

 

世界で最も美しい都に住む人たちが目を背ける団地、輝かしい未来を約束するギムナジウムの反対側の団地で、ベルンハルトは「根源的な命の糧」を得て、罵倒以外の言語を花開かせる。

『原因』と地続きでありながら、『原因』よりもずっと笑えて楽しい。反対方向へと離れて、人生を取り戻した著者は、3作目と4作目でどの方向へ向かうのだろうか?

離れろ、離れろ、反対方向へ。 

地下―ある逃亡

地下―ある逃亡

 

 

トーマス・ベルンハルト自伝的五部作

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