『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ
[語られなかった戦争]
Wislawa Szymborska Koniec i Poczatek,1993.

- 作者:ヴィスワヴァ・シンボルスカ
- 出版社/メーカー: 未知谷
- 発売日: 1997/06/01
- メディア: 単行本
終わりと始まり
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない。
物事がひとりでに
片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
ノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人による詩集。彼女の言葉はとてもシンプルで、こ難しい言葉はほとんど使わない。言葉少なに、戦争の日々や愛する人の喪失を語る。なんとなく、アゴタ・クリストフを思い出した。真っ白い立方体を積み上げるような、シンプルだけど物悲しいイメージがある。
シンボルスカは戦争を「歴史」の出来事にしない。歴史は、いくつもの事象を組み合わせて記録を参照し、もっともらしい「事実」として記録する。だけど、その裏には膨大な「語られない出来事」があるわけで。彼女は、ジャーナリストが記録し損ねた、あるいは記録しなかった戦乱の風景を丹念に描き出す。
そう、気づけば町並みが戻っているわけではない。誰かが死体を処理し、瓦礫を拝し、泣く生者をなぐさめた。美しく復興した町並みは、誰かの労働と嘆きの上に立っている。しかし、私たちはついそのことを忘れてしまう。
「戦争の背景」や「イデオロギー」といった枠組みでもって戦争を語る学者と違って、シンボルスカの目線はどこまでも個人的だ。かつて、私は政治学的、社会学的な視点から戦争を見ることが普通なのだと思っていが、アティーク・ラヒーミー『灰と土』やエミール・ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』などの文学を読んでから、これらのアプローチに違和感をおぼえるようになった。
戦争は「災い」である。そして「災い」は集合的なものではなく、どこまでも個人的なものではないだろうか。東京大地震が起こったとして「都民全員の災い」なんてものはない。それぞれの人によって失ったものは違うし、そこから生まれる悲しみも違う。
憎しみ
ほかの感情とはちがう
どんな感情よりも年上なのに、同時に若い
……
宗教やら何やらで
人はスタートの姿勢をとり
祖国とか何とかで
人は「よーい、どん!」で駆けだしていく
はじめは正義だってがんばっているのだが
やがて憎しみが勝手に突っ走るようになる
憎しみ 憎しみ
その顔は愛の恍惚に
歪んでいる
憎しみはどの感情よりも原始的で強いとうたった詩「憎しみ」。この感情と「こちらとそちらは違う」という一言があるかぎり、戦争はなくならないとつくづく思う。
ただそこに破壊があり、ただそこに悲しみがあり。この詩集には、無神経なお悔やみの言葉とは対極の言葉が書かれている気がする。
recommend:
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エミール・ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』…土地を追われ、破壊の中を生きる。