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『白い病』カレル・チャペック|ただひとり疫病の特効薬を持つ者は問う

 患者を隔離して、ほかの人と接触させないようにする。<白い病>の症状が出たら、すぐに隔離する。うちの上に住んでるばあさんがここで亡くなるとしたら、耐えられんな! 階段の臭いがきつくて、もう誰もこの建物には近寄れなくなる……

――カレル・チャペック 『白い病』

 

猛威をふるう疫病を治せる治療薬を、ただひとりつくれるとしたら、どう使うだろうか?  分け隔てなく使うか、つくり方を公開するか、自分の利益となるよう動くか、それとも?

白い病 (岩波文庫)

白い病 (岩波文庫)

 

 

戦争がしのびよる不安な時代を舞台にした、疫病の戯曲である。

1930年代、戦争目前のロシアで、白い斑点ができてから、猛烈な悪臭を放って死ぬ疫病が蔓延する。感染するのは50代以上で、治療法はない。発症したら消臭剤をふりまいて悪臭をおさえながら、死を待つしかない。

絶望的な状況のところに「特効薬を見つけた」と主張する町医者ガレーンが登場する。しかし彼は、無邪気な救世主ではなく、治療に「条件」をつけた。

ある人にとっては望ましく、ある人にとっては耐えがたいこの条件をめぐり、政治家や富裕層、病院権力者とガレーンの心理戦が勃発する。

 

80年以上前の疫病小説だ。現代と同じところ、違うところはどこなのだろう、と思って読んだ。今でもぜんぜん変わらない描写と、この時代ならではの描写があった。

疫病に直面した人間の反応はあまり変わらない。医療倫理、政治家の思惑、疫病を取材するジャーナリスト、人々の不安、情報統制、錯綜する情報、世代間の軋轢、暴動の勃発など、程度の差はあれど現代と似ている。

一方、医療技術と体制はやはり違っている。現代は、巨大な製薬会社たちがしのぎを削っていて、研究開発と精密機械に高額な費用がかかるので、本書のような「貧しい町医者のみが治療方法を開発できる」状態はほぼありえない。

 だが、本書においては「たったひとりだけが知っている」ことが物語の根幹で、この設定によって緊張感がうまれている。

 

本書の緊張感は、「選択」と「パワーバランス」の揺れ動きからきていると思う。

死は誰にでも平等におとずれるものだが、実際のところは、戦争においても疫病においても、貧しい者が先に多く死ぬ。裕福で権力がある人間は、不平等にあぐらをかきながら選択している。

ひとりの人間が立ち向かうことなど不可能に見える巨大な構造にたいして、「特効薬」という強大な力を得たガレーンは、ほとんど蒼白な決意で戦いを挑み、パワーバランスに揺さぶりをかけて選択を迫る。

選択しなくてはならない状態にはなりたくないが、自分がガレーンだったらどういう選択をしただろうか、と考える。どの選択をしても、救世主、悪魔、天才医師、医者失格と呼ばれ、誰かからは讃えられ、誰かからは恨まれるだろう。つらい。それでも彼は自分の選択をした。

 

ガレーンの問いは、現代では起こらなさそうに見える。しかし、「どの階層の利益と命が優先されるのか」という恐ろしい問いは、より複雑で、より不平等になって私たちの前に転がっている。

 

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