ボヘミアの海岸線

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『ウンガレッティ全詩集』ジュゼッペ・ウンガレッティ|呆然とした空白の漂流

路上の/ どこにも/ 家を/ ぼくは/ もてない

新しい/ 風土に/ 出会う/ たびに/ かつて/ 慣れ親しんだ/ おのれを見つけては/ ぼくは/ やつれてしまう

そのたびに見を引き離してゆく/ 行きずりの者として

生まれながらに/ あまりにも生きてしまった/ 時代からの生還

ほんの始まりの/ 命の瞬間を/ 楽しむだけだ

そして無垢の/ 土地を探しにゆく

ーージュゼッペ・ウンガレッティ「漂白の人」

 

須賀敦子『イタリアの詩人たち』で、ウンベルト・サバの次に登場した詩人が、ジュゼッペ・ウンガレッティだった。

ウンベルト・サバの詩は、石、家、道、坂を見つめながら、地に足をつけながら歩いていくような詩、深呼吸をするような詩だった。次に流れついたウンガレッティの詩は、砂漠、川、墓、木立ち、夜、波のあいだを縫いながら、呆然とする空白へと私を運んでいく。

 

ウンガレッティ全詩集 (岩波文庫)
 

 

ウンガレッティの全詩集ーー第1集『喜び』、第2集『時の感覚』、第3集『悲しみ』、第4集『約束の地』、第5集『叫び声と風景』、第6集『老人の手帳』とエッセイ「詩の必要」、解説をおさめる。ウンガレッティ全部盛りとでも言うべきこれだけの仕事が、文庫で読めることは驚異的だ。

 

 5つある詩集は、書かれた年代によってだいぶ印象が異なる。

「摘みとった花と贈られた花 そのあいだに言いあらわせぬ虚しさ」で始まる第一集『喜び』は、戦争のにおいが濃い。「高地」「塹壕」との地名が付記される詩は、詩人が第一次大戦に従軍していた時に書いた。

夜、木立ち、川、土、と歩兵が戦地で見る風景の中に、ときおり人間の影が墓石のように映りこむ。かつて自身を戦地に送りこんだ参戦意欲はもはやなく、苦しみ、死、呆然とした心がにじみ出て、時おり閃光あるいは砲撃のような光を放つ。

「宿命」

苦しい任務につかせられた / 人造繊維/ その程度の者のくせに/ なぜぼくらは嘆くのか? 

「砂漠の金の麻」

揺れてはかすむ翼を/ 目の沈黙が切り離してゆく

風邪がむしりとってゆく/ 乾いた産後の口づけを

夜明けとともにぼくは青ざめてゆく

郷愁のアラベスクのなかへ/ そそぎこまれてゆくぼくの命

かつては仲間もいたが/ 世界のすみずみを心に映しながら/ いまぼくは方位を嗅いでいる

死にたどりつくまでは旅まかせ

ぼくらには眠りという休息はあるが

太陽が悲しみを消してゆく

金の麻の/ 生暖かいマントをかぶる

そしてこの荒れ果てた/ テラスから腕を差し出すのだ/ 降りそそぐ光のなかへ

割れたガラス片のような塹壕の詩は、終戦をむかえてからは、呆然としながら戦争の記憶と現実のはざまを呆然と漂流するような詩となる。

第2集『時の感覚』は、第1集で中核となった戦争の記憶を残しながらも、アポローンミケランジェロ、オフィーリア、クロノス、カイン、ピエタなど、ローマ芸術が描いてきた神話の世界を構築している。著者の詩集のなかではいちばん苦しみ度が少なく、私はヴァチカンで観たミケランジェロの絵画を思い出していた。

ピエタ

死者たちの道は生者たちのうちにある、

わたしたちは流れてゆく影だ、

それはわたしたちの夢のうちに芽生える麦だ、

それはわたしたちに残された距離だ、

そしてそれは名前に重みを与える影だ。

降り積もった影の希望 / 運命とはそれだけのことではないか?

 そしてあなたは一つの夢にすぎないのではないか、神よ? 

ほとんどすべての詩集に、死の影はいつもあるが、そのあらわれかたは時代によって違っている。

塹壕の記憶が生々しい初期は、死は足元や耳元で爆発するもの、明日にでもやってくるかもしれないものだったが、中期以降、死は霧の向こうでゆっくりと揺れる大鎌の影、死の際にわたる忘却の川(レーテー)のような印象になる。

そういえば川は、すべての詩集をつうじてなんども登場する。詩人がうまれたアレクサンドリアナイル川、地獄を見た戦地の川、ローマのテヴェレ川、そして死の忘却の川、これらの川がすべてつながって、詩の地下水脈となっている気がする。

 

最後に、詩の音楽性について。詩人は、単語ごとに解体する手法、韻律法、音節など、かなり厳密な手法で詩を書いていたらしい。訳者が「翻訳を絶望的に困難にさせる」と書いているゆえんである。

かつてボルヘスが『神曲』を「あらゆる文学の頂点に立つ」と激賞したのは、完璧な音楽によって世界を構築したからだった。同じように、ウンガレッティもまた、詩の音楽で世界を構築しているのだろう。この音楽を感じきれないことは残念だが、全訳とエッセイ、解説はほんとうにすばらしいことだと思う。

 

ウンガレッティの詩は乾いていて、苦しみと呆然と空白を感じる。しかし、詩人はこうも言っている。「まさに詩だけが、人間を回復できるのだ」。

 

Memo:ウンガレッティの朗読

Giuseppe Ungaretti reads 'Per Sempre' 

ウンガレッティが第3集『悲しみ』から詩を読んでいる。

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