『ラングザマー 世界文学でたどる旅』イルマ・ラクーザ|ゆっくりすることへの愛
いまでもそうだが、私は自分の本をほかの人にはどうしても貸したくない。どの本とも一つの(あるいは私の)愛の物語があり、ある本のカバーを見るだけでその本のストーリーだけでなく、そのストーリーとどのように私が関わったかということが呼び起こされるからだ。
−−イルマ・ラクーザ『ラングザマー 世界文学でたどる旅』
ちょっとゆっくりしようと思い立ち、夏休みをとって、運河みたいな本を探していた。
ドイツ語で「もっとゆっくりと」を意味する『ラングザマー』はそのうちの1冊で、読書、仕事、自然、体験、旅など9つのテーマを経由して、「ゆっくりする時間、ゆっくり本を読む時間」への愛を語りかけてくる。
本書は「ゆっくりすること」についての本だ。だから文章そのものもゆっくりしている。話題の広げ方、目線や思考が、波紋のような速度でゆっくりと広がっていく。
密かに世の中に逆らって生きる練習。消費行動のためではなく、しかし目覚めた感覚であてもなく歩きまわること。建物のファサードのもつ言葉、通りを歩いている人の歩み、ガラスや金属や水に映る光の戯れに目を開くこと。草が大都市の敷石のあいだから映えている。犬同士が子どものようにじゃれ合っている。ポスターがあちこちで世界を一つずつ文字で表している。立ち止まることと、見ること。プラタナスの並木道や三角形の講演をうろつくこと。砂利が靴底できしむ音を、黄金色の砂の音を聞くこと。そしてマンゴーのアイスキャンディをなめながら、陰鬱に光るいくつかの池のまわりを一周すること。白鳥の姿は見当たらない、ただマガモが何羽かいるだけ。そして葦のなかで夕暮れが始まる。大きな声。まだ雪は降っていない。空気は新鮮でよい香りがしている。スケートボードに乗った人たちが、ものすごい速さで走り抜けてゆく。ベンチには一人のシーク教徒が腰かけ、自分の靴の先を見ている。
9つのテーマを軸にゆるりと遊歩して、ゲーテ、シュティフター、ウンガレッティ、ハントケなどの文学や思想を経て、やがて起点であり終点でもある「ゆっくりすることへの愛」に戻ってくる。
その言葉はとても簡潔で、しかも光り輝く愛に満ちている。これほど率直に、ゆっくりすること、本を読むことへの愛を開陳する文章は、ここ数年であっていなかったように思う。
私だけが本と一緒にいる。私たち二人だけ。…本が私の恋人となっていくことをますますはっきりと感じ取る。私は彼がそこにいることを感じ取り、なめらかな紙にそっとやさしくふれる。私はさらにやさしくなってゆく。本が私のことをわかってくれるからだ。そう、本は私をわかってくれる。私が本を探し出したのではなく、本が私を探し出してくれたかのように、二人のあいだで紡ぎ出される言葉のやり取りは、これ以上ないほどに親密なものとなる。一方、外では風景が流れ去ってゆく。あるいは近所の子どもたちが大騒ぎをしている。私たちは一つの空間を分かちあっている。その空間は私たち愛の同盟者のものだ。
もちろん、愛ばかりを語っているわけではない。「ゆっくりすること」の対比として、爆発する情報量と加速する資本主義、ファウスト的な「悪魔的速さ」について批判する。そして資本主義の競争から振り落とされないよう速く生きること、競争から逃れて自分の価値観に従って遅く生きること、ふたつの時間を生きなくてはならない現代人のアンビバレントな立ち位置への同情を示す。それでも、速さへの批判より、遅さへの愛のほうが勝る。だからやっぱりこの本は愛を語る本だと思う。
著者の言葉は、運河のようにゆるゆると進む。
そういえば、本書を読んでいるあいだ、私はいくつものヴェネツィアに遭遇した。アンリ・ド・レニエ『ヴェネチア風物誌』を読んでいた時に本書をひらいたら、ヨシフ・ブロツキー『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』の引用に出くわした。なんという偶然。この偶然のめぐり合わせは、やはり夏休みで水のような文章を求めていたからか。ヴェネツィアを描く文章も、ヴェネツィアを描く文章についての文章も、どれも運河のような言葉を運ぶ。水を語る文章は、水のようになるのかもしれない。
読書は忘我の時間なのだ、と思い出す読書だった。読んでいる間は、木漏れ日の中で昼寝しているような心地がした。
「二十四時間営業」で時間をカウントしていると、われを忘れる瞬間さえ許されない。ふたたびゆったりした時間に対する支持表明をおこなうときの忘我の瞬間さえ。来たれ、メルヒェンよ。海よ、生み出せ。秒のパレードを飲み込んでゆけ。
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一緒に読んでいた夏休み本。水の文章、運河の文章は、酷暑から逃れる夏休みにちょうどいい。
『ラングザマー』の最初の章「読書」で登場した。ヴェネツィアを描いた文章の中でいちばん好き。
イタリア詩人の詩集。自然と世界へのゆっくりとした視線が似ている。
ファウストが語る 「悪魔的な速さ」について、『ラングザマー』で登場した。
『ラングザマー』の引用で、ウエルベックが意外とまともなことを言っていた。