『レス』アンドリュー・ショーン・グリア|ゲイ中年×世界文学の失恋コメディ
「ほとんど五十歳って、変な感じだろ? ようやく若者としての生き方がわかったって感じるのに」
「そう! 外国での最後の一日みたいですよね。ようやくおいしいコーヒーや酒が飲める場所、おいしいステーキが食べられる場所がわかったのに、ここをさらなければならない。しかも、二度と戻って来れないんです」
ーーアンドリュー・ショーン・グリア『レス』
『レス』は、失恋の悲しみを泣き笑いで語る、失恋コメディだ。失恋三重苦ーー 過ごした時間が長い、相手がいきなり別の人を好きになった、歳をとっての失恋と、ひとつだけでもつらい失恋の苦しみが、3つまとめてやってくる。
50歳間近でゲイの小説家アーサー・レスは、9年ともに過ごした年下の恋人から「別の相手と結婚するから」と別れを告げられ、結婚式の招待状が届く。レスは絶対に結婚式に出たくないが、友人知人が多すぎるため、もっともらしい理由を見つけなくてはならい。そこで、結婚式以外の招待をすべて受けて、世界中の文学イベントに片っ端から参加して、世界一周旅行しようと決める。
メキシコの講演、イタリアでの小さな文学賞の最終選考、ドイツでの5週間の大学講座、友人から招待されたモロッコツアー、インドでの執筆、日本での懐石ルポをすべて受けて、レスは恋人と暮らした家を飛び出す。
「世界文学旅行」(しかも報酬つき)というと素晴らしい旅行のように聞こえるが、実際は有名作家に断られたための穴埋めだったり(しかもおそらく何百人にも断られた後の補欠)、欠員補充だったり、人気ライターの友人が受けられない仕事の代替だったりする。
「Less=足りない」という名字を象徴するかのように、彼は「足りないものを埋めるための代替」であり、「レスでなくてはいけない」ものはない。
文学フェスティバルに呼んでおきながら「天才と暮らして、自分が天才じゃないと知るってどんな気持ち? ねえどんな気持ち?」と煽ってくる主催者がいたり、「おまえはダメなゲイだ」「白人の中年には同情しづらい」と言われたり、失恋から逃れても予想外のところから不遇のバケツが落ちてくる。
ここまで屈辱的なことをわざわざ計画するなんて、そんなに暇な神様がいるのだろうか? 無名の小説家に地球を半周させ、自分の価値が取るに足りないということを直感的に悟らせるなんて?
レスは「無名で仰々しい作家」「賞を取れない作家」と自嘲して、会話の端々や風景から、恋人との記憶を思い出して憂鬱になるが(失恋あるあるだ)、レスの視界から抜ければ、外ではそこそこ愉快なことが起こっているし、レスの行動だっておかしい。このまじめで悲痛な心理描写と、行動と周囲のバカバカしさのギャップがアイロニーとなる。
著者は、悲劇と喜劇を交互にすばやくジャブを打ってくるので、読んでいると「つらいけど笑えるけどつらいけど笑えるけどつらいけど」と感情が過剰で混沌としてくる。笑いは「落差」のギャップに宿るのだとすれば、本書はかなり王道のコメディと言えるだろう。
失恋コメディの王道ど真ん中をいきながら、文学ジャンキー向けサービスも忘れない、わかりやすく狙った王道小説だと思う。
文学イベント界隈のあるあるを描いて文学クラスタの身内笑いを誘い、『オデュッセイア』『ユリシーズ』のパロディネタやメタ構成といった文学ポイントも用意していて、外国の風景やレスの青いスーツなど映画化しやすい画面映え要素だってある。
正直に言えば、なぜピューリッツァー? 感は否めないが、現代アメリカ文学のマイノリティ主義(マイノリティの視点から描くことは、創作学科でも奨励されている)を考えると、最も恵まれている「白人の中年男性」が主人公の文学が受賞することは、一周まわってめずらしいかもしれない。作中にある「自己憐憫する白人中年は同情しづらい」という嘆きは、現代アメリカ文学事情に向けた作者のぼやきと重なるように思える。
もっとも、こうした「白人男性だって生きづらい」発言は、ホワイ・トフラジリティ(強い立場にいる人間が被害意識を感じる気持ち)と、とられかねないリスクをはらむ。だからこそ、『レス』は自虐コメディにして、その批判をかわそうとしたのかもしれない。そういう意味でも、やはりこの作品は計算高く、よく練られている。
いろいろ書いたけれど、文学勢の面倒くささをアイロニカルに描いたコメディとして読めば、それなりにおもしろい。レスの語りは笑いと悲しみを誘うし、おのれの弱さを意識してさらけ出せる中年男性は、実際のところ、かなり貴重だ。男性らしさが邪魔をして格好つける独白が多い中、レスの語りは丸出しの感じがして、どうにも嫌いになれない。
加齢の悲しみと失恋の苦痛は悲劇だが、悲劇を喜劇のように語ることはできる。 悲しき白人中年に幸あれ。
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